私の両親は、三番目の兄家族の世話になって天寿を全うすることができました。今も三世帯の家族はよく見られますが、前ほどではありません。その代わり老人施設が高齢化と共に増えて来たのです。実子の代わりに集団の施設で面倒を見てくれるようになったのです。中には子供の世話にはなりたくないと一人暮らしをしていらっしゃる気丈な方が見られますが、いろいろな事情によりお世話になる方も増えたと思います。
私の家の近所には、総合病院の付属的施設がありますが、そこは普通のマンションのタイプがあり、介護を受けるようになったら、並列の介護施設に転居するのだそうです。聞くところによると北は北海道から南は九州まで引き合いがあるということでした。聞くだけで庶民とはかけ離れた施設と感じました。
その頃は、そういう施設に入ろうという気はなかったのですが、毎日の生活に家事が非常に負担に感じられました。闘病が長引くと余生ということも考え、思い切ってお世話になりたいと考えました。二人の年金とわずかの貯えでスタートしました。ここの施設には、初めは自立できることが条件ですが、いざ入ってみると年齢に関わらず自立している人は、食堂を使わずに生活しています。私のように食事を毎回食べると高額の食費がかかりますが、料理に得意な女性は、高額な食費から解放されます。それから高額費用として、いろいろなサービスを受け持っている会社にその費用を支払います。サービスというのは、食堂、共同浴場、運動、飲み物付き休憩室、それに商店、病院を回る定期バスを運行するなどです。その他、自室に食事を運んだり押し車のお世話、薬のお世話などは、介護保険を使用しているのかどうか分かりません。
私は一応食事の苦労からは解放され、自分の時間を持ち優雅で贅沢な生活はできますが、代償も大きいなと改めて感じさせられました。食事も、栄養士を擁し優秀なコックさんによるメニューを出すとはいうものの1か月も経たないうちに、同じ献立の繰り返しだということに気づきます。私は職が学校だったために、毎日の給食が飽きの来ないおいしいものだったことが忘れられません。安い費用で栄養のバランスを考えた食事を作る栄養士さんのご苦労はどんなだったかと想像します。やはり、いくら団体の食堂とはいえ、栄養と同じものの繰り返しをしない内容を提供してこそ高額の食費を請求する意味があると思わずにはいられません。年寄りの我儘でしょうか。
私の家の近所には、総合病院の付属的施設がありますが、そこは普通のマンションのタイプがあり、介護を受けるようになったら、並列の介護施設に転居するのだそうです。聞くところによると北は北海道から南は九州まで引き合いがあるということでした。聞くだけで庶民とはかけ離れた施設と感じました。
その頃は、そういう施設に入ろうという気はなかったのですが、毎日の生活に家事が非常に負担に感じられました。闘病が長引くと余生ということも考え、思い切ってお世話になりたいと考えました。二人の年金とわずかの貯えでスタートしました。ここの施設には、初めは自立できることが条件ですが、いざ入ってみると年齢に関わらず自立している人は、食堂を使わずに生活しています。私のように食事を毎回食べると高額の食費がかかりますが、料理に得意な女性は、高額な食費から解放されます。それから高額費用として、いろいろなサービスを受け持っている会社にその費用を支払います。サービスというのは、食堂、共同浴場、運動、飲み物付き休憩室、それに商店、病院を回る定期バスを運行するなどです。その他、自室に食事を運んだり押し車のお世話、薬のお世話などは、介護保険を使用しているのかどうか分かりません。
私は一応食事の苦労からは解放され、自分の時間を持ち優雅で贅沢な生活はできますが、代償も大きいなと改めて感じさせられました。食事も、栄養士を擁し優秀なコックさんによるメニューを出すとはいうものの1か月も経たないうちに、同じ献立の繰り返しだということに気づきます。私は職が学校だったために、毎日の給食が飽きの来ないおいしいものだったことが忘れられません。安い費用で栄養のバランスを考えた食事を作る栄養士さんのご苦労はどんなだったかと想像します。やはり、いくら団体の食堂とはいえ、栄養と同じものの繰り返しをしない内容を提供してこそ高額の食費を請求する意味があると思わずにはいられません。年寄りの我儘でしょうか。