人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

日本語教師ボランティアあれこれー②

2019-08-17 21:25:01 | 随筆
 日本語を教えるに当たって悩みの種は場所の問題です。自宅に行く時は遠くても車でいかなければなりません。たまたま私の団地に市民センターが建つことになり、早速申し込みました。ボランティアの講習があった頃で、隣席にいた人に賛同頂き、講師仲間を連れて来て頂きました。私もメールを公開して生徒を募集したり、地域の市会議員さんがお世話していたのでご協力お願いしたり、奇跡的に4月から開講出来たのでした。

 初めは少人数なので1対1で教えていました。中年女性のビギナーに教えていた時のことです。年齢の学習をしている最中に、生徒が突然「先生は何歳ですか?」と尋ねました。私はとっさに「女性に年を聞くもんじゃないの」と言いました。そういうことは彼女は理解できるらしく、二人で大笑いしてしまいました。そのあと、帰国したあとに再来した時、ハグして再会を喜びあいました。

 夫婦で子連れで来た方がいました。夫はお嬢さんの面倒を見ながら勉強するのではかどりません。育児の窓は開いていなかったのですが、私の担当生徒が休みの時は、遊戯室で子守しました。遊具も喜んで使い楽しく遊んでいましたが、ある日、機嫌が悪く泣くので、眠いのかなと子守唄を歌って見ました。日本の伝統的な子守唄を2曲歌っても寝ません。これはメロディが合わないのかなと、ブラームスの子守唄にしました。するといとも簡単に寝てしまいました。それで、わたしは、教師仲間や知り合いに外国人の子は外国の子守唄で寝るんだよと笑って伝えていました。しかし、その頃丁度眠くなったんじゃないのと言った人が誰もいなかったのは、せめてもの親切心だったのでしょうか???

 英語圏の同レベルの人を二人教えていた時のこと、時々なにやら二人で英語でひそひそしゃべっていることがありました。そして、3月の私の誕生日のティータイムに私の誕生祝いを開いて下さったのでした。先生や生徒合わせて20人ぐらいの大所帯になっていたので、その方々の分のケーキを日本のケーキ屋さんでは売っていないコストコのジャンボケーキを準備していたのでした。ケーキを運ぶために会社の車までお借りした大サプライズでした。お土産にもらった人も少なからずいました。私はお礼に、日本の商品券を差し上げましたが、それも勉強になったことでしょう。

 アメリカのお嬢さんに、英語教室の父兄会で話を読むにあたり、印刷の文をわかりやすく校正して欲しいと頼まれたことがありました。それからしばらく経って同僚の結婚式にスピーチをするので見て欲しいと頼まれました。私は英文と日本文を比較しながらより気持ちの現れる文を考えました。花嫁を讃えるとてもよい文で、わたしも良い文に感心しながら日本で使う結婚式にふさわしい日本文に変えてみました。
 花婿の両親は日本人と韓国人で日本語はわかるけれど英語は知りません。花嫁はアメリカ人で英語圏のお客さんがいらっしゃるということで彼女は両方を読んで理解して頂いたのでした。そして、終わった後優しい日本語をありがとうございましたと礼を言われました。英語の和約は、結構難しいけれど、その場にふさわしい言葉を心したのが良かったかもしれません。 

日本語教師ボランティアあれこれー①

2019-08-14 21:40:14 | 随筆
 私は平成6年から日本語教師ボランティアをしています。様々な外国人と出会い沢山の経験を致しました。そのエピソードのいくつかを紹介してまいりたいと思います。

 日本語を教えるには始めに仙台国際センターで養成講座を受け終了後登録して生徒とマッチングをします。(今は養成していません)場所や、内容を決め週1回教えますが、自宅やセンター等その頃は学習場所に苦労しました。センターで教えたイギリス人とフランス人は、東北大の留学生でした。ある時、フランスの人が、四国の海で泳いで来たと言ったことにイギリス人が、泳いで帰って来たのですか?と言って大笑いしました。私は、イギリスの人は真面目だという先入観を持っていたので、ユーモアは国を問わず笑わせるのがうまい人がいるのだと感じたのでした。

 ある時市民センターの片隅を借りて教えた時は、環境が良くなかったので自宅に変更しました。韓国の奥さんでしたが、スイカをもてなして下さった時、種のない一口の立方体に切って頂いたので、とても食べやすかったのです。その頃は、今と違って八等分に切ったものを種を出しだし食べていた時代ですから、いいことを教えられたと思ったものです。もう一軒の韓国のお母さんは、小さい娘を別室で一人遊びさせていたことがしっかり躾をなさっていると感じました。

 中国の若奥さんは、お子さんを生む前から教えていましたが、寝ていない時は、一人遊びさせていました。いるかいないかわからない静かな時間を過ごしていたら、お母さんが突然私に「先生見て!」と後ろを差しました。すると、部屋は一杯の遊具でちらかっていたのです。よくこんなにおとなしく一人で遊ぶものだと感心しました。

 アメリカのイーオンの先生に自宅で教えていたときのこと。レッスンの途中でお茶を入れて下さったのはいいのですが、私がちょっと飲んだ時冗談を言ったので、笑いそうになりました。でも笑ったらもろに生徒にお茶が飛ぶので我慢したら嚥下障害(その頃まだ珍しかった)になり呼吸ができなくなりました。初めての経験で何とか息ができるようになりました。それからまもなく先生ご夫妻が帰国なさると言うのでフェアウエルパーティーに行きました。そこにイーオンの生徒が沢山来ていましたが、私を見るなり「先生ですか?死にそうになった人!」と言われ大笑いしてしまいました。さては、チクられたか。

 市内で英語教室を開いていた方が、フレンドシップ・フォーラムという日本人と外国人の交流会を催していました。話し合いのこともありましたが、富沢の三ケ峰の花見や、奥新川の散策といも煮会、大河原の一目千本桜の見学など思い出の行事に参加しました。アメリカでは実子の他に養子を育てることがあるとか、娘さんのアメリカ旅行など教えてもらいました。







人は考える葦であるー広島・長崎の日とバラク・オバマ氏

2019-08-03 22:19:21 | 随筆
 今年は、特に日本全体が猛暑の夏になっています。8月は、日本人にとって大切な月ですが、それは従来のお盆に加えて終戦の日、原爆の日があるからです。アメリカの大統領として初の広島訪問をしたバラク・オバマ氏は、追悼の後演説をしました。日本人の中には、謝罪があるのかという期待を持った人もいたようですが、オバマ氏は、歴史を振り返り、世界を俯瞰した人類としてのやるべきことを述べられました。

 日本は昔から島国である故の国民性がとかく言われて来ていると思います。アメリカは、新大陸発見から多くの国の人の移住により、多民族国家とか民族のるつぼなどと言われるほど多国籍の人の集まりで有名です。そのアメリカを代表して地球全体を席巻する人類のこれからの道を考えたのです。

 オバマ氏は初めに、当時広島に居合わせた外国人を含む広島市民の犠牲者の魂が私たちに内省を求めていると述べ、いまだに悲惨な目に遭った方々の霊に心を寄せています。そして人類の祖先も、石や木の道具を狩猟だけでなく人を攻撃するのにも使い、罪のない人が犠牲になり忘れ去られているけれど、71年前広島島、長崎の残酷な終結をもたらした大戦は、世界の豊かな国同士の戦いでその紛争の原因は支配したいという、祖先から繰り返されて来ている基本的な本能でもあるとおっしゃっています。それもわずか数年で6000万人の子供から大人まで苦しめられながら亡くなっているー正義と調和の思想を提唱した思想家がいたにも拘わらず、人を自然から引き離し自然を変える力が比類ない破壊をもたらす結果になったーグローバルな考えを私たちに想起させます。つまり、戦いの規模が増大して犠牲になる方が増えるのは、人の持つ支配欲で、物質的進歩や社会革新が自分と異なる人々を弾圧し、科学が効率的な殺人マシンになることが可能な時代になってきたということです。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要であると述べています。

 広島はそういう真実を教えてくれるからここを訪れ、原爆投下の瞬間を想像し、子供たちの恐怖を感じ、声なき叫び声に耳を傾ける、更に戦争の犠牲になった罪のない人々を忘れないと述べています。日本では、原爆の犠牲者がその苦しさを叫んでも耳をかされず、差別さえされたという話を聞いたことがあります。そしてその風潮が、平和利用の名目で原子力発電所の林立をもたらし、大震災で同じ放射能の被害を受けるという結果を招きました。亡くなった方の声なき声どころか、生存者の声をも活かさなかったことになります。

 広島の記憶のおかげで私たちの倫理的想像力に火がつき変わることが出来るけれど、人間の悪を行う能力をなくすことはできないかもしれないともおっしゃっています。世界で目のあたりにするテロや残虐行為、抑圧などです。自衛のために核を保有する国は恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持つべきとも述べています。戦争自体の考えを変え、外交を通じて紛争を回避し相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると、これは3年後の今でも世界に向かって通じる重要な内容ではないでしょうか。

 アメリカの物語は次の簡潔な言葉で始まったそうです。「万人は平等に創られ、生命、自由及び幸福追求を含む不可譲の権利を、創造主から与えられている」このあとオバマ氏は次の所見を加えています。{こうした理想を実現することは国内でも容易ではないが、取り組む価値はあり、大陸や大洋をも超えます。人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念でもあります。だから人は広島を訪れるのです。71年前に大切な人々と食卓を囲んだ子供の笑顔やぬくもりがあったことを知ることができます。犠牲になった方々は、私たちと同じです。戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく生活を向上させるために使ってほしいと思っています}

 戦争で犠牲になるのは普通の一般市民ー戦争を望まない子供を含む市民達です。オバマ氏はそれを人類という一つの家族とおっしゃっています。私は幸福追求ができる若者たちが、望まない戦いで犠牲になった事も忘れられません。世界が平和を目指した人類という家族なら戦いを起こすことは考えないでしょう。
 
 オバマ氏は、世界の平和を世界に向けて発信して下さったのではないでしょうか。そのために広島を訪れたとおっしゃっています。そして3年後の今、この講演をもう一度見直すことが望まれます。
 他にこのようなグローバルな平和論を講演できる人は何人いるでしょうか。広島を忘れなければあとで続いたアフガン戦争、ベトナム戦争イラク戦争は避けられたのではないでしょうか。

 今年の11月にはカトリックの大司教が来日されるそうですが、大司教が長崎の原爆で死んだ弟を背負って、焼き場の順を待っている少年の写真をご存じで、戦争の回避に理解されやすい写真とおっしゃっていると聞きました。オバマ氏の「広島と長崎は核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう」という講演の結びともリンクされると思います。オバマ氏の美しい英語を駆使した講演のすべてを申し上げることは不可能ですが、このような考えが各国のリーダーの間にも浸透することを祈らずにはいられません。

人は考える芦である 第5章 アラカルト  命再び

2019-07-23 21:10:12 | 随筆
 こんなに多くの殺戮を一人で行うとは!誰しも予想できない事件、許せない事件が起きてしまいました。私にはこれは戦争と同じと思わざるを得ません。戦争が外国を対象にするように、大勢の人の大切な一生を奪う非道の事件を、国内で一人でやれるということは、国の治安の落とし穴ではないかと擬わざるを得ません。サミットなどの時は、過剰なくらいの警護をしているのに、防犯カメラでは、事前のことを探るに留まっています。日本の現状は、決して安全な所とは言い難いのではないのでしょうか。人の命は、失ってから考えるー泥縄式といいますーではあまりにも悲しくやりきれません。

 人は生まれた時から動物と違う故に尊厳が与えられています。それは、義務を伴ってはいますが一生幸せに天寿を全うする権利です。しかし、病気、天災、災害、事故事件等で、それを全うすることは難しいのですが、それを乗り越えて高齢となり悠々自適の生活まで出来ることを誰もが願っています。ですから、今度の事件のように、尊い一生を断たれるのはご本人は勿論、ご遺族も悔やんでも悔やんでも悔やみきれない大事件と捉えられなければなりません。

 振り返れば、人はその知恵で地球を利用して発展を遂げています。そして誰もが自分の命は勿論、周りの人の命も大切にするように進んでいます。更に普通の人には想像もできない事柄が科学的に実現し続け、周りの環境を変えています。同時に昔は少なかった事件事故も増えて、命がないがしろにされてもいます。たとえば、普通の人が、知らない人を、自分の運転する車で死なせてしまうなど想像できたでしょうか。親が子を子が親を夫が妻を殺すなどということがこんなに増えるとは、考えたことがあったでしょうか。年と共に人は科学のように進むのではなく退化しているのではないでしょうか。

 こんな大事件を起こそうと思った人は、どんな心境だったのでしょうか。ニュースによると、事件前の異常な行動が知られていました。逮捕もされたことがあります。中学生が小学生を殺し、犯行声明まで出したことがありました。又女子大生が知人の高齢者を殺すなど猟奇な事件もあり時々世間を驚かせています。こういうことを事前に見つけることは不可能でしょうか。科学の発達に比べこういうことは、遅れていると考えられないでしょうか。このような突然襲う事件によって大切な命がこれ以上失われないことを切に願うばかりです。

人は考える葦である 第5章  アラカルト ー 人の命

2019-07-09 11:33:10 | 随筆
 前回、高学歴の父親が、愛息の命を奪ったことについて述べました。それだけでも慙愧の念で一杯なのに父親が高学歴を求めて子供に過分の躾をした挙句、脅しに使っていた刃物が命を奪った事件が起きてしまいました。これは、他人から見たら明らかに異常なのに何故防げなかったのでしょうか。これも家庭のプライバシー保護から来るのでしょうか。素晴らしい未来を子供から奪うなど、親といえども許されることではありません。国の大事な宝を失ったような気持ちになります。そのあと母親の育児放棄による幼女の死亡事故が起きました。そのニュースにびっくりしたと思ったら次に大学生の娘さんを父親が手にかけ自身も自殺なさったという事件が起きました。こんな常識外れの事件がどうして続くのでしょうか。前回の結びで、私は、高学歴でありながら、父親はわが子の人権を考えられなかったと述べました。それが、こんなに連鎖するとは!

 母親の育児放棄は、動物にももとる(道理に反する)行為と言わざるを得ません。母親は、相当に我儘な生活を送り、未婚で子供を産んだに違いありません。世に多くの子供に恵まれない方々がいる中で、子供が邪魔だという考えは、多くの子を生み育てる動物より未熟なのではないでしょうか。遊びを優先して育児を放棄する女性は、しっかりした結婚生活を維持している母親にはいないと思います。大人になりきれず子供を産んでしまったのでしょう。子は授かりものという尊い命の観念が、親の本心である筈です。

 詳しい事情はわかりませんが、わが子を殺め、冷蔵庫に入れるなどという普通の人では考えられない事件が起きました。戦争という国同士の戦いでは、無残な殺戮を、数多く目指します。そこに命の観念はありませんから、どんな手段も勝つために破壊することを考えます。しかし、平和の続く日本で、家族制度のしっかりした現代で、血のつながりの濃い親子の殺人がどうして起こるのでしょうか。

 私は、このエッセイを書きながら、私のエッセイを読んで下さる方は普通に社会生活を営んでいらっしゃる方々だから、同感して頂いているのに感謝しています。その一方で、何時までも罪を犯す人が絶えないことから、そういう人に理解して頂くことはブログでは難しい、思慮深くなどという理論は通用しないだろうなどとも考えています。思慮深い人が増えても、犯罪を考える人もあとを絶ちません。でも、普段考え深い人でも、周りの事情如何で極端に浅薄な考え方に陥る可能性はありますから、最重要な人の命ー尊厳を奪う行為も時には起こるのかも知れません。

 いじめは、依然として起こり、命を絶つ子供もニュースで知らされています。この身の周りのいじめが、一人一人の命の大切さを無視する心から出ることだということを、いじめる人は考えません。だから、この意識を根底から改めないと殺人は止まらないのではないでしょうか。いじめは、~ハラスメントといって社会現象にもなっています。職場でもその自殺が必ず生じています。最近職場全体でこのような事実が報道される事態も起きています。男女平等が先進国では下位に近くなっていますが、それとこの職場でのハラスメントは同じではないでしょうか。いずれも、お互いへの思いやりより自分の出世、ご都合にウエイトがかかって、それに負けてしまう人が人生を楽しめなくなるのではないでしょうか。これは、今の政治の世界でも根強く、国民にとって正しいことが必ずしも納得いく結果にならないように思います。これが、国民の心の持ち方に影響して、道徳感、倫理観がぐらついているのではないかと危惧されるのです。

 普通な暮らしが幸せであることが、東日本大震災の教訓でした。しかし、自然は厳しく、災害が時を選ばず襲っています。災害に遭われた方々の幸せがいち早く戻ることを国民は願っているので、政治は、目に見える復興事業を力強く進めてもらいたいと思います。そして、生活に苦しんでいる人のいち早い笑顔を待っています。そこから、人々はお互いを思いやるやさしさ、助け合う絆、命の大切さを育てていくものと考えます。更にハラスメントがなくなることが、重要な基盤と考えます。自然から受ける癒しと共に、心の潤いのある生活を送りたいものです。