人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第6章  人は何を考えているのか

2019-10-08 21:23:13 | 随筆
 千葉県被災地の皆さま、如何お暮らしでしょうか。毎日の報道を見て心の痛まない日はありません。一体こんなことがあっていいのか、政治家は何をしているのでしょうか。ゴルフ場の方は何をしているのでしょうか。大型台風が来るのに、お住まいの方々が対処に苦労なさっています。ちらほら見かける自衛隊の方も、もっともっと出て然るべきと思いますが。

 科学が発達して何も不可能なことがなくなったと思われる今、住まいを壊されて進歩の手立てのない状況を可笑しいと思いませんか?東日本大震災の時は、亡くなった方も多かったですが、海外からの援助まで頂いて復興に邁進出来ました。ところが、今度の千葉県の台風の被害は、一県とはいいながら、規模は大震災と同じレベルと思わざるを得ません。初動復旧の電気が、見通しの甘さか時間がかかり、亡くなった方も出ました。あんなに大きな鉄塔が沢山倒れているのに・・・とため息が出ました。もっと沢山の機動力は出せなかったのかと素人でも考えます。只一県の災害だからこんな扱いになったのでしょうか。

 自分の家の屋根で雨対策をして亡くなった方も出ました。冬は雪国で雪おろしの事故が絶えません。二次災害だけは避けて欲しかった。専門家の仕事を、個人でやらなければならないなんて・・・・。事故防止に公的な援助が必要だったのではないでしょうか。選挙が終わった後のため、そこに一斉に救助必要とする考えの人はいなかったのでしょうか。被災地の皆様だけが、何十倍の苦労を強いられていらっしゃるのではないでしょうか。

 雨後の筍のように、ビルが建っていきます。人はなんというすごい能力を持っているのだろうと感心します。しかし、作るだけであとの始末は大丈夫かとは考えず、大丈夫が当たり前の時代だと思います。自然災害で人の作ったものは見事に破壊されます。川の堤防や橋も自然には敵いません。だからメンテナンスを怠らず子孫に引き継いでいるのではないでしょうか。ゴルフ場のフェンスが倒れ、沢山の家屋がその下になってどんどんつぶされて行くそうです。その対策は手つかずです。あのフェンスの下の家の方々は、今、生活保護を頂いて最低の生活を保障されている人より、低いレベルで暮らしていらっしゃると思います。国は国民の最低の生活を保障しています。このような一時被災の方々の不自由を早く復旧するのが政治ではありませんか。災害時の見舞金を当てにせず、どんと税金を使うのが政治ではありませんか。

 人は持ち場持ち場で仕事に情熱を傾けて生きています。それは、お互いに笑って暮らすために、心地よく暮らすために沢山の違う職場で働いています。そこで、サボタージュしたり、手抜きしたりしたいと思う人もあるかもしれませんが、おおむね真面目に働くのが普通です。政治家は特にこのような災害時はスピード感を持って復旧に当たるべきではないでしょうか。次に来る台風が大きいと聞いただけで被災地の方々はどんなに心を痛めていらっしゃることでしょうか。為政者は緊急の防災を考えて当然と思います。

 

天からの贈り物ー流行に乗る

2019-10-01 22:06:54 | 随筆
 先日、100歳を超える女性が、50メートルプールで背泳ぎをしたというニュースがありました。その方は、80歳から水泳を始めたということです。今は100歳を超える高齢者も年々増えていますが、水泳を続けている方はそう多くないと思います。もし若さを保つ要因があるとしたら、水泳人口も増えるのではないでしょうか。

 一方今年の4月、私の地域にスポーツ施設ができたのです。とうとう降って湧いたように目の前にプールが君臨してくれたのでした。何とラッキーなことと胸をわくわくして入会しました。施設では、老若男女の会員がいますが、沢山のプログラムのクラスが組まれレッスンをしています。健康相談にものって頂けますので、そのいずれを利用したらよいか指針を知ることもできます。私は、そのいずれにも参加せず、マイペースで泳ぐことに焦点を当てて練習しています。

 私は、30年ほど前に退職してから水泳をスイミングクラブで習い、泉中央にあった健康増進センターや、市民センターにあるプールで細々と泳ぎ続けていました。当時は、車で移動していたのでそういうことができましたが、増進センターのプールが廃止されてからは、水泳から遠ざかりウオーキングやストレッチなどで細々と体力を保持していました。

 ところが、そんな自己流の体力作りでは病魔に勝つことはできず、突然病気を発症してしまいました。それからは、闘病生活を続けながら只徒らに年を重ねているだけでした。そんなところに、願ってもないスポーツの殿堂が大きな手を開いてくれたのです。喜び勇んで泳ぎに行きました。かつて習い覚えた水泳を思いっきり出来るものと考えていました。そこで私はそれまでのブランクを改めて知らされることになりました。老化は少しずつ進むのは承知しているつもりでしたが、それはないよ、と思うほど筋肉が落ちていたのです。歩くに不自由なく転ぶこともなくなっていたのですが、これほど落ちているということを、水泳をして初めて自覚せざるを得ませんでした。

 筋肉のみならず、呼吸も以前のように自然にすることはできなくなり、クロールも、平泳ぎも疲れて出来なくなっていました。それで呼吸のしやすいバックで足の筋肉をつけることにしました。バックは簡単に25メートル泳げるようになり、途中の休憩も短く済むようになりました。そして予想通り、増えなかった体重も増えたのです。回数はそんなに多く利用できませんが、老化しても、標準(?)に戻る位の筋肉増強はできるかも知れないという希望も湧いてきました。
 
 施設の隣には、メディカルケアをするマンションがあり、そこからも会員となった利用者が医師の指導を受けたり、作業療法士の助言を受けているようです。少しずつ健康年齢の高齢者が増えるのではないかと感じています。時代に沿ったこのような施設の効果は大であると感謝しています。

※老化の発見 
 
  日本語指導で、リスニングの問題を長らくしていました。今日突然「免許更新したけれど、日本人がスラスラ読んでいるテキストが分からなかった」と、漢字の多い参考文を読むことにしました。久しぶりに漢字の学習をした時、私は、書く自信がない字があることに気づきました。彼女の持つ文を逆さに見て、読めない知らない漢字を、私がのちの自習の為に書いて差し上げるのです。漢字を書く習慣をちょっと休んでいただけで、こんなに衰えるのかと、「これはインターネットの弊害だね」と言い訳して笑いましたが、使わない脳の衰えをつくづく知りました。

 今までも、日本語学習のあと、来た時と違う帰る時のルンルン気分を、脳の普段使わない場所を使うせいだと思っていましたが、それを実証した思いでした。最近、認知症気味の失敗も時々やってしまうことに反省していましたが、これからも尚留意していきたいと感じたところです。

 

日本語教師ボランティアあれこれー③

2019-09-06 21:24:22 | 随筆
 スコットランドのお嬢さんは、ALTの教師として仙台市内の小中学校に行っていました。自分をモデルにした4コマ漫画を描いたり、結婚式に参列する時のドレスを仕立てる多彩な方でした。

 丁度東日本大震災に泉区の中学校にいました。その時、生徒に机の下に避難するように言ったけど、自分のもぐるものはなかったと言っていました。私は、車で6号線沿いに飛行場や荒浜海岸を案内しました。一度帰国して又戻って来て下さいました。

 ある時唐草模様のスカートを仕立てたと言って履いてきました。生徒に泥棒と言われたというので、唐草模様の一般的な説を教えました。その後は履いてはきませんでした。でも最近私は、この模様のほんとうの意味を知り、緑が多く作られたけれど誤解を生んでいると知りました。ちなみに私は震災の津波で犠牲になった方々を拭くタオルを、友人の地域に唐草模様の風呂敷に包んで送りました。宅配会社ではそれを大きなビニールの袋に入れて下さったのもうれしい心づかいでした。その風呂敷も、希望者に渡ったそうです。
 
 近所の小学校や中学校をバスから降りて徒歩で行った時のこと。周りが田んぼで緑のじゅうたんのようなところでした。農作業をしている人がいて、通りがかりに話をしたそうです。そのうち、「うちに嫁に来てくれないべか」と言われてしまったそうです。背が高く体格のいいお嬢さんでした。

 漫画をかいているので参考にと、仙台文学館で催していた葛飾北斎展を見学に行きました。とても熱心に見ていました。でも最後に買ったお土産はろくろっ首の絵葉書でした。私は、北斎の絵のカレンダーを捨てずに取ってたのでそれをプレゼントしました。ところが、それをいろいろに切り、私には封筒を作ってお礼の手紙と共に残してくれたのです。プレゼントはもう一つあります。私が学習の時手提げの中を探すことが多かったので、ポケットを3つ並べたデニム製の手作り手提げを頂いたのです。表には全く出さない方法で作られた、世界で只一つの苦心の作と重宝しています。

 メールをよこす時は、前より多くの漢字を使って来ます。あの時より確実に向上していると感じます。
遠いスコットランドで、幸せになってほしいと願いつつ当時を偲んでいます。

人は考える葦である 第5章 アラカルト  言葉

2019-09-01 21:27:28 | 随筆
 国際関係では、常によい関係を保つ基盤に言葉があります。翻訳は多岐にわたり、一つの言葉にも色々な解釈があります。誤解を招いたり疎通が図られない恐れもあり、そのままでは険悪な関係に進むことも懸念されます。この間、オバマ氏の広島訪問で述べられたメッセージは、人類の歴史を振り返りこれからの発展を願うものでした。それに比べ、現在の韓国の大統領のメッセージは、現在の身の周りだけを視野にした内容で、多くの人の眉をひそめさせるものではないでしょうか。

 アメリカの物語として、「万人は平等に創られ、生命、自由及び幸福追求を含む犯すことのできない権利を、創造主から与えられている」という言葉で始まったとおっしゃいました。これこそ、国境を越えて理解すべき大切なことと思います。兼ねてから私はいじめやハラスメントは、上のことを知らない人のやることであると考えてきました。生まれた時の祝福された状態は、一生続きます。いじめる方にもいじめられる方にもその権利はあります。だからこの基本がしっかりとみんなの心に根付けば、残酷ないじめは防止できるのではないかと、そこまで指導者は押さえて頂きたいと思うのです。

 韓国の大統領はよく報復という言葉を使います。報復というのは、自分が受けた被害に対して、相手に同等あるいはそれ以上の被害を与えないと満足しないという心情です。日本が未だにそういう考えで韓国に対処しているということなのでしょうか。それから、歴史と経済とを結び付けていると言いますが、それは、そちらの考えではないかと思います。合意をしても、それで済むと言うのはないというのが、それを表しています。ですから、嘘も方便ということなのでしょうか。わたしは、高齢になってから、人に裏切られたことがあり、あまりないことなのでびっくりしました。

 オバマ氏は、原爆の犠牲になった方々は私たちと同じで彼らは戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく生活を向上することに集中するべきであると考えているでしょう、と述べられました。国の指導者がこの素朴な知恵を選択し、分かりやすい良識を反映すれば、広島の教訓が生きるだろうとも仰いました。

 オバマ氏のメッセージは未来を見据えて展望していますが、文大統領は、過去のことにこだわりそれに結びつけた報復と解釈しているところが大きな違いではないでしょうか。

人は考える葦である 第5章 アラカルト -日韓関係

2019-08-22 22:03:08 | 随筆
 私は、かつて宮城県の事業ー海外派遣で50名ほどの女性が韓国を訪ねたことがあり、その後も、交流で再訪した経験があります。又日本語教師ボランティアとして何人もの韓国の方と交流しました。その思い出は、懐かしく、良い方々との国を超えた、違和感を感じないことばかりでした。そして、時折起こる韓国の反日活動には思い出の方々がそういうことには参加していないということを信じていました。

 最近の反日は、大統領の方針に賛同した方の大規模なものになっていることに驚いています。しかし、海外のメディアも、それには賛同していると韓国側の考えのようですが、最近海外のメディアも考え直して来ているようです。日本では、反韓運動をしているわけでなく、時々起る差別運動もないと思います。ですから、両国のやり方で、国民はどちらの態度が大人げないか、冷静かはっきりわかるのではないでしょうか。大統領の表現する言葉、いろいろな反日行動は、大きな国単位のハラスメントのように感じます。韓国でも日本に好意を持っている方はたくさんいらっしゃると思いますが、その方々までハラスメントに遭わなければいいなと懸念しています。

 韓国では昔は沢山の偉人を傑出し、日本でも学ぶことが多かったと思います。時代を経て、経済、文化科学が発展しているのに、人間がそのままでは、進歩の意味がないと思います。オバマさんが、おっしゃった世界観が思い出されます。韓国大統領にはもう少し冷静な人間らしい人格を見せて頂きたいと切に願うばかりです。