人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

遊びをせんとや生まれけんー1

2018-11-11 22:36:15 | 随筆
 標題は、平安時代の人の言った言葉で、聞いたことがない人もいるかもしれませんが、これを現代の事情に合わせて考えてみたいと思います。
 これを直訳すると、人は遊びをしようと生まれた、遊びをするために生まれたということです。でも、遊んでばかりで生きることはできません。つまり、誰でも何のために生まれたのかと考えた時に、こんな筈じゃなかったと嘆くような境遇にいるかもしれませんし、楽しく過ごしても災難に遭い、初めて楽しかったことに気づくこともあります。それで、この標題のように遊びに興じたかーつまり老後を過ごしながら「幸せな一生だった」と言えるか「満足できる一生だった」と言えるにはどうすればいいかを考えて参ります。人それぞれですから可、不可どうお感じになられてもご自由に読んで頂ければ幸いです。
 
 part 1 

人の暮らしは、家族から始まります。結婚して家庭を持つことが、一生のスタートだと思います。よきパートナーに恵まれるかどうか、ここで一生の道が決まります。
 パートナー選びは、大変ドラマチックでありながら、必ずしも一生幸せに過ごせる相手に遭うとは限りません。それは、結婚の時期は青春の真っ最中で、あれこれ考えあぐねていると独身が長くなりかねません。又、一気に恋に落ち、アバタも笑くぼになって結婚すると、あとでお互いの欠点が目につき、どうしても我慢できなくなる場合や、じっと耐えて子供の為に一生を過ごす、又は、良い縁となって幸せな家庭となる等千差万別の形が見られます。
 理想的な形は、お互いフィフティフィフティの関係が保てる場合です。つまりお互い思いやりのある行動を取り、お互いがそれを理解し感謝しあえる関係です。中には、どちらかが大きな包容力を持ち、片方のわがままを容認する場合も平穏な関係になります。いわゆる前者は価値観が同じな場合で、後者はお互いずれていても、我慢して波風を立てないようにする鷹揚なタイプの場合です。しかしもしそれが、一方が独裁者のタイプで、一方が全くの従属のみだったらバランスは取れませんから幸せとは言えません。お互いの会話が最も大切になるのではないでしょうか。何でも言い合える雰囲気、お互いの気持ちがストレートに通り、誤解が生じない関係が理想的です。誤解があっても、いらいらせずに、理解するまで話し合うことを億劫がらずできるようになるのが最も基礎的な大事なことではないでしょうか。
 結婚前の良い関係がずっと長続きしお互いを大切に考えることは、難しいけれど簡単に実行できる人と出来ない人で一生が決まっていくでしょう。常に自分以外の人に優越感を持っている人は、逆転することをきらい相手を見下すことで満足します。どんなことの差でも、人の評価で差別感を持つのは良い人間関係の邪魔になります。見下された相手は、相手を尊敬することはできません。そこから平穏な日常は崩れ行く恐れがあります。
 又、普段は目立たない人でも、深酒のあとや気持ちの不安定から暴力に走るくせのある人もいます。それも、決して正常な家庭生活は続きません。高学歴の人でも、浮気の為にパートナーを殺めると言う想像に絶する事件も起きます。家庭崩壊は起きやすく、理想的な家庭の継続は難しいだけに、実現している家庭の子育ては多分申し分なく成功していることと察せられます。