人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える芦である 第5章 アラカルト  命再び

2019-07-23 21:10:12 | 随筆
 こんなに多くの殺戮を一人で行うとは!誰しも予想できない事件、許せない事件が起きてしまいました。私にはこれは戦争と同じと思わざるを得ません。戦争が外国を対象にするように、大勢の人の大切な一生を奪う非道の事件を、国内で一人でやれるということは、国の治安の落とし穴ではないかと擬わざるを得ません。サミットなどの時は、過剰なくらいの警護をしているのに、防犯カメラでは、事前のことを探るに留まっています。日本の現状は、決して安全な所とは言い難いのではないのでしょうか。人の命は、失ってから考えるー泥縄式といいますーではあまりにも悲しくやりきれません。

 人は生まれた時から動物と違う故に尊厳が与えられています。それは、義務を伴ってはいますが一生幸せに天寿を全うする権利です。しかし、病気、天災、災害、事故事件等で、それを全うすることは難しいのですが、それを乗り越えて高齢となり悠々自適の生活まで出来ることを誰もが願っています。ですから、今度の事件のように、尊い一生を断たれるのはご本人は勿論、ご遺族も悔やんでも悔やんでも悔やみきれない大事件と捉えられなければなりません。

 振り返れば、人はその知恵で地球を利用して発展を遂げています。そして誰もが自分の命は勿論、周りの人の命も大切にするように進んでいます。更に普通の人には想像もできない事柄が科学的に実現し続け、周りの環境を変えています。同時に昔は少なかった事件事故も増えて、命がないがしろにされてもいます。たとえば、普通の人が、知らない人を、自分の運転する車で死なせてしまうなど想像できたでしょうか。親が子を子が親を夫が妻を殺すなどということがこんなに増えるとは、考えたことがあったでしょうか。年と共に人は科学のように進むのではなく退化しているのではないでしょうか。

 こんな大事件を起こそうと思った人は、どんな心境だったのでしょうか。ニュースによると、事件前の異常な行動が知られていました。逮捕もされたことがあります。中学生が小学生を殺し、犯行声明まで出したことがありました。又女子大生が知人の高齢者を殺すなど猟奇な事件もあり時々世間を驚かせています。こういうことを事前に見つけることは不可能でしょうか。科学の発達に比べこういうことは、遅れていると考えられないでしょうか。このような突然襲う事件によって大切な命がこれ以上失われないことを切に願うばかりです。