今年は大切なものを失い、そして、また得た年でもあった。
失ったものは・・
春先に、育ての母でもあった祖母が95才で亡くなった。
風邪をこじらせ、それから一月ほどしてからのことだった・・。
それからバタバタと、なんだかくだらぬお祭り騒ぎのように、
葬儀、四九日、初盆と続き、それらをこなして行く事だけで
精一杯で、祖母との別れを悲しむ間など自分には無かった。
“人を安らかにおくるという事”は、本当にこういう事なんだろうか?と
その間ずっと考え続けていた・・。
そんな最中に、ある縁を通して僕の前にいろんな人達が現れて来た。
そしてそれと同時に自分の前に新たな道が用意されていることに
気づいた。いや、その道は昔から用意されていたのだけれど、
歩く“時”というものを得られずにいただけの事だったのかもしれない。
二十歳位の頃から、横目でずっと見続けていた道だったのだ。
今、時を得て、その道を歩き始めた。
その道には、祖母を亡くし、妻子の他は家族と呼べる者はいなくなった僕の前に、
たくさんの父と母、祖父母と兄弟姉妹が待っていてくれた。
今年は大切な祖母を失った・・。
けれども、失ったことで、また、新たな大切なものに巡り会えた。
年末になって今年を振り返り、今しみじみと思う事は、
僕が今こうしていられる事への感謝・・。
そして、赤ん坊の頃から僕を大切に育ててくれた祖父母への感謝だ。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!
今頃になって、感謝の涙があふれて来やがる・・。
失ったものは・・
春先に、育ての母でもあった祖母が95才で亡くなった。
風邪をこじらせ、それから一月ほどしてからのことだった・・。
それからバタバタと、なんだかくだらぬお祭り騒ぎのように、
葬儀、四九日、初盆と続き、それらをこなして行く事だけで
精一杯で、祖母との別れを悲しむ間など自分には無かった。
“人を安らかにおくるという事”は、本当にこういう事なんだろうか?と
その間ずっと考え続けていた・・。
そんな最中に、ある縁を通して僕の前にいろんな人達が現れて来た。
そしてそれと同時に自分の前に新たな道が用意されていることに
気づいた。いや、その道は昔から用意されていたのだけれど、
歩く“時”というものを得られずにいただけの事だったのかもしれない。
二十歳位の頃から、横目でずっと見続けていた道だったのだ。
今、時を得て、その道を歩き始めた。
その道には、祖母を亡くし、妻子の他は家族と呼べる者はいなくなった僕の前に、
たくさんの父と母、祖父母と兄弟姉妹が待っていてくれた。
今年は大切な祖母を失った・・。
けれども、失ったことで、また、新たな大切なものに巡り会えた。
年末になって今年を振り返り、今しみじみと思う事は、
僕が今こうしていられる事への感謝・・。
そして、赤ん坊の頃から僕を大切に育ててくれた祖父母への感謝だ。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!
今頃になって、感謝の涙があふれて来やがる・・。
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