あざみの歌があった
山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花園に
咲しあざみの 花ならば
1970年代だったかな、あがた森魚の「赤色エレジ-」が、あざみの歌に似ていた
一頃、エレジ-という言葉が流行った。日本語に訳すと、哀歌とか悲歌とか挽歌と訳される。
若い頃、銀巴里で歌っていた、北原ミレイに石狩挽歌があった。古くには古賀政男が湯の町エレジ-を作った。
浅川マキだったかな、エレジ-みたいなという歌を歌っていた記憶があるが、思い出せない
ブル-スは金の無い時に聞くと、心に残ると言ったのは寺山修二だった
忍者などの符丁で、山といえば川なんだな。しかし、山と言えば、それに反する、対する言葉は海だろうな。山には川は付き物である。山のあるところには川はある。本来、川は山から流れてくる。そして海に注ぐ。
冒頭の「あざみの歌」は戦後、爆発的にヒットした。あざみの花には棘がある。遠くから見ている分には、美しい。また歌を聞いている範囲では棘など連想しない。
もっとも、綺麗なバラには棘があると言われているように、バラにも棘がある。花屋は市場に出す際には、棘を削ってしまう
まあ、山に対して海だろうな
海も時々によって表情を変える。瀬戸内や東京湾の海は波がないんだな。まるで皿のようだな。台風や暴風では海の表情を変えるが、普段は穏やかだ。
浅草生まれの沢村貞子が、晩年、ようやく連れ合いと一緒になり、旦那が海が見えるところで晩年を暮らしたいと、湘南の海の見えるところに移った。海は色も変えるんだな。
以前、五木寛之が日本民族は山の民と海の民と二種類あると言っていた。山をよりどころとした、サンカ、山窩がかっていた。三角寛が書いていた。また海をよりどころにした海の民もいた。瀬戸内の村上水軍などであろう。
この国の神話にも、海彦、山彦が登場していた。互いに相手に対して願望を抱くが、うまくいかない。しかし、自己以外の他者には興味をもつ
都落ちと言う言葉がある。東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
大宰府は京都から見れば、東だった。西から吹けばニシカゼか。何故、ヒガシカゼをコチと読むか知らない
歌人で坊主で西行がいた。俗名は佐藤義清
願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ の辞世の歌がある
幕末の風雲児 高杉晋作はもじって、東行と言った。
三味線を抱えて、三千世界の 烏を殺し 主と朝寝がしてみたい と
まあ、戦に明け暮れた戦国さながらであったろうな
日本では、東西南北と言うな。隣の中国から渡ってきた麻雀ではトン、ナン、シャ-、ペイ東南西北だな。同じ方位でも国が違えば、言い方、調子も違うな
春夏秋冬で海や山も表情を変える。裏日本、日本海の冬の海はどんよりと暗い。同じ海でも季節や場所によって違う
みやこでは山が無い。例えば街路樹をとっても銀杏のかすかに黄色い黄葉ぐらいだな。しかし、山に囲まれた地方では、夏では考えられなかったが、街路樹が真っ赤に紅葉する。もみじと躑躅、どうだんつつじとか。
山も紅葉する。山が燃えるという表現がある。石川さゆりも天城越えで、山が燃えると歌っていたな。これは紅葉なのか夕陽、落陽なのか分からない
春になると、山が笑うと言う表現もある。亡くなった土井たか子は山が動いたと言ったが、小選挙区制度を導入した時は、衆議院議長に祭り上げられていた
そう言えば、森進一が歌った歌に阿久悠が作詞したのに、北の蛍があったな
山が泣く 風が泣く 少し遅れて 雪が泣く
森進一は唸ってるんだな。山が泣くという表現もあるんだな
山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花園に
咲しあざみの 花ならば
1970年代だったかな、あがた森魚の「赤色エレジ-」が、あざみの歌に似ていた
一頃、エレジ-という言葉が流行った。日本語に訳すと、哀歌とか悲歌とか挽歌と訳される。
若い頃、銀巴里で歌っていた、北原ミレイに石狩挽歌があった。古くには古賀政男が湯の町エレジ-を作った。
浅川マキだったかな、エレジ-みたいなという歌を歌っていた記憶があるが、思い出せない
ブル-スは金の無い時に聞くと、心に残ると言ったのは寺山修二だった
忍者などの符丁で、山といえば川なんだな。しかし、山と言えば、それに反する、対する言葉は海だろうな。山には川は付き物である。山のあるところには川はある。本来、川は山から流れてくる。そして海に注ぐ。
冒頭の「あざみの歌」は戦後、爆発的にヒットした。あざみの花には棘がある。遠くから見ている分には、美しい。また歌を聞いている範囲では棘など連想しない。
もっとも、綺麗なバラには棘があると言われているように、バラにも棘がある。花屋は市場に出す際には、棘を削ってしまう
まあ、山に対して海だろうな
海も時々によって表情を変える。瀬戸内や東京湾の海は波がないんだな。まるで皿のようだな。台風や暴風では海の表情を変えるが、普段は穏やかだ。
浅草生まれの沢村貞子が、晩年、ようやく連れ合いと一緒になり、旦那が海が見えるところで晩年を暮らしたいと、湘南の海の見えるところに移った。海は色も変えるんだな。
以前、五木寛之が日本民族は山の民と海の民と二種類あると言っていた。山をよりどころとした、サンカ、山窩がかっていた。三角寛が書いていた。また海をよりどころにした海の民もいた。瀬戸内の村上水軍などであろう。
この国の神話にも、海彦、山彦が登場していた。互いに相手に対して願望を抱くが、うまくいかない。しかし、自己以外の他者には興味をもつ
都落ちと言う言葉がある。東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
大宰府は京都から見れば、東だった。西から吹けばニシカゼか。何故、ヒガシカゼをコチと読むか知らない
歌人で坊主で西行がいた。俗名は佐藤義清
願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ の辞世の歌がある
幕末の風雲児 高杉晋作はもじって、東行と言った。
三味線を抱えて、三千世界の 烏を殺し 主と朝寝がしてみたい と
まあ、戦に明け暮れた戦国さながらであったろうな
日本では、東西南北と言うな。隣の中国から渡ってきた麻雀ではトン、ナン、シャ-、ペイ東南西北だな。同じ方位でも国が違えば、言い方、調子も違うな
春夏秋冬で海や山も表情を変える。裏日本、日本海の冬の海はどんよりと暗い。同じ海でも季節や場所によって違う
みやこでは山が無い。例えば街路樹をとっても銀杏のかすかに黄色い黄葉ぐらいだな。しかし、山に囲まれた地方では、夏では考えられなかったが、街路樹が真っ赤に紅葉する。もみじと躑躅、どうだんつつじとか。
山も紅葉する。山が燃えるという表現がある。石川さゆりも天城越えで、山が燃えると歌っていたな。これは紅葉なのか夕陽、落陽なのか分からない
春になると、山が笑うと言う表現もある。亡くなった土井たか子は山が動いたと言ったが、小選挙区制度を導入した時は、衆議院議長に祭り上げられていた
そう言えば、森進一が歌った歌に阿久悠が作詞したのに、北の蛍があったな
山が泣く 風が泣く 少し遅れて 雪が泣く
森進一は唸ってるんだな。山が泣くという表現もあるんだな