風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

忖度からPCへ

2022-12-04 16:06:32 | 世評
はや師走。芭蕉は奥の細道で、月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也と記している

ひと頃、にわかファンという言葉があった。2019年のラグビーワールドカップ杯であった。世を挙げてのサッカ-だとか、猫も杓子もサッカ-だとか。ネットやテレビは言うに及ばず、新聞までがサッカ-サッカ-である

サッカ-とは蹴球だとか、球を蹴るんだな。足で頭で手抜きで蹴るんだな。バスケットボールは籠球とか、ラグビ-は闘球とか、明治期に西欧から文明化とともに、西欧文化がこの国に入ってきた。いわゆる文明開化だな。わが国には無かったものが移入された。従来の日本には無かった言葉が入ってきた。まず日本語に無かった言葉、外来語が日本語された。当時の知識人、インテリゲンジャは面白かっただろうな。まず造語を作りこの国に定着させる

俳人なども季語を一つでも歳時記に載せたら本望だとか。ベイスボ-ルも野球と命名したのは、誰だったかな。季語では無いが、正岡子規が野球を普及させたようだな。それほど明治期の文人たちは日本語を作った。今じゃ外来語は日本語化せずそのまま使うようだな。あるいは日本語化するよりも外来語の発音通りにするのが親しみが湧くとか言う輩もいるかな

とあるフランス文学者がフランスに留学したが、フランス小噺が理解できなかったと、10年では分からず20年フランスにいて初めて理解できたと。言葉とはその国の風景、人の世、風土そのものだな。そこに何年も居続けないと、その地方、国土、風土を理解できない。外交官も日本語に訳すが、その意味合いは微妙に理解できない場合が多い。意思表示ぐらいは顔を見れば分かるが、その言葉の裏までは分からない。日本語、自国語でもそう言う場面がある。ましてや外国語である

ラヂオの時代は言語、言葉であった。テレビが出た当初は頭の悪い奴がテレビ業界に行ったとか、あるいは落語協会ではテレビに出るようじゃと揶揄された。段々と言葉よりも画像に移っていった。画像はスポ-ツや料理に適している。今じゃテレビは食い物かスポ-ツだな。お笑いは食い物が主体であるので、デブが多いな。今じゃデブとは差別用語であると、食いタレとも言われている。役者はまだ役作りで、風貌が問われるので、痩せている者もいるが、所謂お笑い芸人やアナウンサー、一頃女子アナと言われていたが、カメラの前で大口を開けるのが、大口を開けて一人前のようだな

画像と言えば、インスタグラムでは画像が主体だな。テレビのスポ-ツ番組も相撲もそうだが、サッカ-のワールドカップ杯のスペイン戦もビデオ判定だった。審判でなく映像や画像で勝敗を判定する。まあ客観的と言おうか決め手にはなるかな

先日の瀬戸際大臣、いや山際大志郎経済再生担当大臣が2016年にネパ-ルに渡航したことについて「明確に覚えていないが、報道を見る限り出席したと考えるのが自然だと思う」と述べたと。映像、合成してない映像では記録に残ってるので記憶が無くても記録を尊重せざるを得ない。デジタル社会になると、記憶よりも記録を基にする世になっていくのだな。そしてデジタルとは記録を失うことはないんだな。ただその記録を出すかどうかだろうな

1960年代だったかな、黄金の七人シリ-ズがあった。新・黄金の七人7×7は面白かった。時代もあろうかな。サッカ-の全盛期だった。舞台はロンドンの刑務所、サッカ-英国杯の決勝戦に刑務所から抜け出して紙幣の印刷所へ忍び込んで紙幣を印刷してしまう。警備員も看守もサッカ-観戦でテレビの前に釘付けで偽札でなく本物の紙幣を刷っちゃう。まさにアベ晋三と共にだが黒田何某を超える紙幣を刷るんだな。丁度昔の出版界では増版増版で札束を刷ってるようだな

サッカ-とかラグビ-は西欧中心である。西欧では観客が多いのだろう。人が集まるので商売になる。オリンピックと同じだな。オリンピックは四年ごとだが、スポ-ツは商売になる。スポ-ツビジネスと言う言葉もあると。プロ、職業とする者もいる。プロは球団本位だが、国家対抗にするとより観客も増えて商売になるようだ。一種の武器のない戦争であろうな

ラグビ-に松尾雄治がいた。とある飲み屋で見かけたが口が達者なんだな。何とか何とかとポジションだったか口達者が多いと。ラグビ-はプロが無いのと聞いたら、プロがあることはあると。サッカ-人気はプロのせいかどうかは分からないが、国家対抗にすると観衆は増加するんだろうな

忖度と言う言葉がある。ソンタクと打って忖度に漢字変換する。その昔は「空気が読めない」KYと言われていた。その場の空気を読めない人とは否定的な使い方であった。相手の気持ちを読めない、相手の都合を無視する、人の話を聞かない、独善的など否定の言葉であった。忖度とは2017年の森友・加計学園問題に端を発し、ユーキャン新語流行語大賞で年間大賞に選ばれた。報道機関を通して広まった言葉であった。

空気が読めるとは、同輩に多く使うんじゃないかな。従って空気が読める、場を読めると言うことは肯定的に使われる。それに比べ忖度とは上司に推し量ることだろうな。総理は言えないから部下である手下である者が喋ると。菅義偉が総理の時に日本放送協会NHKに呼ばれて学術会議の認定拒否の理由を説明出来ることと説明出来ないことがあると

あの時は部下が居なかったから自分が言ってしまった。権力者には言えないこともあると。じゃ口に発しなければ良いのに、押し黙っていれば良いのに。説明できないこともあると。NHKのアナウンサーは部下で無いな。普段手下に囲まれていれば手下が代弁するが、一人では、また一人で自分の思いを語ることに慣れていなかっただろうな

歌舞伎役者に香川照之がいた。石油元売り最大手のENEOSホールディングスの代表取締役会長に杉森務がいた。いい中年だな、いや老年に近いかな。クラブでホステスに暴行を働いたと。世に出たのは週刊誌である。新聞よりも今じゃ週刊誌がいや昔からそうかな、政治家の醜聞も週刊誌が発生源であることが多いな

どうも組織が腐ってきたかな。周りに人はいたんだろう。被害者からの声があがり年月が経ってポツリポツリと世に出ている。周りに止める者はいなかったか。それなど忖度そのものだな。階級社会では下の者は声を上げることすら出来ない。ただ従うだけだな。突発的な行動ではなく、いつもの行動であろうな

お隣の中国ではデモンストレ-ションで白紙の紙を掲げていると。白旗でな無いな。白色だな。この国でも選挙の時に白紙は無効票の中に数えられる。可笑しなことだな。笑っちゃう。最高裁裁判官の国民審査がある。裁判官の氏名が記載され、投票者は罷免すべきだと思う裁判官の上に×印を記入すると。×以外の記号を投票用紙に記入した場合は無効となると。存続を望む裁判官には〇も記入できない。田舎じゃそのまま記入せず提出してくれと。白紙で提出せよと。議員の投票では白紙は無効となるが、最高裁裁判官の国民審査はそのまま提出しても有効となるんだな

土台議員が決めてるから自分達に都合の良いように決めていく。小生は八百屋の長さんと呼んでいるがの

沢木耕太郎がいる。テロルの決算は新鮮だった。沢木耕太郎と藤原新也は年が離れているように思ったが、藤原新也は1944年生まれ、沢木耕太郎は1947年生まれ、足立倫行は1948年生まれ、それほど違いは無いんだな。ただ戦前生まれと戦後生まれの違いだな。あの頃は海外へ飛び立った。ああいう生き方もあったんだな。沢木耕太郎は小説は書けないがルポルタージュ、トップ屋と言われた梶山季之のようなのは書けるじゃないかと思ったと。若い頃だが沢木耕太郎はルポのやり方接し方を書いてみたいと言っていたが。朝日新聞の日曜版と言おうか土曜に配達される新聞に「暦のしずく」を連載している

題材は過去の芸人を調べていくと国家権力によって死刑にされた芸人はいたかと。面白いんだな。国家が人間国宝などと奨励するのは数あまたいたが、長い日本の芸能史において、ただひとりだけ芸によって死刑に処せられることになった芸人は、その名を馬場文耕という講釈師だったと。題材が流石に目の付け所が違うな

書くと言うことは何なんだろうな。考えていくと、小生にとって書くと言うことは、自分の考えを整理することと記録に残すことだろうな

ウインドウズ11は2021年10月5日から発売されたと。小生はその当時2020年11月に購入したウインドウズ10を搭載したNECパソコンを使っていた。そして2022年6月に11へバージョンアップした。メーカ-のNECのHPでやり方を参照して成功した

ソフトウェアのエプソンはバ-ジョンアップにより、スキャナ-は読み取れなかったら再起動すれば読み取れた。エプソンプリンタ-は問題なく印刷出来た

富士フィルムビジネスイノベ-ション㈱(旧社名.富士ゼロックス)の保存ソフトドキュワ-クスは画像が欠ける現象が生じたが、F5を押すと画像は現れる。しかし原因は根本的な解決方法は現れていない

ウインドウズ11にバ-ジョンアップして負担が掛ったか、2022年10月にスカイプをやっていて、小生の声が相手に伝わらない。またウインドウズ11でのアップデ-トは更新できていた。その内jpgファイルのコピーやワードに貼り付けは出来るが開けない。メーカ-のNECに聞いたが解決出来ない。初期化するしかないかなと、初期化して解決するかどうか分からないと。しかも初期化するとウインドウズ10に戻ると。ウインドウズの問題かハードの問題か分からない

今の電気機器は少数の意見を聞くよりは、少数の故障点を懇切丁寧に解明するよりは、多数の客を相手にする。修繕より大量な比較的安い商品を売った方が利潤が出るし、メーカ-の方針だろうな

そんなこんなで、2022年11月にウインドウズ11を搭載した富士通パソコンを購入した。NECは2年で壊れたことになる

パソコンの買換えは自己流に自分に合うように構成する。初期設定でインタ-ネットへのルータ-、Wi-Fiのパスワ-ドを記入して、インタ-ネットを開通した。前はマイクロソフト社のウインドウズの認証番号を入れたが、今じゃオフィスはメーカ-によって出荷の時に導入してあるので、自分のプロダクトキ-は分からないままである

ノ-トンに繋いで遠隔操作により、インスト-ルした。メールのアドレスとパスワ-ドを記入して繋ぐ。エプソンのスキャナ-とプリンタ-のドライバ-をインスト-ルした

今のマイクロソフト社はOneDriveに誘導する。データが5GBではすぐ一杯になってします。データをユーザ-に紐づけさせた。ドキュワ-クスのダライバ-をインスト-ル。ソニ-のDSC-RX100をインスト-ル

富士通パソコンは昔30年40年昔に使っていた。その当時の登録番号が残っている。登録番号なぞは覚えていない。登録出来なかったので、遠隔操作でやってもらった

電子証明書を読み取れるICカードリ-ダを昔から使っていたが、NECではインスト-ル出来た。SCR331DI-NTTcomのドライバ-をインスト-ルしたが、ドラ-バ-をこのデバイスに読み込めません。Windowsセキュリティの「メモリの整合性」設定をオフにしてみて下さい。オフにするとセキュリティの問題が出るがまたインにすれば良いと思ったのでオフにしたら読み込めて電子証明書も読めた

しかし、一旦オフにするとオンにならない。SCR331DI-NTTcomのソフトウェアも削除出来ない。マイクロソフトオンラインサポ-トにチャットで接すると遠隔操作でやってくれると。しかも無料で。しかも遠隔操作はマイクロソフト社では二人でやると。セキュリティの問題からSCR331DI-NTTcomのソフトウェアを削除してもらった

パソコンは難しい。前のNECパソコンでバ-ジョンアップしたウインドウズ11と今度
ウインドウズ11を搭載した富士通パソコンでの同じウインドウズ11でも違うように思う。

SCR331DI-NTTcomしかり、エプソンのプリンタ-でプリンタ-とパソコンとの間の読み取りが出来ない場合がある。エプソンに問い合わせたがウインドウズ、マイクロソフト社の問題だと。一応エプソンに聞いてウインドウズ11の中を動かすとパソコンのドライバ-がプリンターに伝わる。しかしまた伝わらない現象も出ることがあるかも知れないと

パソコンでは基本ソフトはマイクロソフト社が提供している。そのウインドウズは良く分かっていないようだ。それは企業秘密であるので、全部は公開していない。今は騙し騙し使っているが、どうなんだろうな

GAFAと言う言葉がある。Google,Amazon、Facebook,Appleの4社であると。この4社にMicrosoftを加えた5社をGAFMAと呼ぶと。デジタル化を社会は進めている。しかし基本ソフトはマイクロソフト社次第であろうな。ワードやエクセルやエッジなどは自社の製品であるので、互換性は保たれている。今後ウインドウズも変わっていくだろうが、食料の自給自足は出来ていないが、IT化も他社頼みでは食料の二の舞になり兼ねないを危惧している


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2 コメント

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Unknown (ちわき)
2022-12-04 22:58:42
風の盆さん、お久しぶりですね。
お元気でしたか。
こんなに長い文章のブログを読むのも久し振り…
ああ、やっぱり風の盆さんだわ!と、懐かしくも…頭が痛くなりました。
前半の〝忖度〟はまだいいとしても、後半の〝PC〟のことは私にはさっぱり分りません。
先ず以て言葉から???なんですよ。
もちろん言葉自体はよく使われていますので、聞いたことはありますが、意味がいまいち…理解できていないんですね。要するに今のIT化に全くついていけないのが現状ですもの。今更勉強する気も無いし、たとえしたとしても頭には全然残りません。直ぐに忘れますから…だめです。
風の盆さんは新しいPCに買替えられたのならこれからどんどんブログも書いてガンバッテ下さいね。
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師走から年の瀬 (風の盆)
2022-12-06 13:32:03
久し振りです
お久しぶりとか誰かが歌っていたが、節は残っている
歌は節があるから得だな
詩歌や短歌や俳句は節はあるんだが、メロディ-はないな

まあ記憶とは各々違うが、記憶に残っているのは人それぞれだから、記録に残すのは自己にとっても第三者にとっても大事と言える

今朝お起きたらテレビの画面は普段通りなんだな
サッカ-で勝てばお祭りだが、負ければ日常が戻ってくる
選手は現場はどうだろうな
プロがほとんどだろうから、日常の球団に帰ってまたサッカ-生活が勝ったり負けたりの日常が戻るのだろう

オリンピックも4年ごとだと
以前はアマチャの祭典だったが、いまではプロも入って見せる、芸人達の見せる祭典だろうな
祭典とは見る方からで、選手はどうなんだろうな
普段はチームに属してやってるが、4年ごとに国家に戻ってにわか国家に属してやる

国家意識はあるんだろうが、プロにとれば球団の方が、傍からみると重要な気がするが、分からない
名誉もあるのかも知れない

パソコンで最近インタ-ネットでクッキ-を有効にしてとか表示が多い
これも良く分からない
個人情報は洩れないと言うが、ある程度監視されているんだろうな

しかしIT化やデジタル化は進化するが戻れないんだな

シェ-ンの画面で、カムバック、カムバック、シェ-ンと子が叫ぶがそれと同じようだな

返信が遅れた
ボチボチちわきさんのも見てみるが・・・
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