風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

コンビニ人間

2017-04-09 15:42:53 | 世評
今年の天候は不順、寒さ暑さの差が激しい。桜の開花宣言もしたが、満開まで日数が掛かった。どうも気温の変化に身体がついていかない、慣れが、慣習が通用しなくなった感がある。気温だけでなく、世の移り変わりも激しいようである。個性の多様性と叫ばれているが、掛け声だけかと思っていたが、世相は着実に変わってるようである

 先日、車の洗車をした。1時間近く待っている間に本棚を覗いた。ガソリンスタンドや車屋は週刊誌か漫画が多い。その中に、その前に「コンビニ人間」が置いてあった。数年前の芥川賞受賞作品である。マスコミ紙上には賑わしていたが、気にも留めなかった。一頃は芥川賞ぐらいは読めと言われたが、ここ数年、数十年は読んでいない

 芥川賞、直木賞は新人作家の登竜門といわれていた。最後に芥川賞を読んだのは何時だったか思い出せない。受賞作家すら思い出せない。まず頭をよぎるの柴田翔の「されどわれらが日々」かな。当時は社会現象だったな。60年安保を境にして、社会が大きく変わった。ネットで受賞作に眼を通したが、最近の受賞作家も知らない名前がほとんどである

 芥川賞であるので、薄いので洗車を待っている間に読めるかなと思い手に取った。「コンビニ人間」読み始めてコンビニの描写が巧い。コンビニの中には音がする。客とのやり取り、従業員との関係、職場でもっとも身近な者は従業員である。その従業員に影響を受ける

恋愛関係でも、身近な者に惚れることが多いのは世の常である。昨今では電子メ-ルとかで会ってもいない者に惚れることも有り得るが、多くは現実にいる身近な者から惚れるんだな

小鳥の死骸に会って、母たちは死んだ小鳥がかわいそう、お墓を作ってやろうと思うが、主人公は「お父さんが焼き鳥が好きだから焼いて食べよう」と思う場面では、思わず笑ってしまった。後で選考委員の一人の意見を拝見すると、「芥川賞の選考で笑ったものは初めてだと」

面白い発想なんだな。ちょっと考えると衛生上を考察するが、その場は衛生上よりも発想が面白い。およびもつかないんだな。しかし考えられることはある。次の場面では子供同士喧嘩をしていて、回りの者は止めさせようと先生を呼びに行くが、主人公は武器をもって両方殴って止めさせる。ぎょっとする人格である

そんな主人公が、社会に同化できない、女主人公がコンビニでは合っているんだな。社会の部品として、コンビニでは唯一とも言えるように、水を得た魚のようにコンビニの中では同化していく

音の事を言えば、最近のテレビも音楽や電子音や電話の音や、音が多い。テレビだけでなく、社会も音が気にならない社会に、人びとが慣れていく。音が無いと不安になってくるんだな

しかし、作者、村田沙耶香は結構文学賞を受賞している。文学塾にも通っていた経歴もある。この芥川賞作品が処女作でない。手に取った「コンビニ人間」は10刷だった。結構売れている。結構生産している。やはり芥川作品は売れるな、社会現象の一つだな

洗車の合間に読んだので、半分くらいしか読んでいない。ネットで筋書きを見ると、アルバイトにきた男の従業員と結婚したと。コンビニの店員を見下げていた男と同棲したと。分からないな。後半部分を買ってまで読みたいとは思わない

かって、寺山修二は「ブル-スは金の無い時に分かると」。金を出して買ってくれた人にこの本を奉げると

人に寄っては、カミュの異邦人とか、太陽がいっぱいとかに似ているとか言っている。現代社会に疎外された人物である。社会の部品にしかなれない、人は社会の部品にならざるを得ないと。しかし「コンビニ人間」には哲学がないんだな、耳に残らない。確かに笑っちゃう場面もある。お笑いの場面もある

テレビのお笑いと何ら変わらない。いやお笑いが主流になっているんだな

芭蕉が、おもしろうて やがて哀しき鵜舟かなと唄った。喜劇と悲劇は裏腹の関係になってしまう。そこの所を描ききれていないように思う。確かに、過去に何作も受賞しているので、描写は巧い

最近の新人の作は読んでいないが、この「コンビニ人間」は異端でなく、ひょっとすると主流じゃないかな。かって「オタク」と言う言葉が使われた。小生は何の意味だか理解できなかったが。今でも良く分からないが、どうも特定の趣味に没頭して、その趣味に対する知識が豊富である人物を指すようだ

サカイ引越センタ-が、出始めの頃、テレビコマ-シャルをやった。関西の芸人を使って派手に宣伝した。内容よりもまず目立つことを主眼にした。変態を前面に出した。当初は変態、下品のイメ-ジであったが、名は知れ渡った。宣伝とはまず、名前を売ることだな

政治の選挙もそうだな。まず名前だ。コイケと言えばもう八割は当選圏内だな。本来なら候補者より選挙民の方が、岡目八目になる、状況がよく見えてくるが、今じゃ選挙民が、コイケの名でコイケ劇場の演出者になっちゃうな

丁度、寺山修二や唐十郎が観客を舞台に引っ張り込んだように、テレビも選挙の候補者も聴衆をあるいは選挙民を舞台に乗せているようである


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