風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

玄人と素人

2015-11-20 17:18:57 | 世評
玄人とは誰が言い出したのだろう。

「玄」の字が使われた由来は、「黒」よりも奥深く容易でない意味合いが強い事から当てられたと言われている。

幻冬舎の見城徹が角川から独立する際に、五木寛之に社名を相談したところ、玄冬社の案があがった。しかし、玄冬と言う右翼結社が九州にあったそうな。その結果、今の社名に落ち着いたと言われている。

見城徹は五木寛之だけでなく、石っ原慎太郎にも接している。同じ生年月日であるが、考えている事は正反対。まるで見城徹が手玉にとっているようである。

一昔前には、埴谷雄高派か吉本隆明派かと言われたが、飛島で育った深夜叢書社の齋藤慎爾とは大違いだな。齋藤慎爾は埴谷雄高にも吉本隆明にも重宝がられた。


昨今では趣味は多様だな。趣味と言うか素人離れをしている。特に写真だな。カラ-写真だな。

土門拳などは待ちの土門拳などと言われたが、得てして写真は撮るまでのセットと言おうか瞬間を撮るために待ったんだな。今じゃデジタルカメラで下手な鉄砲でも数撃てば当たるんだな。

数を撃てば当たる確率も増えるし、腕も上がる。しかし、腕よりも道具の進歩が大きいだろうな。アナログからデジタルへ、素人趣味の中で、写真が一番手っ取り早いかな。

写真にしても絵画にしても構図が8割とも言われる。観光地など行くと多くの素人が写真を撮っている。その中で三脚を構えた人は一か所に集まる。彼らはどこから撮れば良いかが分かっているのだろう。

俳句や短歌も素人がやるんだな。結構良いんだな。5,7,5は難しい。慣れもあるんだな。尾崎方哉を書いた吉村昭が、若い頃療養した時に散文を読むのは疲れるので、俳句を読んでいたとか。

俳句にしても、英語にしても、作ったり言う事より、読む事、聞く事から入るんだな。数多くあたれば、眼も肥えるし見えてくる。藝術や芸能は、多く接すれば芽がでてくるだろう。
だからいわゆる二代目は、最初はポンでも長くやれば、また二代目の宿命で一生だろうな、次第に良くなってくる。

写真の道具の進歩は驚くほどだが、素人の腕が上がったのか、玄人の腕が下がったのかどちらだろうか。
一頃、相撲は素人と玄人では段違いの世界だったが、今では学生相撲あがりでも本相撲を充分とれるほどになっている。その代り草相撲や草拳闘は残っているのだろうか。

明日のジョ-の矢吹丈は一時、プロの世界から草拳闘に落ちぶれたが、今じゃあまり聞かな。近頃の餓鬼は草野球さえもやらないかな。

昔は、原っぱがあれば、三角ベ-スで草野球をしたものだがな。原っぱと言えば、株屋だった池波の正ちゃんが「原っぱ」を書いている。短編だが良い作品。上田の池波正太郎記念館で買った。

池波正太郎は日本家屋の良さを語っていた。昔の町家は当然日本家屋で障子や襖でできている。そして入り口はドアじゃない、引き戸なんだな。引き戸は第一面積を取らない。そして迷路みたいに、他人と出会わないように設計されていると。

また、食事も独特なんだな。献立表も作るし、まず自分一人で食膳につく。自分が終わったら、妻と母が食事をすると。

TBSに安住紳一郎がいる。ラヂオでは面白いんだな。好奇心が強く声も良いし、話も面白い。パンダとか味噌とかゴミとか、時々の話題が面白い。自己中心の男だが、ラヂオでは聞かせる。その上主義主張がない。まさにマスコミ受けする。

その安住紳一郎がテレビでは駄目なんだな。面白くも何ともない。同一人物かと見間違えるほどである。本人は分かっているかな。

テレビはコマ-シャルとコマ-シャルの間に番組を作る。だから細切れになる。その特性を生かしたのが大橋巨泉。それだけである。

テレビは報道番組でも細切れ。しかし、出演者には銭が入る。テレビの宣伝効果は絶大である。だから出演者には銭を払える。それは報道番組でも同じである。

しかし、素人と玄人の差が無くなった。むしろ素人は一発当てる事ができる。風俗でも一時素人が持て囃された時期があった。今じゃ、どちらが素人か分からないが。

しかし、幇間は玄人の世界だな。素人にはまねできない。

生計を成り立てる事が玄人と言うのだろうかな。法曹界の検察審査会は従来からあったが、裁判法廷にはプロ、その道を業とする者しかたてないが、必要に駆られ素人の助言を求めている。あくまでも助言である。意見である。見解である。それは参考までである。なぜなら業としていないからであろうな。

政治はどうだろうか。政治の世界ほど素人と玄人の差が無くなった。当選回数が増えれば増えるほど、玄人になればなるほど、質は落ちてくる。利権が絡んでくる。

いっその事、素人が政治をできないものか。東北の地震に限らずボランティア精神は奉仕精神はこの国でも流行にしても根付いてきたかな。

しかし、政治は違うかな。丁か半かの世界は、大衆は無理かな。小選挙区制での地盤、看板、鞄を武器にするとはいえ、渡世人の世界に似ている。受かるか落ちるかどちらかである。しかも一人しか当選しない。

自営業者には雇用保険はない。政治家はもっとひどい。落ちたらただの人である。だから元をとらなくちゃならない。

所詮、堅気の衆には無理かな。ただ桟敷から見ているだけかな。

寺山修二が職業は何ですかと聞かれたら「寺山修二です」と答えた。寺山修二が思考した舞台と見物席と街との区分をなくす事、そして政治を業としない(金銭を得ない)事しかあるまいな。




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