ははと二匹の子ザル

二人の息子と日々の色々

東北関東大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.12

2011年03月22日 | Weblog
地震の直後、一度きり電話が通じて“揺れ”での被害が無い事は確認済みでした

しかし、あの日はお客さんを乗せての釣り

海の上に居た時間

船は津波がきたら、一刻も早く沖に逃げなければいけない、津波に向かう形で

そうしなければ早い潮の流れで岸壁に船体をぶつけてしまうから……と昔船乗りのジィちゃん(私の父)に聞いた事がある

でも、それも大きい船の話

父の船外機では…………と半ば諦めていた


弟と冗談で『(湖の様な外を見ながら)こういう時こそお父さん船で助けに来ないとねぇ~』なんて減らず口聞いてました

まさか本当に助けに来るとは

これで一生頭が上がらなくなりました(笑)

三人乗りのボートに四人乗って、幼稚園を出て自分達の住んでいた家を横目にバイパスまで来た時……


東西に伸びる道 見える範囲全てが水面

石巻市の中心部は湖中の街になっていました


避難所の中学校の後ろにある土手まで来ると沢山の人と車

救急車両に救助隊

みんな水面を眺めているだけ

救助を“検討”している間に“行動”すれば……なんて素人は思うんだけどね

まっ、逃げ遅れた母が悪いんだけどさ

ものすごい数の人と車を掻き分け、土手沿いを歩き、一路父の実家のある渡波へ

その道すがら、今回の地震の爪痕の“一部分”を目にしました

その爪痕は大橋を渡り、暗いトンネルを歩き 湊・鹿妻地区に着いた時、息をのみました

折り重なる数十台の車

道路に散乱する魚

全半壊した家屋の数々……

でもこれは爪痕の“一部分”

普段なら車で2~30分の所を瓦礫を避けながら四時間かけて歩き、やっと父の実家に到着

運動不足の母には堪えたぁ

でも、寝転がれる暖かい家

この震災の中で、とても贅沢なものに思えました

暖かい部屋に暖かいご飯

そんな普通の生活がこれまでいかに贅沢だったか…

考えながら、水の恐怖の無い部屋で眠りにつきました


つづく…

東北関東大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.12

2011年03月22日 | Weblog
幼稚園に入って一息つきました

自分達だけじゃない安心感

二階なら水も上がってこないし

前日、もっとよく見ればよかった…と、何度目かの反省

お腹が空いた兄と弟

でも、この先何日ここで救助を待つか分からない………

とりあえず麦茶と柿ピーで空腹をごまかす

大人達が体力温存をはかるなか、勝手知ったる幼稚園で遊びまくる2人

こんなんで中学校に避難しておとなしく出来るだろうか?


幼稚園に避難して、少し余裕がでてくると、だんだん周りの状況が把握出来た

我が家が住んでる借家にはまだ5~6人逃げ遅れているという事

それと、近くのツルハの屋上に10人前後

オートバックスのタイヤの陳列棚の上に5~6人

その他二階建の家は二階部分に、マンションは二階以上にみんな避難状態


~この時浸水した水は、この後三日三晩引きませんでした~


人間、どんな時でもお腹は空くもので、子供ならなおさら

少しだけしか持ち出せなかった食料の中の一つ、カップ麺一個を半分づつ食べさせた

外には何機ものヘリコプター

報道なのか救助なのか分からない

分からないけど一応弟と手を振ってみる、助けかもしれないし

おやつ程度の昼食が終わり、外を眺めていた弟

『なんか名前呼ばれた気がするぅ』……と

ベランダに出て見るけど何も聞こえない

数百メートル離れたマンションの人達が手を振っている

???

!!!救助かも!!!

幼稚園前の道路を曲がって進んでくる黄色いボート

(救助ってあんなに小さいボートなんだぁ)

なんて考えてたら…………何かあのカッパ見覚えある!あの帽子も!!

『お父さん!?』

『おおっ!!』

なんと父が黄色い手漕ぎボートで助けにきてくれました


つづく~