(月夜かな?)
って位に明るかったので覗いてみたら!!
思わず父を起こし(笑)早速ブレーカーあげて階段に電気が点いた時には、やっと「復興してる」って感じが掴めた瞬間でした
父の実家はオール電化なので、電気が通るとご飯の支度も出来るし部屋も暖かい
今日も家の後片付け
毎日どこから手をつければいいのか悩みます
そして物の多さにビックリ
でも、用の無い物は無傷で残り、大事な物ほど壊れ水没してました(涙)
今日、やっと自宅に戻れました
戻れた、といっても片付けにですが…
その前に
自分の目で無事を確かめたいだろうと父が避難所に連れていってくれました
母の両親が避難している所は、母の母校です
日和山の上にある中学校
約30年振りに訪れました、こんな形で……
以外に元気で安心しました
実家は津波によって全壊
影も形もない
ちょうど居合わせた従姉妹の家も全壊
そして、旦那さんと実父が行方不明
もう生存の確率は低い
せめて亡骸でも見つかれば………
避難所を後にして、無理を言って日和山の頂上へ
春は桜の名所
ブログに一枚だけ載せた写真がその時のものです
かなり被害が少ない方かも知れません
だってあの西側はさすがの母もカメラを向ける心の強さがありませんでした
でも、これは被害の一部分だと父は言いました
地震の次の日、母・兄・弟を助ける為に自転車で市内中を駆け回った父は爪痕の大部分を見て来たのでしょう……
日和山を後にして、三日三晩水に浸かりきっていた家へ
見るも無惨
どこから手をつければいいのか……
あっちもこっちも全てが気になって
とりあえず水の被害に合わなかった物の救助
直接濡れてはいなくても、湿気と臭いを吸い込んでいて、片付けながら具合悪くなりそう
兄のカード類や小さい頃大事にしていたおもちゃ、写真類も全て水没してしまい(泣)
乾かしても復活出来そうに無い状態
全てが落ち着いたら、家が無事だった同級生から写真や学校生活の記録を借りて、コピーしたいと思ってます(涙)
~兄の1・2年生の担任だったK先生へ~
先生の所は大丈夫でしょうか?
五年生の子供達は“揺れ”による怪我人は0でした
その後、“津波”の為にみんな親戚などを頼りバラバラで通信もままならないので、数名連絡取れてない状況ですが……
みんな元気にしているそうです
もう転任されて3年以上たちますが、もし、もし当時の写真が一枚でもあったら、よろしくお願いします
人間って、欲深いですね
地区によっては子供の遺体が半数以上という遺体安置所もあるのに…
命が助かったあとは、“思い出”なんて……よくばりですね(涙)