ははと二匹の子ザル

二人の息子と日々の色々

東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.19

2011年03月23日 | Weblog

今日、やっと自宅に戻れました

戻れた、といっても片付けにですが…

その前に

自分の目で無事を確かめたいだろうと父が避難所に連れていってくれました

母の両親が避難している所は、母の母校です

日和山の上にある中学校

約30年振りに訪れました、こんな形で……

以外に元気で安心しました

実家は津波によって全壊

影も形もない

ちょうど居合わせた従姉妹の家も全壊

そして、旦那さんと実父が行方不明

もう生存の確率は低い

せめて亡骸でも見つかれば………



避難所を後にして、無理を言って日和山の頂上へ

春は桜の名所

ブログに一枚だけ載せた写真がその時のものです

かなり被害が少ない方かも知れません

だってあの西側はさすがの母もカメラを向ける心の強さがありませんでした

でも、これは被害の一部分だと父は言いました

地震の次の日、母・兄・弟を助ける為に自転車で市内中を駆け回った父は爪痕の大部分を見て来たのでしょう……


日和山を後にして、三日三晩水に浸かりきっていた家へ

見るも無惨

どこから手をつければいいのか……

あっちもこっちも全てが気になって

とりあえず水の被害に合わなかった物の救助

直接濡れてはいなくても、湿気と臭いを吸い込んでいて、片付けながら具合悪くなりそう

兄のカード類や小さい頃大事にしていたおもちゃ、写真類も全て水没してしまい(泣)

乾かしても復活出来そうに無い状態

全てが落ち着いたら、家が無事だった同級生から写真や学校生活の記録を借りて、コピーしたいと思ってます(涙)


~兄の1・2年生の担任だったK先生へ~

先生の所は大丈夫でしょうか?

五年生の子供達は“揺れ”による怪我人は0でした

その後、“津波”の為にみんな親戚などを頼りバラバラで通信もままならないので、数名連絡取れてない状況ですが……

みんな元気にしているそうです

もう転任されて3年以上たちますが、もし、もし当時の写真が一枚でもあったら、よろしくお願いします



人間って、欲深いですね

地区によっては子供の遺体が半数以上という遺体安置所もあるのに…

命が助かったあとは、“思い出”なんて……よくばりですね(涙)


東北関東大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.12

2011年03月22日 | Weblog
地震の直後、一度きり電話が通じて“揺れ”での被害が無い事は確認済みでした

しかし、あの日はお客さんを乗せての釣り

海の上に居た時間

船は津波がきたら、一刻も早く沖に逃げなければいけない、津波に向かう形で

そうしなければ早い潮の流れで岸壁に船体をぶつけてしまうから……と昔船乗りのジィちゃん(私の父)に聞いた事がある

でも、それも大きい船の話

父の船外機では…………と半ば諦めていた


弟と冗談で『(湖の様な外を見ながら)こういう時こそお父さん船で助けに来ないとねぇ~』なんて減らず口聞いてました

まさか本当に助けに来るとは

これで一生頭が上がらなくなりました(笑)

三人乗りのボートに四人乗って、幼稚園を出て自分達の住んでいた家を横目にバイパスまで来た時……


東西に伸びる道 見える範囲全てが水面

石巻市の中心部は湖中の街になっていました


避難所の中学校の後ろにある土手まで来ると沢山の人と車

救急車両に救助隊

みんな水面を眺めているだけ

救助を“検討”している間に“行動”すれば……なんて素人は思うんだけどね

まっ、逃げ遅れた母が悪いんだけどさ

ものすごい数の人と車を掻き分け、土手沿いを歩き、一路父の実家のある渡波へ

その道すがら、今回の地震の爪痕の“一部分”を目にしました

その爪痕は大橋を渡り、暗いトンネルを歩き 湊・鹿妻地区に着いた時、息をのみました

折り重なる数十台の車

道路に散乱する魚

全半壊した家屋の数々……

でもこれは爪痕の“一部分”

普段なら車で2~30分の所を瓦礫を避けながら四時間かけて歩き、やっと父の実家に到着

運動不足の母には堪えたぁ

でも、寝転がれる暖かい家

この震災の中で、とても贅沢なものに思えました

暖かい部屋に暖かいご飯

そんな普通の生活がこれまでいかに贅沢だったか…

考えながら、水の恐怖の無い部屋で眠りにつきました


つづく…

東北関東大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.12

2011年03月22日 | Weblog
幼稚園に入って一息つきました

自分達だけじゃない安心感

二階なら水も上がってこないし

前日、もっとよく見ればよかった…と、何度目かの反省

お腹が空いた兄と弟

でも、この先何日ここで救助を待つか分からない………

とりあえず麦茶と柿ピーで空腹をごまかす

大人達が体力温存をはかるなか、勝手知ったる幼稚園で遊びまくる2人

こんなんで中学校に避難しておとなしく出来るだろうか?


幼稚園に避難して、少し余裕がでてくると、だんだん周りの状況が把握出来た

我が家が住んでる借家にはまだ5~6人逃げ遅れているという事

それと、近くのツルハの屋上に10人前後

オートバックスのタイヤの陳列棚の上に5~6人

その他二階建の家は二階部分に、マンションは二階以上にみんな避難状態


~この時浸水した水は、この後三日三晩引きませんでした~


人間、どんな時でもお腹は空くもので、子供ならなおさら

少しだけしか持ち出せなかった食料の中の一つ、カップ麺一個を半分づつ食べさせた

外には何機ものヘリコプター

報道なのか救助なのか分からない

分からないけど一応弟と手を振ってみる、助けかもしれないし

おやつ程度の昼食が終わり、外を眺めていた弟

『なんか名前呼ばれた気がするぅ』……と

ベランダに出て見るけど何も聞こえない

数百メートル離れたマンションの人達が手を振っている

???

!!!救助かも!!!

幼稚園前の道路を曲がって進んでくる黄色いボート

(救助ってあんなに小さいボートなんだぁ)

なんて考えてたら…………何かあのカッパ見覚えある!あの帽子も!!

『お父さん!?』

『おおっ!!』

なんと父が黄色い手漕ぎボートで助けにきてくれました


つづく~

東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.11~ 12

2011年03月20日 | Weblog
床上浸水してから夜明けまで

長い夜でした

母の体重のせいで押し入れが壊れたら…と不安で、母は一晩立っている事を決意

じわりじわり水位が上がる恐怖

その水の冷たさで足の感覚が無くなり、体温も奪われる

唯一よかった事は、物置に“胴長”があった事

濡れずに済みました


朝が来るまで

朝が来るまで!


静かに忍びよる津波の恐怖

津波の恐怖は、あの大波だけでは無い事を身を持って体験しました


待ち遠しかった夜明け

水は家の中で膝上位

外に出ると胸の辺り

道路まで出たら、身長160cmの母がすっぽり沈む位……

弟を兄に頼み幼稚園に移るべく、移動できるか調べに行きました

幼稚園には近所の一家5人が中に入れず、外の非常階段で一夜を過ごして居た

よく調べてみると逃げ遅れた人用に鍵を一ヶ所開けていってくれた様子

そこから中に入り5人を中に入れて、兄と弟を連れてくる為に又家へ

兄と弟を「濡れず」に移動させる為に………

ホームセンターで売っている、外置き用?の灯油入れ?

灯油のポリが4つ入るタイプのやつ

中身を出して弟入れて水に浮かべてみたら……

バッチリです!

時間をかけて幼稚園まで慎重に運び、濡れずに幼稚園に到着しました

でもいちばんの心配は兄

弟の倍の体重だから

しかし!何とかギリギリ浮きました!!

無事2人を幼稚園にあげて、その後家と幼稚園を何往復かして子供達の着替え、カセットコンロ、ガスボンベ、タオルに毛布、少しの食料を運び入れました

東日本大震災  ~宮城県・石巻市~ 3.11

2011年03月20日 | Weblog
家の中はメチャクチャ

座敷のタンスは転倒防止の突っ張り棒のおかげか倒れずに済んだ

大きい家具の転倒は奥の部屋のタンスとスチールラック

転倒防止、何もしていなかったから

“揺れ”の被害が多かったのは台所

流し台の上のもの(調味料類)は全て落ち、冷蔵庫と洗濯機が移動

食器棚のなかで皿が割れて、その勢いで飛び出した欠片が散乱

ちょうどコンロ上にあった天ぷら鍋が余計に台所を悪化させた感じ

茶の間は棚の上の軽いものが全て落ちました

しかし、テレビは転倒を免れ無傷


この時点で片付けていれば、その後の被害が少なく済んだのに……

『後悔先にたたず』です

停電になったから電気とテレビが見れる車の中に移動

車の中に居ても余震は強く、家の中を片付けたくてもほんの数メートル離れるだけで不安顔をする2人が可哀想で、片付け止めて三人で居る事にした

ふと気付くと道路に水が……

(……そういえば、「大津波警報」って放送してたようなぁ~「避難」しろって言ってたようなぁ~)

(まっ、ここは川から少し離れてるし、いっても床下位かな?)


完全に油断して、甘い考えでした

外はだんだん暗くなり、水はだんだん増えてくる

どうしよう………………

この優柔不断さが命取り

迷っているうちにとうとう車の所まで水が!

急いでジャンパー重ね着させて家の中へ

弟を押し入れの上の段に寝せて、母と兄がその下に寝ました

地震発生から5~6時間

気を張っていて疲れてたせいか寝てしまった母


『チャプン』

耳元の水音にビックリ!!

寝ぼける兄を叩き起こし、押し入れに上がらせて青くなりました

床上浸水です


つづく……

東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 3.11

2011年03月20日 | Weblog
2011年3月11日


弟の幼稚園に1時にお迎えに行き、いつものように園庭で遊ぶ

30分位で帰りの音楽がなり、遊び足りない子供達は近くの公園に移動

この日、五時間授業で早く帰る兄の為に2時半頃家に帰った

家に着き一息ついた時…


悪夢の様な時間

大地震が起きる事は十分覚悟していた

でも、『まっ、大丈夫だろう』って気持ちも持っていた


午後2時46分


長い長い揺れだった

最初は

ガタン カタカタカタカタ

2~3秒後

ゴォ―――!

地鳴りとともに激しい揺れ

弟を茶の間のテーブルの下に避難させ、母は揺れで締まりそうになる玄関扉を必死で全身で押さえてた(立ったままで)

長い長い時間の様に思えた

扉を押えながらも、どこか冷静に観察している自分が居て…

(あぁ、これが今回の宮城県沖地震かぁ)

(十歳の時経験したものよりかなり大きいなぁ)

(あっ、皿割れた!うゎ~、電子レンジ落ちた音かも~)

(これで何日停電になるかなぁ)


…………………なんて

呑気に考えてました


この後、地獄のような一晩を過ごす事になるのに…


揺れは一度おさまりかけて、また大きく揺れた

その地震の2波の途中で車のエンジンをかける

学校に居る兄を迎えに行く為に

兄の学校は北上川の河口沿いにあり、家からだと津波に向かって車を走らせる形

でも、自分の子供がそこに居るなら向かうでしょ

親なら

もし死ぬ事になるなら、子供達(兄と弟)を抱きしめながら……ってね

幸い渋滞する前に兄に会い、すぐに家に帰る事が出来た

我が家は川から少し離れているので直接的な津波の大波の被害は免れた……はずだったのに……


つづく…