我が家で育てている千両を、お正月に切り花にして飾ろうと楽しみにしていました。ところが、花は咲けども実が全く出来ません。
そんな事情を知って、隣人が昨日たくさん実がついた千両を持ってきてくださいました。
今年のお正月の花は、例年していたような松、梅、花は添えずに、この千両だけを活けることにしました。
そう思ったのには理由があります。
数日前TVで、地方の高齢のおばあさんが手ずくりのおせちを紹介していました。
どれもこれも素朴で、私にとっては昔懐かしい母の味とも言えるおせちでした。
TVの料理番組でレクチャーしている、凝った飾りをする豪華なものとは真逆でした。
昆布巻きの芯はニシン、ハゼなどの魚類では無く竹輪とアゲです。
黒豆は少し皺が寄っていましたが、皺などいちいち気にしない、年季の入った人が自信を持って作ったものに見えました。
我が家では、ここ何年もの間、料理店の形の整った見栄えの美しいものを誂えて満足していましたが、本当にそれが良かったかと疑問を感じました。
そして昨日、いつものスポーツのサークルでおせちの話題が出た時その話をすると、80歳の男性のかたが、まさに私と同じ感想を述べられました。
そして更にその男性が「お花もそうだよ、いろいろ豪華な花をたくさん活けなくても、千両なら千両、梅なら梅だけ1種類を活ければいい」と。”目からうろこ”でした。
今朝、私が千両をいただいたことはこの男性は知りません。偶然というには出来すぎて、やはり目に見えない誰か(何か)がシナリオを書いているのでは、と思ったほどです。
そして今年の我が家の正月の花は、この千両だけを私の母が好んで使っていた赤い花瓶に活けたのです。