休暇村のホテルから半時計回りで、観光。
■毒ガス研究所跡
ホテルの隣に位置します。
毒ガス製造の研究室と薬品庫、検査工室として使われたそうです。
中には入れず外観のみの見学です。
入り口のドアガラスから中が見えました。
物置になってたのかな。
休暇村が整備された頃、宿泊施設として利用されていたこともあったそうです。
■毒ガス資料館
毒ガス研究所跡の隣に位置します。
こちらは入場しての見学ができます。
入場料は150円、券売機で購入します。
写真撮影は出来ません。
毒ガスの歴史的遺産が紹介・展示されています。
戦時中、何故ここが毒ガス製造の地になったのか、何故大久野島が地図から消えたのか、何故戦後になっても毒ガス製造のことが公にならなかったのか…などがわかります。
毒ガス製造のマスクやヘルメットなどなど…これでは毒ガスを浴びてしまう、というくらいの品質。
たくさんの犠牲者が出たことは推測できます…
日本軍が毒ガスを製造していたことは、1984年まで日本ではほとんど知られていなかったそうです。
これは私の勝手な推測ですがー
この事実が戦後すぐに世界に知られていたら、戦後補償はかなりの負担になり、日本の復興の大きな足かせとなり、また関わる多くの人が戦犯となっていたかと。
アメリカとしてもこんなこともやっていたのか、と戦後処理中に悩んだのでは…
で、隠しちゃえ〜って感じ💦
外に展示されている陶磁器製毒ガス製造器具。
こちらは撮影可能でした。
製造設備の主要な部分は、薬品に反応せず熱に強い陶磁器が利用されたそうです。
戦後、ほとんど焼却、処分されましたそう。
こちらは残ったのか、残されたのかわからないけど、当時の設備の一部。
タンク、反応釜の蓋、斧、反応器、導管、バルブです。
毒ガスの悲惨な歴史を後世に伝えるため、永久に保存するそうです。
続く…