大晦日、2022年も今日でゆく。
大掃除もどきの窓拭きなどは3日前に済ませた。晦日の昨夜は音楽番組のTVをつけっぱなしで、気になって一度も着てないダウンジャケットのフードをカスタマイズした。そのついでに、この前手に入れたハイネックの丈も短くし絞り紐を付ける。さらに、もう一着のダウンの丈も直した。
なので、今日は御節を作っている。4日前から塩抜きした数の子は昨日から出汁に漬けた。出汁巻き玉子、揚げ物、煮物、肉料理、寿司などを作ろう。まだ、コロナの後遺症で味覚が半分ぐらいしか戻ってくれてないから、ちょっと厄介。
でも、料理中は他のことを考えなくていいので楽しい。
夕方になれば、紅白をBGMにしながら年越し定番のすき焼き。スルメとみかんでも頬張ろう。そして、年越し蕎麦ならぬ年越しラーメンを食べよう。娘に貰った鴨ローストのガラでとったスープはもう3日も煮詰めてある。醤油味のスープは超絶うまい。チャーシューも煮卵も仕上がってる。
晩酌などしないのだが、どぶろくも用意した。(笑)
さてさて、ゆく年2022年は、ロシアの侵略戦争に世界が振り回されたままの1年となった。
国連の最高機関で世界の平和と安全の維持を果たす安保理。その安保理の常任理事国ロシアが、素知らぬ顔で侵略戦争をやる。ずっと無差別殺戮を繰り返す。そんな想定すらされていなかったのか、安保理常任理事国が侵略戦争をやりだしたとき、国連の安全保障が機能しないことをさらけ出した。
プーチンの戦争は、新たな冷戦の始まりだけじゃない。世界大戦への危機すらある。「人類は本当に愚かなのか、それとも賢いのか」そんなことが突き付けられた2022年だった。
この国の旧統一教会に揺れた1年を振り返っても、「ひと」は愚かなのか賢いのか、それぞれに問われた年でもある。
くる年、2023年はどんなシナリオが用意されているのだろう。
「人の運命は変えられる」京セラ創業者の稲盛さんの言葉だ。危機が来たということはこれまでの過ちが清算されたということ、だから絶好のチャンスが来たということなのだという。そうやって経営危機の試練を乗り越えてこられた。
世界が戦争の危機を乗り越えられるとしたら、危機を好機と捉え「運命」を変える行動を世界中の人々がとれるかどうかにかかっているみたいだ。
人の運命も、世界の運命も、変えられるのは「ひと」でしかない。
くる年、2023年が世界中のすべての人々に佳き年でありますように。