
内陸の都市なのに四方を湖に囲まれていたようです。ふたつの橋の架かっている、巾の広い
ほうの運河の向こうに、パラッツォ・デル・テ( Palazzo del Te)らしき建物があります。
なるほど、これなら離宮です。(でも、何だかちょっとプランが違うような、、、)離宮の
後背の湖と手前の運河は、後世に埋め立てられてしまったようです。
第二次世界大戦の時のマントヴァの空中写真(1944)湖の湖水がありません、、、。堰を破壊
でもされたんでしょうか、、、? 上の古い地図に合わせて、右を北にしてあります。

左上に パラッツォ・デル・テ( Palazzo del Te)が見えます。
この場所が現在のミンチョ Mincio 川を堰き止めて、Lago Inferiore インフェリオーレ湖に
している場所だと思うのですが、当時(12世紀)はどうやって堰き止めていたのでしょうか?
もしかして北から南に流れているデヴェルシヴォ ミンチョ川(拡大すると名前が出ます)は、
サイフォン式に農業用灌漑水路(?)の下を潜っているんでしょうか、、、?
第二次世界大戦でマントヴァは爆撃されてしまいます。
(1944年。爆撃したのは連合国軍側?)

ムッソリーニ Mussolini が、マントヴァで演説する動画があります。

1分15秒あたりから、下のカウンターだと00:11:44:00:0
たぶん、Palazzo del Capitano の真ん中のバルコニーだと思います。

ファシストの人は、バルコニーで演説するのが好きだったようです、、、。ゴンザーガ家の人々
も、その当時に建築家だった人たちも、まさか何世紀も後に、ファシストの人が演説すると思っ
て造ったのではなかったんでしょうけれども、、、。
このバルコニーが、何故ケージのような鳥籠みたいになっているのか、良く判りません、、、。
(イタリア語で『La Gabbia』と言うみたいです。何かの刑罰施設なのでしょうか?)

こんな感じかな?

一ヶ所だけ裏に抜けられるようになっています。

この右の鉄格子がそうだと思うんですが、、、

裏にまわって、Piazza de Pallone (Piazza lega Lombarda)から見ると、こんな感じ。

マントヴァ(Mantova)の Palazzo del Capitano その3 につづきます