住宅の設計の仕事をしていると、まれに、『娘が家から出て行って帰ってこない家』がある。
プランをみると、『女中室』という、今どき放送禁止用語みたいな室名の部屋があって、その
隣には、何故か15~16畳くらいの、使用目的のはっきりしない広い部屋があったりする、、、。
でも、もちろん『女中さん』なんて、雇ってもいないし、雇う予定もない、、、。
『出て行った娘』と言っても、18とか19じゃなくて、たぶん、もうオバサンで、子供(建て主
さんの孫、もしくは、建て主さんが 兄or弟 の場合は、甥っ子か姪っ子)が、いるのかいないのか
さえ判らないし、たとえいたとしたも、何人かさえ判らない、だから、何人いても良いように、
15~16畳くらいのガランとした部屋なの、、、。
それでも、建て主さんである親(もしくは、兄 or 弟)は、娘(もしくは、妹 o 姉)が、いつ戻っ
て来ても良いように、新築の家にそんな部屋を用意する、、、。いや、いつか戻ってきてほしいと
思っているんだと思う、、、。(『娘』、もしくは『妹 』 or 『姉』、にしてみれば、いまさら顔
を合わせることも出来ない、何かの『いきさつ』というか『事情』があるんでしょうけれど、、、。
逆に、今は行方も杳として知れず、音信もない息子、または兄か弟のために、新築の家に1部屋を
用意しましたなんて話は、見た事も聞いた事もない、、、。家族というのは、いとも簡単に壊れた
り、無くなったりするものなのです、、、。)
折口信夫さんの生まれて育った家は、当時の大阪府西成郡木津村(今の大阪市浪速区敷津西1丁目)
で、芝居小屋や寄席のあった、難波千日前とか道頓堀や日本橋は歩いても近くて、子供の頃の折口
少年は、その当時の大阪で大人気だった、説教節や人形浄瑠璃や娘義太夫などを、よく見に行って
いたようです。(日清日露戦争の頃、1900年前後くらいかな? SNSやTwitter、テレビやインター
ネットなどの今の時代では、考えられないような『奇跡の時代』!『奇跡の環境』!)
左下の赤い印『鷗町公園』のあたりが、当時の大阪府西成の木津
当時、説教節の中でも定番の人気だったのが『小栗判官(おぐりはんがん)』だったらしくて、、、
小萩(照手姫)が、餓鬼阿弥(小栗判官)の乗った土車を、橋の上で押してる(引いてる?)の図
『小栗判官』では、死んだり生き返ったり、鬼の餓鬼阿弥になったり、喋られなかったりだったのは、
男子の小栗判官の方だったのですが、最近の大人気アニメ『鬼滅の刃』では、鬼になったり喋れなかっ
たりするのは、主人公の竈門炭治郎の妹の『禰󠄀豆子』みたいなんです。『小栗判官』と『鬼滅の刃』
では、兄と妹が入れ替わっている、、、?
『妹の力』その4 につづく
おまけ 内田樹さんの『鬼滅の刃』論 http://blog.tatsuru.com/2022/02/23_0847.html
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