新潟県立文書館にある『桶師匠から弟子へ旦那場を譲る』の証文とされる文書です。
延享元年(1744)に、現在の上越市吉川区(当時の平等寺村)の桶屋の師匠の彦次右衛門
という人が、弟子の久右衛門が桶作りの修行の年季も明けて一人前の職人になったので、
自分(彦次右衛門)の『旦那場』(得意先、旦那筋、得意場)を、弟子の久右衛門に譲りま
す、という内容のようです。(でも誰に宛てた証文なんでしょうかね、、、?それにして
も江戸時代の新潟の桶屋の親方って、ずいぶんな達筆なんですね、、、。)
さて、この『旦那場』つて良く判りませんよね。得意先、旦那筋、得意場、とありますけ
れど、Web上の建築用語辞典 http://www.kenchikuyogo.com/311-ta/058-danna.htm に
『旦那場』として、次のようにあります。
旦那(場)(だんな:ば)
建築に精通して増改築が趣味である人など、建築主である発注者のことを敬って
いう言葉。上得意の建築主の現場を旦那場という。職人達も各自の腕が試されたの
で緊張した。最近では建て売りなどが増えて、建築主と職人の接触が減ったので、
旦那という言葉も遣われなくなった。
今はもう、村野藤吾さんに和風建築を教えてくれた泉岡宗助さんのような『旦那さん』は
この世の中には居やしません、、、。
職人言葉なんでしょうけど、今の大工さんで『旦那仕事』なんて言う人はいないと思いま
すし、『野丁場』とか『町場』とか、仕事の種類を別けて言うようなことも、少なくなっ
て来ていると思います。
でも、それとは違う『旦那場』と言う言葉の使い方があるみたいなんです、、、。
この『旦那場』と言う本の中に
『旦那場』(職場または下場「したば」)以外に、『勧進場』(上場「うわば」)とか、
『草場』とか、『芝(場)』とか、『庭場』とか、いろいろな『○○場』が出てくるんで
す、、、。
(この本の中には出てきませんが『厄場「やば」』(牢屋の事)と言うのもあるみたいで
す。他にも『鉄火場』とか『やっちゃ場』とかも言いますよね。)
で、その総元締めみたいな人が、すくなくとも関八州(今の関東7都県)と伊豆半島と山梨
の東の一部と福島の白河のあたりの県南では、この人だったらしいのです、、、。(一部
の天領、直轄地は除く。)
伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その4 につづく
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