産屋と書いて「うぶや」と読むようです。待屋とも対屋とも書くようです。(読みはどち
らとも「たいや」のようです。)京都府の綾部に遺構が今でも残っています。
この中で出産をしたらしい。(最後は昭和23年。)
集落と川を挟んで対岸にポツリとあるようです。
全体の景観はこんな感じ。(中央やや左下に「産屋」があるの判りますか?)
同様の建物は瀬戸内海の島にも残っているらしい、、、、綾部の場合、集落から対岸に渡
るのに、その時だけ「仮の橋」を架けたらしい。(簡単な橋だったのか、誰がこしらえた
のか?)東京都下の淺川の支流には今でも住民が自分達で、大雨のたびに流されても架け直
す「不法の橋」があるらしい、、、水上勉さんの両親が若狭本郷の「さんまい谷」の川に
流されても流されても架け直した、自分達家族だけが渡る木の橋の話を思い出す。
追記 淺川の橋のYoutube見つけました。
(写真と図版はインターネット上のものをお借りしました。すいません。)
もう1つ
追記の追記 神武天皇のお父さんの名前は「ウガヤフキアエズノミコト」と言うのだそ
うですが、『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこ
ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、『日本書紀』では彦波瀲武
鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と書くよう
です。これは『産屋の屋根を葺く前に生まれてしまった子供』という意味
なんだそうですが、何だか意味深ですねぇー、、、。
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