1936~39年のスペイン内戦 Guerra Civil Españolaの時、バルセロナはフランコ派と
対立する共和派の拠点だったため、1938年にマジョルカ島を飛び立った、フランコ派を
支援する枢軸側のイタリア空軍に、空爆されてしまいます。
南から北へ絨毯爆撃したイタリア空軍の爆弾が、Plaça Sant Felip Neri (サン・フェ
リペ・ネリ広場)に落とされてしまいます、、、。
教会のファサードの外壁の下の部分に、空爆の痕が見えます。ですが、この写真の時点で
、Carrer del Montjuic del Bisbe (司教のモンジュイックへの道?)の、アーチ状
トンネルの上の建物は、既になかったように見えるのですが、、、。樹木も横一列に植え
られて、それまで建物があったであろう位置に樹木が2本はあります、、、。教会の右側
の塀の位置には、現在、学校のような建物(教会と同じような高さ、同じような材質の石)
、そして、その出入り口があります。
左に、バルセロナ大聖堂の塔が見えます。その下の通路が、Carrer del Montjuic del
Bisbe (司教のモンジュイックへの道?)です。中央の水盤は見えません、、、。右側の、
現在はホテルになっている建物の、暗く影になっている先が、 CARRER DEL SANT
FERIP NERI サン・フェリペ・ネリ小路 です。
この写真が、被爆直後のものなのか、それとも、被爆後しばらくした何かの工事中のもの
なのか、よく判りません、、、。(工事中なら足場がないのはおかしいし、、、。)樹木の
配置が、上の写真と合わないような気もするのですが、、、。樹木たちが被爆しているの
は、間違いないと思います、、、。(この辺りは、このブログの 2014-10-09 の記事
『固いものと柔らかいもの』を参照して下さい、、。)
広場は、午後になって学校の扉があくと、子供達が大勢出てきて、あっという間に遊び場
になってしまうのです、、、。
3分すぎに、CARRER DEL SANT SEVER から バルセロナ大聖堂のクロイスター中庭が
見えて、左の建物の壁の標識に CARRER DEL SANT FERIP NERI 、サン・フェリペ・
ネリ小路 と読めるシーンあります。
おしまい、、、
追記 学校は、Escola Sant Felip Neri と言う名前のようです。あの扉のむこう
に、こんな学校があったなんて信じられません、、、。すこし長いですけど、
学校の紹介ビデオです。
『Learn More』をクリックするとビデオが見られます。
追記の追記
林達夫さんと久野収さんとの対談の中で、イタリアなどのラテンの国
では公園や電車の中などで親子連れに出会ったら、まず子供を『可愛
いお子さんだ』と褒める、子供を大切にする文化・習慣があるのだと
紹介されていたと思います。Escola Sant Felip Neri学校のビデオ
を見ると、大人の先生達が根気強く子供達に愛情を持って接している
様子が伺えます。何が大切で何が大事かを判っている感じです。色彩と
かデザインだけを見ても、子供の頃から、このように接しているかどう
かの違いは、日本の国の街とか道路とか車を見るだけでも歴然です。
保育園や幼稚園でも、日本の役所は一人当たりの園舎の面積とか園庭の
面積とか、採光面積とか、基準ばかりで中身があるように思えません。
最近の「森友学園」の報道など見ても愕然とするばかりです。
この国では「愛国」か「愛国」でないかに関わらず、子供達が大人達の
「出汁(だし)に使われている」だけかも知れないのです。 2017 0416
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