北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

六角獄舎つづき

2018-05-31 10:08:57 | 日記


六角獄舎の配置図などの図面は、インターネットの中ではなかなか見つかりません。

『京都御役所向大概覚書』という文書?に配置図があるようなのですが、、、。



『江戸時代の刑罰施設』というサイト https://www2.hp-ez.com/hp/bunsei/page15/1?

に、六角獄舎について次のような記述があります。





 牢屋敷の規模について『幕末京都史跡大事典』「92 六角獄舎の跡」に、

『雑色要録』から次のように引用紹介している。



   牢屋敷地面建物間数之事
 
  宝永六丑年、三条新地ニ被造立之事
 
  一、牢屋地面 東西三十八間、南北二十九間、此坪数五千百弐坪
 
  一、練塀之内 東西三十一間、南北廿四間、 此坪数七百四十四坪
 
  一、本牢 東西八間、南北五間半
   (内訳は以降略)
 
  一、切支丹牢、東西五間半、南北拾壱間
 
  一、女牢  東西四間半、南北五間
 
  一、上り場 東西五間、南北六間
 
  一、口聞所 東西四間半、南北二間 畳数 十四畳
 
  一、拷問所 壱間四方の拷問所
 
  一、木馬弐ヶ所
 
  一、会所  東西二間、南北六間
 
  一、番所  東西二間半 南北五間半”
 
  その他、中門、表長屋門、牢賄所、外番所、簀戸門などがあったと記されている。




 規模を較べると


江戸 伝馬町牢屋敷   2618坪

長崎 桜町牢       744坪

京都 六角獄舎     5102坪


ですから、全体の敷地自体は相当に広いようなのですが、練塀に囲まれている牢屋の部分

は747坪ですから、練塀に囲まれた部分の面積比では、桜町牢の練塀内の2倍くらい、伝

馬町牢屋敷の練塀内の半分くらいの面積でしょうか、、、?



最後に『中門』とあります、、、。



(どうして江戸では『中門』が出てこなくて、京都と長崎では『中門』なのかは良く判り

ません、、、。『木馬』『簀戸門』と言うのも何の事なのか良く判りません、、、。)





このブログの『一条戻橋』の記事に


  でも『女大工』が一条戻橋の近くで、『青屋大工』が壬生寺の近くって事は、両方と

  も堀川の近くで、今だったら2kmちょいしか離れてないんです、、、。


と書いたんですけど、六角獄舎はちょうど一条戻橋と壬生寺の中間の、壬生寺寄りの立地

で、やっぱり堀川の西側なんです、、。『青屋大工』が六角獄舎の造作や補修に関わって

いたとすれば、相当な職住近接だったはずです、、、。



(二条城と西本願寺が、どうして堀川の西側なのかは、いまだに良く判らなくて謎なんで

す、、、。二条城の場合は、御所に対抗する近くて広い敷地が堀川の西側にしかなかった

からなのか、、、?はたまた、そこに住んでいた人々を強制的に追い出しやすかったから

なのか、、、?西本願寺の場合は、やっぱり堀川の西側が好都合な別の理由があったのか

、なかったのか、、、?西本願寺には、どうして最古の能舞台があったり、飛雲閣みたい

な数奇屋建築が建っていたりするのか、、、?白書院とか黒書院って、お坊さんが考え付

いたりしたんでしょうか、、、? )







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