その本家本元の立派な大山祇神社のある島と同じ瀬戸内海の島、広島県呉市から車のま
ま行ける倉橋島の桂浜に桂浜神社はあります。
松林の浜辺の鳥居から社殿への階段下を見たところ
鳥居をくぐり抜け、石造の小さな太鼓橋から社殿への階段を見たところ
この写真の中央上に、海からすぐ浜辺の松林の中に立っている鳥居が見えます。
島の道路が、社殿への階段と浜辺の松林の中の鳥居のあいだを走っていて、
クリークにかかる石造の小さな太鼓橋が見えます。
このクリークは日本初の西洋式造船ドックにつづいていて、、、
今は「船溜り」のようになっています。
ここは僕に、網野善彦さんや沖浦和光さんの著書に出てくる『海民』を強く意識させる
場所です。おそらく呉での近代の造船の技術には、それまでの和船の船大工の技術が相当
つながっていたでしょうし、重源の瀬戸内海での勧進普請にも、和船の船大工がかかわっ
ていたのではないでしょうか?
社殿への階段なのですが
写真では判りずらいのですが、両側はかなり急峻に切り立っていて
上がりきった社殿のある場所は「馬の背」のように狭くて、「舌状の丘陵の端部」などという
ものではありませんでした。
朝起きて、こういうところを散歩できたら、幸せですねぇ、、、。
ま行ける倉橋島の桂浜に桂浜神社はあります。
松林の浜辺の鳥居から社殿への階段下を見たところ
鳥居をくぐり抜け、石造の小さな太鼓橋から社殿への階段を見たところ
この写真の中央上に、海からすぐ浜辺の松林の中に立っている鳥居が見えます。
島の道路が、社殿への階段と浜辺の松林の中の鳥居のあいだを走っていて、
クリークにかかる石造の小さな太鼓橋が見えます。
このクリークは日本初の西洋式造船ドックにつづいていて、、、
今は「船溜り」のようになっています。
ここは僕に、網野善彦さんや沖浦和光さんの著書に出てくる『海民』を強く意識させる
場所です。おそらく呉での近代の造船の技術には、それまでの和船の船大工の技術が相当
つながっていたでしょうし、重源の瀬戸内海での勧進普請にも、和船の船大工がかかわっ
ていたのではないでしょうか?
社殿への階段なのですが
写真では判りずらいのですが、両側はかなり急峻に切り立っていて
上がりきった社殿のある場所は「馬の背」のように狭くて、「舌状の丘陵の端部」などという
ものではありませんでした。
朝起きて、こういうところを散歩できたら、幸せですねぇ、、、。
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