北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その12

2015-11-10 13:13:55 | 日記
「愛されない能力」って何なんだろう?と考えていたら、もしかしたら「愛されない建築」って言う

のもあるんじゃないのかな?と思い至りました。(なんたって設計商売なもんですから、、、。)


この『「喪われた悲哀」と「愛されない能力」』の休憩で入れた、村野藤吾さんの広島世界平和記

念聖堂は、広島の幟(のぼり)町の、その場所に建っているだけで「ありがたい」、渡辺一夫さん

の言うところの「なくてはならなぬ存在」そのもののような建築なのです。(そうでない建物は、

その場所にたまたま建っていて、ただ場所を塞いでいるだけの「場所塞ぎ」とでも言いましょう

か、、、) 残念ながら日本では、こういう建築って本当にめずらしいんです、、、。なかなか

ないもんなんです。(もちろん「愛して頂戴建築」ではありませんし、「媚びたり」なんてしていま

せん。)




                         http://arch-hiroshima.main.jpより




僕も含めて、どうしても日本人の設計する建物は、揃うべきものは揃って、きっちり納まるべ

きものはきっちり納まって、同じ間隔のものは同じ間隔で、平らのものはどこまでも平らで、

してはいけないと言われている事されている事はしてません、同じものはどこまでも同じで

す、建て主さんの要望を全て組み込んだのに何がいけないんですか? 関係法規は全て満たして

います、みたいな設計になりがちで、まるで「無意識に自分から査問されているような設計」、

「無意識に自分から査問されているような建築」になってしまっていないでしょうか?

まだまだ他に、もっと大事な事がたくさんあるような気がするんですけど、、、。


国立競技場のアイデアコンペ?プロポーザル?でも敷地からはみ出して要綱を無視していたのは

ザッハさんの案だけでした。それにしても、よく選ばれました、良いかどうかは別として。

旧(今となっては、、、)霞ヶ丘陸上競技場の建物も、子供の頃には「無骨なだけのコンクリート

建築」に思えましたが、建築の設計の仕事をしてみると、コンクリートの柱と梁の納まり方や、

そのプロポーションなどが、それなりに気が遣われているのが判って、特に






この写真の右の道路の先、あきらかに歩道の上にオーバーハングしている下を、自転車で千駄

ヶ谷駅の方から走るのが好きでした。(夏は涼しいし、公園だから特別扱いで、歩道だけど道

路扱いではなかったのかな? とにかく東京では、この場所以外に建物が歩道の上にオーバーハ

ングしている下を歩いたり走ったり出来る場所はなかったような、、、) 少なくとも最後は、

僕にとっては「愛されない建築」ではなくなっていたのです。(だとしたら建築としての「最後の

野辺送りの仕方」もあったでしょうに、、、。こんなところにも、日本人の「喪われた悲哀」の

何かがあるのかも知れません、、、。)



やっぱり赤ちゃんや子供の頃って、いろいろな意味で大事なんですねぇー、、、。我が家の坊

主が二歳か三歳の頃、当時としても奮発して「例の積み木」買ってはみましたけど、、、












小学校も3年くらいになると、DS3だかPS2だかで遊び始めちゃって、「設計士なんて貧乏だか

らイヤだ!」です、、、。世の中、そんなに甘くありません、、、。






         これで長かった『「喪われた悲哀」と「愛されない能力」』は終わりです。




追記    「愛されない建築」および「場所塞ぎ」と思われる建築の、個別・具体の名称・写真

      は載せませんので悪しからず、、、。



追記の追記   「無意識に自分から査問されているような設計」に反発したのか、反動が強過

        ぎたのか、最近は糸の切れた凧(たこ)みたいに「グニャグニャ」だったり「アミ

        アミ」だったり「格子だらけ」だったりで、何だか大変みたいです、、、。




























コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「喪われた悲哀」と「愛され... | トップ | メディチ家礼拝堂(Cappella ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿