建築科の1年になった時、部活の同級生から、『小山君は、人畜無害・無味無臭だね。』と
言われてしまった、、、。その頃は『大学デビュー』なんて言葉もなくて、『陰キャ』も
『陽キャ』もない時代だった、、、。ある日の夕方、大学からの帰り、新宿駅西口の地下広場
(その頃は、まだ『地下通路』という呼び方は、通用していたような、していなかったような
、、、。)を、山手線から、実家に帰る京王線に乗り換えようと、一人で歩いていたら、、、
いきなり声を掛けられて『勧誘』されてしまった、、、。
『あの、すいません。僕たち合唱やっいて、今年の暮れに「レクイエム」ってのを歌うんです
けど、○○○フィルハーモニーと一緒にやるんです、凄いでしょ!でも団員が足りなくて困って
いるです!貴方!どうですか?僕たちと一緒に「レクイエム」を歌いませんか!?』
『歌いませんか!?』って、いきなり言われても、こっちは自慢じゃないけど、小学校で唐沢先生
って女性の先生から音楽を教わって以来、ずーっと2で、中学校でもやっぱり2で、高校に入って
本当は選択で美術を取りたかったけれども、2次募集の合格で美術は満員、あえなく、また音楽
で、やっぱり成績は2、、、。だいいち日本人の子供にとって、あの音楽室という空間は気持ち
が悪くて仕方がない、、、。三味線・都々逸・祭囃子ならいざ知らず、なんで変な白いカツラを
被った外人さんの写真が何枚も見下ろしている中で、歌いたくもない歌を、歌わされなきゃいけ
ないのよ、、、。
こちらは、令和の時代の、楽しそうな音楽室
クラスの中に必ず、同じ小学生なのにピアノが弾けて、モーツァルトでもヘンデルでも先刻承知で、
クラッシックなら何でもござれ、みたいな女の子が1人は居るって何なのさ、、!そして唐沢先生
は、何故か、その女の子がピアノを弾ける事を、最初っから知っているのです、、、。
『ところで、大学はどちらなんですか?』
『○○○○大学ですけど、、、』って答えたら、『えっ!凄いじゃないですか!』って言うから、
『いや、凄いのは道路の反対側の○○学部の人たちで、僕は△△学部の建築なんで、音楽は全然
ダメなんです、、、。』って言っても、『○○○フィルハーモニーと共演できるって凄いんです
よ!一緒に歌いましょうよ!』って感じ、、、。だけど、こっちは『○○○フィルハーモニー』
が、どんなに凄いのかもチンプンカンプン、、、。だいいち『レクイエム』って言われても、
もちろん何にも判らない。(後で判ったんだけど、『レクイエム』 Requiemって、キリスト教
の「鎮魂歌」とか「葬送曲」の事で、モーツァルトとヴェルディと、あともう1人の3っつある
みたいで、彼らが歌おうとしたいたのは、どうやらヴェルディの『レクイエム』らしかった。)
『このあと東口の喫茶店で、みんな集まるんですけど、指揮者の○○○さんも来るんで、一緒に
どうですか!』
『一緒にどうですか!』と言われると、当時の『人畜無害・無味無臭』だった自分は、情けない
ことに、すぐには断れない、、、。(あぁ、何てダメな人間だったんだろうか!!)結局、その
若い男子学生みたいな人と一緒に、東口の『ルノアール』だか『マイアミ』だったかの大型喫茶店
に、付いて行く事になってしまった、、、。
写真は、喫茶室ルノアール新宿西口ガード下店です。ルノアールさんは現在でも、東口も含めて
新宿にて数店舗営業中、、、。
レクイエム その2 につづく
追記 中学の音楽の先生は古賀先生(男性)、高校の音楽の先生は今井先生(男性)でした。
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