下図の右上に、Marcat de Santa Caterinaとあります。エンリック・ミラージェス
(Enric Miralles)さんの設計した、サンタ・カテリーナ市場です。上の欄外には、
Avinguda de Francesc Cambo とあり、フランセスク・カンボ大通り、または、
フランセスク・カンボ広小路でしょうか、、、?
Via Laietana (ライエタナ通り)の「ロータリーみたいなの」は Plaça d' Antoni
Maura という名前だったんですけど、最初は本当にロータリーだったのに、あとから
ライエタナ通りが、突っ切ってしまったのか、、、?
http://www.planetware.com/barcelona/gothic-quarter-e-cat-bargot.htm
Avinguda de la Catedral カテドラル大通り、または、カテドラル広小路の右下に
太文字で Catedral とあり、バルセロナ大聖堂と思います。
大聖堂の脇の中庭、番号4クロイスターCloisterの左下、番号5のPorta de Santa
Eulalia の前の名前のない小さな広場の隅から、S字の細い路地があり、入っていくと
Plaça Sant Felip Neri サン・フェリペ・ネリ広場です。
別の図です。色の濃い太線の枠の上のほう、③の枠の上が、サン・フェリペ・ネリ広場。
(上と下の図とは角度が45°くらい右に起きて、垂直になっているので注意して下さい。)
細い2重線の片側ギザギザは、最初の図に、番号1Roman Walls とありますから、
おそらくローマ時代の城壁の跡で、番号1の位置は城門でしょうか?
では、El Call Major 、El Call Menor って何なんでしょうか?
(何故か El Call Major は、ローマ時代の城壁を跨いでいますし、El Call Menor
は城壁の外側です、、、。)
またまた、別図です。大文字 BARCELONA の右下に Plaça St. Felip Neri
サン・フェリペ・ネリ広場とあります。
よくよく見ると、右下に Sinagoga とあり、 Call Major の中にユダヤ教の
「ダビデの星」の六芒星(ヘキサグラム)と、Call Menor の中には Menorah
メノーラー「七枝燭台」のしるしもあり、シナゴーグ(ユダヤ教の教会、祈りの場)
が、昔、あった場所(もしくは、今でもある?)なんですね、、、。
このブログの、2014-12-25 の記事『水上勉とジェーン・ジェイコブズ』のなかの、
この辺りは、『ユダヤ人と疎外社会』を書いたシカゴ社会学派の
ルイス・ワースを思わせるものがあります。都市の発生にはゲットー
などのユダヤ人の疎外社会が関与していると言うのですから、、、。
の『ユダヤ人の疎外社会』(つまり「ゲットー」)を、現実に目の前に見せられたような
気分になりました、、。
Plaça Sant Felip Neri (サン・フェリペ・ネリ広場) その3 につづく
追記 マイクロソフト社では、ダビデの星と、某第三帝国のハーケンクロイツ(卐)
を共に不適切な記号として、フォントファイルから、それらの記号を削除する
ツールを2004年2月11日に配布済みなのだそうです、、、。
つまり、僕のコンピューターでは、そのまま画像変換できませんでした。
アップルはどうなっているんだろう?
インターネットの世界って、凄い事になっているんですねぇー、、、。
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