北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

舞台の出現

2014-12-13 11:46:56 | 日記
同じく、至文堂 日本の美術 No.121 洛中洛外図より、『洛中洛外図屏風』舟木本右隻

東京国立博物館 方広寺大仏殿付近 の一部分を拡大したものです。


 


方広寺は徳川家康が、その梵鐘の銘文にクレームをつけて、豊臣家を滅亡に追い込んだ

あの寺ですから、16世紀の最後から17世紀の始めにかけての寺です。左の大きな屋根が

大仏殿の屋根と思われます。その裏側、画面の右側(つまり北側)に、「舞台」のような

ものがあって、「桟敷席」のようなものがあり、平土間(お白洲?)にも大勢の「観客?」が

います。寺院の境内でしょうから、なにかの「勧進興行」なのでしょうか?(浅草の浅草

寺の裏側の浅草公園「エンコ」を想い出します。高倉健さんも亡くなりました、、、。)


シェークスピア劇場のグローブ座も1598年ですから、何かの偶然の一致でしょうか?



「舞台も花のヴェロナにて、、、」



『匠明』書院造配置図




中央やや左下の部分に、「中門」と「舞台」が両方あります。



90°振れていますが、その部分と思われる図です。




私の知る限り、「中門」と「舞台」の両方が並存して、現存している遺構はなかったと思

います。図面も、他には見ないように思います。それにしても、どうして「ダブッて」い

るのでしょうか?(「色代」も「広縁」になって、なくなっています、、、。と思ったら、

その奥に大きな「色代」がありました、、、。それにしても大きい、、、。なんで、こん

なに広いんでしょう、、、?)



(一番下の『第69図 広間の図 匠明』の平面図は、設計士の目からすると建築的には、

あまり洗練されていません。柱が多すぎるのです。実は、光浄院客殿は非常に洗練された

建物なのです。広縁と中門との「つながり」の位置の柱を、構造を工夫して柱をなくし

ていますし、広縁にも柱はありません。まるで、中門建築のエッセンスを記念建築として

後世に残さんが為に建てたのでは?と思えるほどなのです。「柱をなくす工夫」は、吉村

先生の山中湖亀倉雄策氏の別荘を、想い起こさせます、、、。)





写真の右手の、開口部と壁の境には、実は柱はありません。(大野さんも、凄い!)

この別荘の場合は、開口部の引き戸の戸袋の「納まり」の為なんですけど、、、。








追記  『舞台』が出現した時に、同時に『観客』も出現したのでしょうか?『観客』

    が出現した時に、同時に『木戸銭』も発生したのでしょうか、、、、?







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