堅バカおすぎのドタバタ人生ノンフィクション日記🎵

生きてると本当に色々な事が起こる。持病と闘いながら堅ちゃん救われて乗り切るリアルノンフィクションな日々です。

必要とされてる? 

2011年10月01日 | 持病

自分が家族に 誰かに必要とされているのか?

問いかければ「必要に決まってる」と言われる。

今の私には それを信じる勇気が無いのだと思う。

 

どんなに大事だ、居て欲しい、居なくならないでと言われても

居なけりゃ居ないで 何とかなるもんだ。と 思う自分。

自分はポジティブだとか 悩みが続かないとか言いつつも

とてつもないネガティブで細かい事に悩み続けるしつこさ、不甲斐なさ。

こんな自分が 存在していて 本当に 家族の役に立つんだろうか?

迷惑にしかなってないんじゃないか?

嫌われてる。

本当はバカにされてる。

軽蔑されてる。

そう 常に思ってる自分。

 

死に損なって1日過ぎた。

 

何で 普通に生きてるんだろうって 不思議だ。

 

何も食べたくない。

薬を飲む為に インスタントの味噌汁を飲んで 朝夕の薬を飲む。

 

何を食べても味がしない。

 

目の前の食べ物 食材が ぼやけて行く。

こんな事 初めての体験だ。

 

生きてるけど 半分 死んでる。たぶん そんな感じ。

 

生きがいを 見つけなければ。

 

私の為の 生きがいを。

 

子どもが私の生きがいじゃない。

子どもは 子どもの生きがいがある。

 

私は何の為に生きるのか 死にたくないと思うための 生きがいを見つけなきゃ。

 

働こうか。

 

出来る範囲で。

 

必要とされてる。それを実感できるのは 外の世界で「自分」を持ててる人。

 

家の中に 閉じこもってちゃ、無理だ。

 

今日、半日 海〇がくっついて行動してくれた。

帆〇が 掃除や洗濯を手伝ってくれた。

 

私には子ども達が必要で、必要とされるんじゃなくて 必要なんだ。

「してあげてる」と思うからきついんだ。

「してもらう」と思えばいいんだ。

今まで してあげて来たんだから。

図々しくなろう。ますます 図々しくなる。

 

そして 自分の為に生きたい。

自分の為にだけ 生きたい。

 

それが 結果的に みんなの為になるなら それならそれでいい。

 

まだ ふらつきと 胃洗浄した後の薬の(胃に流し込んだ薬?)影響で 真っ黒な下痢が出る。

「JIN」のドラマで 仁先生が 毒入りお菓子を食べた御台様に炭を使って洗浄してたのを思い出して

江戸時代からこんな方法で洗浄してたんだよな~とか思ったら、違う違う、仁先生がタイムトリップしたから

あの方法があの時代に使われただけで 現代の洗浄方法がこれなんだとか

そんな会話を 真っ黒な便器を見ながら帆〇と会話した。(こんなの見せるなよと言われそうだ)

 

持病を抱えて いつかそう遠くないうちに 死ぬんだろうから

急いで死なんで、後始末 しながら したい事もしておいてからの方がいいよ。って

うたた寝してる時 自分が話しかけてきた。

 

それもそうだね、と答えてた自分。

 

もう一度逢いたい人もいる。

まだ逢った事ないから 絶対逢っておきたい人もいる。

 

そんな気持ちがあるから 生きてみよう。と思う。

 

ブログがあって 良かった。

 


無題。

2011年10月01日 | 持病

29日の夜から30日の朝頃までの記憶が 断片的で おぼろげです。

でも 今日は10月1日。

書きたくないと思いながらも 書いておかなきゃって気持ちで 今日の日記を書きます。

もう 疲れた。 何に疲れたって 問われても これがと言う物は浮かばず

積もり積もった 沢山の気持ち 我慢し続けてる体の痛み 抱えきれない重荷

全部 全部 

「もう 無理。」って 思った。

無理に無理を重ねてる人は沢山いると思う。

まだ いける。 もう無理だの境界線なんて ささいな事でプツンと切れる。

脳がつかれた。 心が疲れた。 体が疲れた。病気が疲れた。

それが全部一気に来た時、「もう、無理だ」って 私じゃない、たぶん私の体が無理だって言ったのかも?

ありったけの薬を 薬シートから出してる時の記憶はある。

「これだけじゃ、足りない。これだけじゃ死ねない。もっとたくさんないと。。。。」とぶつぶつ言ってた。

貯まり貯まってた睡眠薬、頭痛薬、安定剤、痛み止めとか強そうな薬をあるだけ出して

手のひらから零れ落ちる程の量を飲んだ。

 

ああ・・・・・

 

これで もう 終われる。

 

横には 海〇が居る。 

 

薬を飲んだ後、引継ぎをした。

通帳、お金、今後の事、引き継いだ。

私が 「もう無理」と「死にたい、死にたい、疲れたもう疲れた」と混乱している時に

海〇は

「お母さんは頑張ってきたんだから もう頑張らなくていい」って何度も何度も言いながら背中を撫でてくれた。

その時 海〇は泣いていた。

私は なんてひどい母親だ。

でも それをわかってても 無理だと思ってしまった。

私は検体を希望しているので 家で死ぬわけには行かないと2人で話し、

ある程度 引継ぎを終えて 最低限の用意だけしていたら 朦朧としてきた。

タクシーで行く予定だったが 突然ドタンッと倒れたので (後から海〇に聞いた)

救急車を呼んだそうだ。

何となく 朦朧としながらも 救急隊員さんが家の中で ごみ箱から薬のシートを取り出して

3人ぐらいで数えてるのを覚えてる。

たぶん、何を飲んだのか、どれだけ飲んだのか、急を要するような劇薬はないか探していたのか?

その後の記憶は 救急車の中で ろれつが回らないなか 何か聞かれることに 答えてた気がする。

一緒に引き継いだ大事な物が入ってるリュックを背負って海〇が乗っていて 色々聞かれたり書いたりしてた。

航〇も救急車に同乗した事があるので これで海〇も経験出来てよかった とか そんな事考えてた。

薬を飲んだのが9時ごろだったので救急病院に着いたのが11時頃。

早すぎた。薬が解ける前に胃洗浄で死ぬことも出来ず 検体も出来ず

みんなに迷惑をかけただけで 死に損ないのろくでなしに輪がついただけ。

翌朝1番には航〇が 駆けつけて来てて 説明を受けた。

ICUは午前中には出られるから そのままかかりつけの心療内科に必ず行くようにと。

行きたくなかった。生きたくなかった。

罰当たりな事を書いている自分。

でも それが本音。

行って何になる? 頑張って生きろと言われる。

生きたくない、行きたくない。でも子ども等は強い。抵抗しようにもフラフラしてるし頭朦朧なので無理。

しばらく 鬱は治まったと思って行ってなかった心療内科に行った。

救急病院から連絡が行ってて 状況が書かれた封筒まで子ども等はしっかりと持って。

しばらくぶりに先生を見た。

目が見れない。

色々な話をされた。

私は本当は自分が死にたいんじゃない。

本当は本当は  

 

旦那にいなくなってほしい。

旦那が苦しめばいい。

旦那が病気になればいい。

旦那が死ねばいい。

でも 旦那は死なない。

だから 自分が死ぬしかない。

 

それが 自殺しそこなった本音。

 

今日は 辛くなってきたから ここらでやめます。

 

みっともない日記 ごめんなさい。

 

記録。記録だから。