Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

梅の状況(古代蓮公園)

2012-02-23 16:08:46 | 日記
 2月23日 (木曜日)

 雨も上がって曇り空も15時半頃から晴れてきた。

13時頃買い物ついでに、古代蓮公園の梅の咲き状況を見に行った。
曇り空で、映りが悪い写真になった。

梅も、昨年であれば、7分咲きであったろうに・・
今年はやっぱり寒いんだ!・・・下の写真の様に未だこれからだ!



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公園を一周





歩道の手すりのかけ替えなんだろう、青竹が準備されている。


叉、蠟梅にも力を入れているらしい。



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桜の木はまだまだ寒さに耐えている。


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帰り道に

埼玉県指定文化財のお寺(成就院)の三重の塔に立ち寄って
お参りして写真も撮ってきた。  ”行田市長野”




珍しいものらしい。
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七福神詣りもあるらしい。

富士山の日(223)

2012-02-23 11:19:23 | 日記
2月23日 (木曜日)  久々に雨

これからひと雨毎に暖かくなる。
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この写真は・・http://www.flickr.com/photos/sakura-kame/309418976/から借用。

☆きょうは「富士山の日」。
何のことはない、223の語呂合わせだが、
「鎌倉」と共に「富士山」が世界文化遺産に推薦されて迎えたこの日だ。

自然遺産登録を目指した従来の姿勢に代わり、
日本人の信仰や芸術における文化的価値をアピールする今度の推薦である。


☆江戸時代の富士講は、享保年間に幕府の暴政に抗議して
富士山で断食自殺した行者、食行身禄(じきぎょうみろく)への崇敬を通し広がった。

先の著書によれば、オールコックへの勧告にも幕府が
富士講を不気味な宗教集団と見ていたことがうかがえる。

富士山の世界デビューの舞台裏だ
☆さてそれから150年余、
日本人は古代から富士山にかけてきた思いを世界の人々に理解させることができるのか。
聖なるものも、心打つ美も、みな教えてくれた富士山への恩返しのチャンスだ。


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「夕方には……雲の上にその頭を高く持ち上げており、
夕日が背後に沈むので、その深紅色の大きなかたちが
金色のついたての上にすっかり浮き出しになって見える。
また早朝には朝日が頂上の雪に反射して、
その円すい形が輝いて見える」

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☆江戸から見た富士山のことだ。
 筆者は幕末の英国公使、オールコック。

 上垣外憲一さんの「富士山--聖と美の山」(中公新書)は、
 彼を世界に富士山の美を紹介した功労者と呼ぶに値する文章として
 この一節を挙げる。

☆オールコックは外国人で初めて富士登山をした人だった。
 その彼は白い装束に文字や神像の印を押した巡礼--
 つまり富士講の人々の姿も記している。
 初め幕府は、巡礼は貧しい階級のするもので賓客にはふさわしくないと
 登山を思いとどまるよう求めてきたそうだ。

毎日新聞 2012年2月23日
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ちょっと調べる。調べる。
オールコック氏


ラザフォード・オールコック(Sir (John) Rutherford Alcock)。

英国の軍医・外交官(1809年~1897年)

ロンドン近郊に生まれ、父の影響によりグスリーに師事し
、外科医となる。
アゾレス諸島への従軍外科医となったのを皮切りに、
カルリスタ戦争へも従軍(1834-37)。
この功績により、軍医副総監にまで昇任。

しばらくは国内に留まっていたが、
1843年に結婚すると、妻を連れて中国のアモイ(厦門)へ渡り開業。
このときに、在アモイ英国領事館の一等書記官となったのが
外交官人生のはじまりとなった。

その後、福州・上海・広東の総領事を経て、
1858(安政5)年11月に初代註日総領事に就任し
、翌年5月に江戸へ着任。

ヒュースケン殺害事件での葬儀同行、
四国公使館の江戸退去、富士山への外国人としての初訪問など
江戸幕府に対してやや圧迫的な態度をとり、
親和的な米国註日総領事ハリスとは政策面で対立したが
、第一次東禅寺事件では暗殺未遂があるなど
危機を迎えた。
11月に公使に昇任し、註日外交団のリーダーとなる。

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とあった!・・・
外交官と言うのは命がけ。その国の時代背景によっては大変なんだなあ~!