その39は城も動かす 坂東太郎です。
前橋城は利根川と広瀬川を天然の外堀とする渦郭式の平城です。
城郭は約50ヘクタール(グリーンドーム前橋20個分)あり、
宇都宮、川越、忍(現在の行田市)の城とともに関東の四名城と言われました。
天険の要害でしたが、代表的暴れ川で「坂東太郎」と呼ばれる利根川の激流によって年々浸食を受け、
城郭の崩壊が進み、松平朝矩のころには本丸まで水浸し、居住には大変危険であったため、
朝矩は明和4年(1767年)幕府の許可を受け居城を前橋から川越に移し、前橋領は松平家の代官支配となり、
明和6年(1769年)には三重櫓の天守閣、大手門などが取り壊され、一時廃城となりました。
現在の城址は市街化が進み、本丸跡は群馬県庁、二の丸跡は前橋市役所の一部、
三の丸跡は前橋地方裁判所になっています。
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●利根川の侵食で崩壊直前の本丸(左)と、江戸末期再築の前橋城(右)
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●現在の利根川と本丸跡に建てられた県庁舎
前橋城は利根川と広瀬川を天然の外堀とする渦郭式の平城です。
城郭は約50ヘクタール(グリーンドーム前橋20個分)あり、
宇都宮、川越、忍(現在の行田市)の城とともに関東の四名城と言われました。
天険の要害でしたが、代表的暴れ川で「坂東太郎」と呼ばれる利根川の激流によって年々浸食を受け、
城郭の崩壊が進み、松平朝矩のころには本丸まで水浸し、居住には大変危険であったため、
朝矩は明和4年(1767年)幕府の許可を受け居城を前橋から川越に移し、前橋領は松平家の代官支配となり、
明和6年(1769年)には三重櫓の天守閣、大手門などが取り壊され、一時廃城となりました。
現在の城址は市街化が進み、本丸跡は群馬県庁、二の丸跡は前橋市役所の一部、
三の丸跡は前橋地方裁判所になっています。
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●利根川の侵食で崩壊直前の本丸(左)と、江戸末期再築の前橋城(右)
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●現在の利根川と本丸跡に建てられた県庁舎
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