その23は名声とわに 下村翁です。
初代前橋市長 下村善太郎は文政10年(1827)、前橋本町の商家に生れました。
刻苦の末に生糸貿易で成功し、その余力を郷土前橋のために傾注、多大な貢献をされ、
後に前橋市名誉市民に列せられています。
明治9年、下村翁は群馬県庁が高崎に置かれた時、同士と図り率先巨費を拠出され、
前橋への県庁誘致を実現しました。それは私たちのまち、前橋の大きな礎でした。
下村翁の偉業はそれにとどまらず、前橋の度重なる天災、大火などの被災者の救援をはじめ、
教育・産業・交通・防災・その他あらゆる都市基盤づくりに奔走、私財を投げ出し、よく公益に尽くされました。
それら郷土愛の発露のすべてが有形無形の遺産となって、現在に引き継がれています。
明治14年に県庁が前橋に置かれることになって街の繁栄の基礎が築かれ、
明治25年県内最初、関東で4番目、全国で41番目に市制を施行しました。
下村翁は、初代市長に推挙されましたが、
市長在任1年余りで惜しくも翌26年(1893)66歳の生涯を閉じられました。
1、下村善太郎翁銅像と市庁舎
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2、龍海院にある下村翁墓所
初代前橋市長 下村善太郎は文政10年(1827)、前橋本町の商家に生れました。
刻苦の末に生糸貿易で成功し、その余力を郷土前橋のために傾注、多大な貢献をされ、
後に前橋市名誉市民に列せられています。
明治9年、下村翁は群馬県庁が高崎に置かれた時、同士と図り率先巨費を拠出され、
前橋への県庁誘致を実現しました。それは私たちのまち、前橋の大きな礎でした。
下村翁の偉業はそれにとどまらず、前橋の度重なる天災、大火などの被災者の救援をはじめ、
教育・産業・交通・防災・その他あらゆる都市基盤づくりに奔走、私財を投げ出し、よく公益に尽くされました。
それら郷土愛の発露のすべてが有形無形の遺産となって、現在に引き継がれています。
明治14年に県庁が前橋に置かれることになって街の繁栄の基礎が築かれ、
明治25年県内最初、関東で4番目、全国で41番目に市制を施行しました。
下村翁は、初代市長に推挙されましたが、
市長在任1年余りで惜しくも翌26年(1893)66歳の生涯を閉じられました。
1、下村善太郎翁銅像と市庁舎
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2、龍海院にある下村翁墓所
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