いきなり余談。
学費を払い込んだ領収書って、たしかオリジナルを既に大学に提出してしまっているので、ぼくの手元にはないのですが、それって実はけっこうやばい事態らしい・・・。たしか大学に提出したと思うのですが、もう一月以上前の話だしな。どうしよう。でも最悪の場合、銀行に問い合わせればぼくがちゃんとお金を払い込んだという証明はできるよな・・・。いやできないのか?まいったな。どうなってるんだ、いったい?領収書はいまどこにあるんだ?事務が持っているのか?たしか某書類を受け取るためにぼくは提出したような気がするんだけど・・・
さて本題。今日、モスクワの劇場でアニメーション映画『文学少女』を観てきました。モスクワの映画館に入ったのはこれが初めてですが、劇場自体は日本と大して変わらないですね。でも、やはり観客が違う。映画を観ながらどっと笑ったり、拍手したりって、日本の映画館ではほとんど見られない光景だと思うのです。それがとても新鮮で、一方でちょっと気を殺がれてしまったり。
『文学少女』は、2年前に公開された映画で、当時観に行きたいと思っていたのですが、いつの間にか公開が終了してしまっていて、結局そのままになっていました。だから今回モスクワで観られることになるとは、思いもよらなかったです。本当はこれの後に上映される日本の短編アニメーションの方を観たい気持ちもあったのですが、食事を優先してしまいました。
で、映画の感想ですけれども、そんなによくはなかった。主人公・心葉(このは)とその幼馴染・美羽との間のもつれた糸を、文芸部部長・遠子が解きほぐす、という基本的なストーリーラインに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモチーフを絡めてゆく、という基本構造があるわけですが、どうも作品のテイストが一貫していないように感じられてしまった。ユーモラスな場面ととシリアスなそれとが共存していてももちろん構わないはずですが、ただこの作品の場合、シリアスなはずの場面も滑稽に見えてしまったりしました。たぶん、シリアスな事件の描写が浅すぎるためではないでしょうか。表面的に過ぎるのです。いや、これを言葉で説明するのは難しいな。・・・美羽という少女は作家志望であったにもかかわらず、文芸賞に応募して落選、しかしその友人の心葉は14歳にして見事大賞。受賞作は出版されますが、しかし美羽は屋上から飛び降りて自殺。未遂に終わったものの、自身と心葉双方の心に深い傷を残すことになります。心葉はそれから小説を書くことをやめていましたが、偶然遠子に出会ったことで文芸部に入部、彼女のために小説を書き始めます。一方で美羽は心葉に対する愛憎を募らせ、再び彼に接近。美羽にとって、心葉は唯一の友人であるとともに、しかし文芸賞で自らを裏切った憎い相手でもあります。二人は心中しようとしますが、遠子がそれを阻止。彼女はプラネタリウムを舞台に優しく二人の関係性を浄化してゆくことになります。美羽は、自分の醜い心と向き合い、また自分のそうありたいと欲する美しい心を認め、涙を流します。・・・
う~ん、物足りない。なんなんだろう、この物足りなさは。かなり深刻な事柄を扱っているにもかかわらず、プラネタリウムでの過剰なキラキラ演出や、安易なフラッシュバックの多用などが、この作品の深刻さを浅いものにしているような気がしてしまうのです。それに、遠子に諭されただけで涙を流して悔悟する美羽は、やはり素直に過ぎる。あれほどの憎しみ、あれほどの嫉妬を心に燃やし続けながら、そんな簡単に収まってしまっていいのか。この題材を選んだからには、そのような負の感情の浄化の仕方について、もっと真剣に向き合わねばいけなかったのではないか。結局、心葉と美羽、心葉と遠子という二人の関係を軸にしようとしたために、薄っぺらな描写に終始してしまったような印象を受けるのです。二つの関係を軸にすること自体はいいのですが、その一方の関係性が、余りにも重すぎる。重すぎるのに、解決や描写が軽すぎる。このちぐはぐさ。そういう居心地の悪さをぼくはこの映画から感じてしまった。
映画の基本モチーフが『銀河鉄道の夜』であることは書きましたが、心葉と美羽、心葉と遠子は、それぞれジョバンニとカムパネルラになぞらえられています。そうであるならば、この関係性がやがて切断されてしまうことは必然です。遠子が卒業後に北へ去るのは、そういう映画の構造上の必然であるとともに、また美羽と遠子との性格の区別ということもその理由でしょう。つまり、遠子は心葉(とその小説)を愛するがゆえに、美羽とは異なり、彼を独占しようとしないのです。
この映画は、したがって非常に切ない物語になるはずでした。しかし、シリアスな展開と、その安易な描写及び解決によって、切なさは減殺。いまいちテイストの定まらない出来になってしまったような気がします。
あと、いちゃもんを付けるようでナンですが、心葉ってモテ過ぎじゃないですかね?ちょっとおかしくないか。
う~ん、自分の気に入らなかった原因を整理しようと思って書いてみたんだけど、要するにぼくは、切ない物語を期待し過ぎていたのかな・・・?
学費を払い込んだ領収書って、たしかオリジナルを既に大学に提出してしまっているので、ぼくの手元にはないのですが、それって実はけっこうやばい事態らしい・・・。たしか大学に提出したと思うのですが、もう一月以上前の話だしな。どうしよう。でも最悪の場合、銀行に問い合わせればぼくがちゃんとお金を払い込んだという証明はできるよな・・・。いやできないのか?まいったな。どうなってるんだ、いったい?領収書はいまどこにあるんだ?事務が持っているのか?たしか某書類を受け取るためにぼくは提出したような気がするんだけど・・・
さて本題。今日、モスクワの劇場でアニメーション映画『文学少女』を観てきました。モスクワの映画館に入ったのはこれが初めてですが、劇場自体は日本と大して変わらないですね。でも、やはり観客が違う。映画を観ながらどっと笑ったり、拍手したりって、日本の映画館ではほとんど見られない光景だと思うのです。それがとても新鮮で、一方でちょっと気を殺がれてしまったり。
『文学少女』は、2年前に公開された映画で、当時観に行きたいと思っていたのですが、いつの間にか公開が終了してしまっていて、結局そのままになっていました。だから今回モスクワで観られることになるとは、思いもよらなかったです。本当はこれの後に上映される日本の短編アニメーションの方を観たい気持ちもあったのですが、食事を優先してしまいました。
で、映画の感想ですけれども、そんなによくはなかった。主人公・心葉(このは)とその幼馴染・美羽との間のもつれた糸を、文芸部部長・遠子が解きほぐす、という基本的なストーリーラインに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモチーフを絡めてゆく、という基本構造があるわけですが、どうも作品のテイストが一貫していないように感じられてしまった。ユーモラスな場面ととシリアスなそれとが共存していてももちろん構わないはずですが、ただこの作品の場合、シリアスなはずの場面も滑稽に見えてしまったりしました。たぶん、シリアスな事件の描写が浅すぎるためではないでしょうか。表面的に過ぎるのです。いや、これを言葉で説明するのは難しいな。・・・美羽という少女は作家志望であったにもかかわらず、文芸賞に応募して落選、しかしその友人の心葉は14歳にして見事大賞。受賞作は出版されますが、しかし美羽は屋上から飛び降りて自殺。未遂に終わったものの、自身と心葉双方の心に深い傷を残すことになります。心葉はそれから小説を書くことをやめていましたが、偶然遠子に出会ったことで文芸部に入部、彼女のために小説を書き始めます。一方で美羽は心葉に対する愛憎を募らせ、再び彼に接近。美羽にとって、心葉は唯一の友人であるとともに、しかし文芸賞で自らを裏切った憎い相手でもあります。二人は心中しようとしますが、遠子がそれを阻止。彼女はプラネタリウムを舞台に優しく二人の関係性を浄化してゆくことになります。美羽は、自分の醜い心と向き合い、また自分のそうありたいと欲する美しい心を認め、涙を流します。・・・
う~ん、物足りない。なんなんだろう、この物足りなさは。かなり深刻な事柄を扱っているにもかかわらず、プラネタリウムでの過剰なキラキラ演出や、安易なフラッシュバックの多用などが、この作品の深刻さを浅いものにしているような気がしてしまうのです。それに、遠子に諭されただけで涙を流して悔悟する美羽は、やはり素直に過ぎる。あれほどの憎しみ、あれほどの嫉妬を心に燃やし続けながら、そんな簡単に収まってしまっていいのか。この題材を選んだからには、そのような負の感情の浄化の仕方について、もっと真剣に向き合わねばいけなかったのではないか。結局、心葉と美羽、心葉と遠子という二人の関係を軸にしようとしたために、薄っぺらな描写に終始してしまったような印象を受けるのです。二つの関係を軸にすること自体はいいのですが、その一方の関係性が、余りにも重すぎる。重すぎるのに、解決や描写が軽すぎる。このちぐはぐさ。そういう居心地の悪さをぼくはこの映画から感じてしまった。
映画の基本モチーフが『銀河鉄道の夜』であることは書きましたが、心葉と美羽、心葉と遠子は、それぞれジョバンニとカムパネルラになぞらえられています。そうであるならば、この関係性がやがて切断されてしまうことは必然です。遠子が卒業後に北へ去るのは、そういう映画の構造上の必然であるとともに、また美羽と遠子との性格の区別ということもその理由でしょう。つまり、遠子は心葉(とその小説)を愛するがゆえに、美羽とは異なり、彼を独占しようとしないのです。
この映画は、したがって非常に切ない物語になるはずでした。しかし、シリアスな展開と、その安易な描写及び解決によって、切なさは減殺。いまいちテイストの定まらない出来になってしまったような気がします。
あと、いちゃもんを付けるようでナンですが、心葉ってモテ過ぎじゃないですかね?ちょっとおかしくないか。
う~ん、自分の気に入らなかった原因を整理しようと思って書いてみたんだけど、要するにぼくは、切ない物語を期待し過ぎていたのかな・・・?