迷っていたのですが、本当のことを書いて、ありのままの気持ちを晒したいと思います。
今年の初めに投稿した論文が先月ボツになってしまって(と書けば、何の雑誌に投稿したのかは関係者には自明だと思います)、悲しい思いをしたのですが、色々と思うところがありました。
まず考えるのは、自分には才能がないのだろうか、という不安。やはりこれです。ロシア語もできない、論文を書く能力もない。何の取り柄もない。だったら研究者になることはできないのではないか。もともと望んだ道ではないのだし。いや、「望んだ道ではない」と言って自分の逃避を肯定しようとしているだけなのかもしれない。
それから、査読して下さった人から言われたのが、自分のやりたいことをやっていますか、ということ。前にも同じようなことをぼくは言われたことがあります。ぼくはアヴァンギャルド芸術を扱っていて、今は特に詩を研究しています。ですが、もともとぼくはアヴァンギャルド芸術がそんなに好きではないし、詩は日本語でだってあんまり読んだことがない。つまり、自分のやりたいことをやっていないわけです。なぜか。ぼくがアヴァンギャルド詩に首を突っ込んでいるのは、研究対象にしている作家がアヴァンギャルド詩を書いているからです。この作家は後年散文に移行しており、その散文に興味があって研究を開始しましたが、この作家について研究するからには苦手分野にも取り組まないといけないと思ってアヴァンギャルドについて勉強を始めました。しかしやはりこれは自分のやりたいことではないのです。それでも論文として残せれば、ぼくの「血と汗」も報われるのですが、結局それも叶わなかった。この2~3年間は何だったのだろう。徒労感。
話がやや脱線しますが、昔遊んだRPGとぼくは同じことをやっているのです。つまり、平均的なレベルの、平均的な能力のパーティを作ってしまう。例えば剣術が得意なキャラクターがいたとして、彼はその代わり魔力が弱いとします。そうすると、腕力や体力のレベルを徹底的に上げて敵と戦うのが普通ですが、ぼくはそうはしない。魔力のレベルも並行して上げるのです。
好きなこと・得意なことを伸ばすのではなく、弱点を補おうとしてしまう。結果、平均的な能力しか得られない。高校までの勉強だって同じです。ぼくにはあまり「穴」がない。この教科、この分野が際立って不得意ということはなかったのです。模試などでよく不得意分野を明示する円グラフがありますが、あのグラフがぼくは真円に近いのでした。
でも、初め苦手だったものに対してはいつまで経っても苦手意識は抜けないものです。それが不安になる。ぼくはアヴァンギャルド芸術が苦手だ。それに対する理解やその知識に関しては、まるで自信がありません。だから臆病になってしまう。自分の意見を主張することを躊躇ってしまう。先行研究で誤魔化そうとしてしまう。そうして「自分のやりたいことをやっていますか」と問われることになるのです。
いえ、ぼくはやりたいことをやっておりません。でも、この作家を研究するには、やりたくないこともやらなければいけなかったのです。ただし、それは結果には結びつかなかった。やはり自分の選択は間違いだったのだろうか。好きなことだけやるべきなのだろうか。得意分野を徹底的に伸ばすのが研究なのだろうか。
いつの間にか、そのやりたいことってのもよく分からなくなりました。ぼくは道を見失ってしまったようなのです。
今年の初めに投稿した論文が先月ボツになってしまって(と書けば、何の雑誌に投稿したのかは関係者には自明だと思います)、悲しい思いをしたのですが、色々と思うところがありました。
まず考えるのは、自分には才能がないのだろうか、という不安。やはりこれです。ロシア語もできない、論文を書く能力もない。何の取り柄もない。だったら研究者になることはできないのではないか。もともと望んだ道ではないのだし。いや、「望んだ道ではない」と言って自分の逃避を肯定しようとしているだけなのかもしれない。
それから、査読して下さった人から言われたのが、自分のやりたいことをやっていますか、ということ。前にも同じようなことをぼくは言われたことがあります。ぼくはアヴァンギャルド芸術を扱っていて、今は特に詩を研究しています。ですが、もともとぼくはアヴァンギャルド芸術がそんなに好きではないし、詩は日本語でだってあんまり読んだことがない。つまり、自分のやりたいことをやっていないわけです。なぜか。ぼくがアヴァンギャルド詩に首を突っ込んでいるのは、研究対象にしている作家がアヴァンギャルド詩を書いているからです。この作家は後年散文に移行しており、その散文に興味があって研究を開始しましたが、この作家について研究するからには苦手分野にも取り組まないといけないと思ってアヴァンギャルドについて勉強を始めました。しかしやはりこれは自分のやりたいことではないのです。それでも論文として残せれば、ぼくの「血と汗」も報われるのですが、結局それも叶わなかった。この2~3年間は何だったのだろう。徒労感。
話がやや脱線しますが、昔遊んだRPGとぼくは同じことをやっているのです。つまり、平均的なレベルの、平均的な能力のパーティを作ってしまう。例えば剣術が得意なキャラクターがいたとして、彼はその代わり魔力が弱いとします。そうすると、腕力や体力のレベルを徹底的に上げて敵と戦うのが普通ですが、ぼくはそうはしない。魔力のレベルも並行して上げるのです。
好きなこと・得意なことを伸ばすのではなく、弱点を補おうとしてしまう。結果、平均的な能力しか得られない。高校までの勉強だって同じです。ぼくにはあまり「穴」がない。この教科、この分野が際立って不得意ということはなかったのです。模試などでよく不得意分野を明示する円グラフがありますが、あのグラフがぼくは真円に近いのでした。
でも、初め苦手だったものに対してはいつまで経っても苦手意識は抜けないものです。それが不安になる。ぼくはアヴァンギャルド芸術が苦手だ。それに対する理解やその知識に関しては、まるで自信がありません。だから臆病になってしまう。自分の意見を主張することを躊躇ってしまう。先行研究で誤魔化そうとしてしまう。そうして「自分のやりたいことをやっていますか」と問われることになるのです。
いえ、ぼくはやりたいことをやっておりません。でも、この作家を研究するには、やりたくないこともやらなければいけなかったのです。ただし、それは結果には結びつかなかった。やはり自分の選択は間違いだったのだろうか。好きなことだけやるべきなのだろうか。得意分野を徹底的に伸ばすのが研究なのだろうか。
いつの間にか、そのやりたいことってのもよく分からなくなりました。ぼくは道を見失ってしまったようなのです。