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終戦記念日



江戸時代の会津の古地図(城下町)。
会津に限らず、藩がクニであった。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重も会津というクニを守るために、当時最新鋭のスペンサー銃で会津戦争を戦いました。
今年の春、会津を旅した印象として、ここはいかにもクニとしてのアイデンティティが確立しやすい地形であると思いました。周囲山に囲まれ、中でも磐梯山という特に高い山がそびえ立ち、いつでもどこでも見上げて畏敬の対象になる。磐梯山は「天と地をむすぶ梯子(はしご)」、天地の架け橋という意味。それ故にこの山は修験道のメッカでした。

磐梯山の麓に法相宗の徳一が建立した慧日寺があって、私たちはその仏教寺院の跡も訪ねましたが、磐梯山と慧日寺は会津のスピリチャルセンターであったわけです。

そして実際の世俗的な政治を行うセンターは会津・鶴ヶ城で、これは儒教が中心思想でした。
会津盆地は儒・仏・神が統合した美しい小宇宙であった・・・



けれど一方、ペリー提督ひきいる黒船が来航した嘉永6年(1853)には、こんな世界地図が日本にも伝わっていました。

こういうのを横井小楠や佐久間象山、勝海舟、坂本龍馬、山本覚馬たちは知っていたんですね。

これを見たら会津だの長州だの薩摩だと言っている場合ではないということが痛感できます。

会津や長州や薩摩がクニなのではない、この列島全体がクニ・日本国というクニなのだということです。これからは小さな藩にこだわるのではなく、日本全体というクニのために動かなければならないと認識しました。

日本というクニが、実は世界に多数あるクニのなかのひとつのクニ、しかもかなり小さいクニであると理解した時期でしょう。



この地図は1900年代(明治33~42年)に作成されたという。
このような世界認識のもとに、隣国と戦争しました。
日露戦争(1904~1905)の時代です。

かつては会津だ長州だ薩摩だといって戦った。
明治維新以後は清国だロシアだアメリカだといって戦ったわけです。


(C)宇宙航空研究開発機構

私たちがクニだと思った土地は
もっと大きな列島であったり大陸であった。

実は今、私たちはもっと恐ろしいことを知ってしまった。
私たちはみんなこんな球体に生きている。

どこにもクニなんていう境界線はなかった。

もうクニどうしの戦争をやる時代ではないということが明白になってしまった。あまりにも明白すぎて、何も言えません。この写真を見るだけで充分です。

どうしても戦争したいなら、どこか他の惑星、他の星と戦いましょう。でも、今の戦闘機や軍艦や原子爆弾みたいな原始的な兵器では敗北がみえています。もっとずば抜けた兵器が必要ですが、小さな(国家)どうしで仲間喧嘩しているようでは、全く勝ち目はないですね。