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長くなりますが「イヤイヤ期」に寄せて 筑紫野市原田 のりこキッズマム歯科医院

2018-04-30 | 筑紫野市 小児歯科
先日、街で3歳ぐらいの男の子が寝そべっていました。

そこはショッピングモールのフロアで、
人々は自由に行き来できる場所でした。
その真ん中に寝そべっている男の子。
両脇にはお父さんお母さんらしき二人が立ってその子を眺めていました。

2歳台かもしれない小さなぼくでしたが、泣いてはいなかったので、
どうしたのか?ケガか病気?
と思い横を通ってみると、
両脇の若いお父さんとお母さんが困り果てたようにその子に語りかけていました。

「もう、ママは行くよ!」
とお母さんは行動に出ていました。
お父さんはどうするんだ?寝そべって...という感じでただ眺めていました。

私は
「なんだイヤイヤ期か...ケガでもしてるかと思った。人々が通るど真ん中だから、少し道をよけたところに移るといいのだけど...」
と通り過ぎました。

その少し後で、向かいからアジア系のビジネスマン...カジュアルなビジネスシャツの二人の男性がやってきて、私は二人とすれ違いました。
二人はその親子の光景を発見したんでしょう、私のように
何事か起きたか!?
と目を丸くした瞬間を私は視線でとらえました。

すぐにでも助けに小走りしそうな男性二人の動作の瞬間がありました。

しかし、また私のように事故や事件ではないと把握したようで、落ち着いて歩き始めていました。

道のど真ん中でのその光景は、異様な光景とも言えました。

若いお父さんお母さんは、
子供のイヤイヤ期に手を焼いてしまうのでしょう。世の中や社会が見えなくなってしまっています。
けれども、自分達もその我が子の言動に「イヤイヤ」してるだけのような気がしてなりません。

他人の私達が簡単に声をかけれる時代ではありません...それが良くないほうへ時代を向けた結果になってしまったのかもしれませんが、我が子がイヤイヤ期でも自分達が世の中や社会の中にいる時は、その場所や場面への配慮も大切だと考えます。
それがまずしなければいけない大人のマナーです。
小さな子供さんのイヤイヤ期に、ただ手を焼いてしまっているだけでは、大人の接し方とはかけ離れてしまっている気がしています。


4月23日、朝日新聞デジタルで、イヤイヤ期を改名したらどうか?という記事を読みました。
子供の反抗に対して大人が強制的に言うこときかせてしまう時期だから、だそうです。

本当にそんな見方ばかりでしょうか?
子供さんの意見を尊重し過ぎる傾向もよく見られるように思います。

私はイヤイヤ期というネーミングは、
それで変えずにいいと思います。
とてもわかりやすいからです。

問題は、イヤイヤ期がどういうもので、
どう対応していったほうが良いのか?と
いうことへ理解を進めることではないかと考えます。

4月23日朝日新聞デジタルへ寄せたメールの内容をアップします。
考えるきっかけになれば、と思います。


......

朝日新聞デジタル 御中
「声」より
イヤイヤ期の名前改名について


本当に「イヤイヤ期」というのが、『大人の言うことをきかせないといけない時期』と大人側にそのように小難しく勘違いされているものでしょうか。
そういう方もいらっしゃるかもしれませんが、大半は『2歳ぐらいで子供が大人の言うことをきかないでイヤ!という時期』で単純に通っていると思います。

2歳ぐらいでイヤ!という時期が来る、ということで認知されており、 そういう意味では貢献しているネーミングだと思います。認知貢献の意味では改名する必要はないと考えます。
むしろ、『イヤ!という気持ちに寄り添うべき時期』と一率に認識されることが弊害をもたらすこともあります。
イヤ!という時期だから、「イヤイヤ期」なのです。そこはそれでいいのです。

問題は、イヤ!に対応する力です。それには様々な考え方があるでしょう。 イヤ!に寄り添うべき時も、もちろんあるかもしれませんが、すべてではありません。

私は小さなお子さんをお持ちの御家族が通院する歯科医院の院長です。
お子さんがどんなにイヤ!と言っても診察や治療をしなければなりません。
たまに、親御さん方は、そのお子さんの気持ちに寄り添おうとするあまり、正しい診察・治療を受けない方々もいらっしゃいます。
「子供がこんなにイヤ!と言っているから」
とか、または、お子さんの気持ちをただなだめようとし
「痛くないから!」
とか
「何もしないから!」
と、ありもしないことをその場しのぎで言い、私達医療従事者とお子さんの関係性を悪化させてしまうことがあります。

「痛くない」と感じるのは本人です、親御さんではありません。「何もしない」で本当に帰るのでしょうか?そんなことはありません。 私達はお子さんとの信頼関係を大切にするために、その場しのぎの言葉は言わないように指導しています。

イヤ!という気持ちに寄り添うためだけに、お子さんのイヤ!と話し合いや尊重をすることができない場やタイミングもあるわけです。
その必要な速攻性の部分を理解に入れておく必要があります。そうしなければ、「〇〇ちゃん、あのね…」というご機嫌を直すところから始まってしまい、 対処が遅れてしまうこともあるのです。

イヤイヤ期はまんま存在します。存在を消したり、迂回させる必要はありません。

また、診療に特化することになるかもしれませんが、診療しながら考えることがあります。イヤイヤ期で対処しようと思い始めることが少し遅い気がします。

赤ちゃんは泣いて大人を操作しているようなものです。大人は赤ちゃんの「不愉快」という意思表示、怒りの鳴き声にまるで侍従のように使え、赤ちゃんの命の安全や、衛生を保っています。
その時点から実は対話は成立すると考えるのです。
私自身は3人の子供を育ててきました。その目線から、当院に訪れる親御さん達5000人程を眺めてきました。 親御さんで赤ちゃんと対話をしていない方々を見受けます。一方的にご機嫌を取ることは対話とはいいません。

親御さんからの言葉かけ、赤ちゃんからの言葉への反応と言ったほうがいいでしょうか。
2歳のイヤイヤ期に寄り添おうとするなら、もっと前のそういった赤ちゃんの時点で言葉かけという寄り添い方をすべきです。もう怒り(泣き叫び)で大人を操作するのを卒業しなければならないんだよ、と 促して育てていくのです。

赤ちゃんにも言葉は伝わります。
赤ちゃんの怒りを、言葉に変換させていき、赤ちゃんの怒りでの要求、欲求を、言葉で言える伝えるように促すのです。
赤ちゃんの時代から対話の上手な親御さんのお子さんは、私達との対話もすぐに慣れる傾向にあります。つまり、親御さんが主体となって反応するのではなく、言い換えれば、外の世界へ反応できるその結果、社会性が育ちやすい、というわけです。
それは親御さんの、お子さんへの「こうあるべき」というような支配力とは違います。

その赤ちゃんの段階を経て、2歳児さんのイヤ!に対応するのです。その時点ではもう、キャッチボールの練習です。かけひき、という段階に入るというわけです。

相手がどんなボールを獲ってくれるか、自分がどんなボールを投げたらよいか、 そのコミュニケーションの練習に入るわけです。
お子さん側、大人側、それぞれが辛抱が必要な場合も出てきます。

2歳児に寄り添う段階ならばそれはまだ、赤ちゃんの怒りにただ寄り添っているだけの段階です。

なぜなら、子ども側と話し合い、折り合いをつけられないことがあるからです。
どうしてもやらなければいけないことです。
それは危険の回避や、健康を害することへの対応、病院の診察、他人を傷つけることへの回避、そういったことは、寄り添うことでなく、どんなに子供が機嫌を損ねて泣き叫んでいようと、こちら側から勇気を持って教え諭すことであり、気持ちに寄り添う時間が必要だとばかりは言ってられません。

そして、「いけないよ」「こうしようね」への理解も、ただ優しく接すればよい、というものばかりではありません。
理解には、お子さんひとりひとりへの強弱も、かかる時間も違います。そういう接し方の違いがあって良い、ということも知っておく必要があります。
「イヤイヤ期」はそれらを教えるためにある、第一歩として踏み出す時期、そしてお子さん側にも自由に踏み出させる時期だと考えます。

「イヤイヤ期」のネーミングは十分です。ただ、それだけでは不足ということで、もしそれにサブタイトルをつけるなら、
『言葉でのキャッチボール練習開始』 
『コミュニケーションのキャッチボール練習開始』
としたいところです。