おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

チリン、チリンの記憶

2012年01月14日 | 雑記
昨日、味噌汁に入れる木綿豆腐を買った。
驚くほど安い値段。
しかし、以前買ったとき息子(高校2年)に
「この豆腐は木綿豆腐ではない。偽物」と言われた事を思い出す。
確かに切っていると、こりゃ木綿豆腐かそれとも絹ごし?って感じでやわらかい。
以前買ったときに、間違って買ったのか?とパッケージを確認したほどだ。
ただ、味噌汁に浮かべるだけだし、インスタントで作るよりましだろうと購入する。
うちは今超節約生活、実施中なので。
息子は絹こし豆腐より、木綿豆腐が好き。
「やっぱり豆腐は木綿豆腐だよな~」とか言う。
だから、この激安豆腐が許せないらしい。
それとまったく同じ台詞を私の亡き父が言っていた。
妙なところが隔世遺伝似たもんだ。

ただ、私や父ににすれば、スーパーで売っている木綿豆腐も全部にせものだ。
私や父にとって本物の豆腐は

「チリンチリンのおじさん」が売りに来る豆腐だった。

神戸の下町に当時私の一家は住んでいた。
夕食や味噌汁に必ずと言っていいほど出る豆腐は、チリン、チリンとベルを鳴らしながら自転車にのって夕方にやってくるおじさんの豆腐だった。

おじさんの豆腐は美味しかった。
「豆腐屋、今日は調子が悪いな」と父が言ったりする時もあったけど、それでも今食べている豆腐に比べたら全然美味しさが違っていた。
手作りで作るのだから、逆に絶品の時があったりもする。

母に叱られて、「外にいなさい!」と放り出されても、チリンチリンのおじさんが来れば、母が容器を持って出てきて、おじさんが
「そんなに叱ったるな。」と言ってくれて豆腐と一緒に家の中に入った。

活発だった妹の方が怒られる率が高かった。
そして、家に向かって泣くのではなくおじさんに向かって泣いていたと思う。
妹の声が大きくなるのとチリン、チリンと音が聞こえてくるのと同時だった。
そう、丁度、子供が家にいて怒られる時間?におじさんは毎日まわってきていた。
いや、母もそれがわかっていてわざとこうやって出したのかもしれない。

自転車でチリン、チリンと夕日を背に音を鳴らしてやってくるおじさんは私たち姉妹の救いのヒーローだった。

懐かしい思い出である。
私たちが住んでいたところは、震災でなくなってしまった。
多分、行ってももうどこに自分が住んでいたかわからないかもしれない。
おじさんの豆腐屋ももうかなり前に閉めている。
多分、父や母よりも年が上だったと思うが、おじさんのその後はわからない。
息子さんがいたはずだけど・・・。
我が家は、震災より10年前に、同じ神戸だが引越しをした。
そこは、神戸市といえどまったく違う環境で、豆腐屋さんなどはなく豆腐を買うのは必然的にスーパーの豆腐になった。

父がたまに「あの豆腐が食べたいな」と言って、私も「そうだね、おじさんの豆腐が食べたいね」と言った。

京都に行ったときにすごく高い豆腐料理を食べたが、悪いけどおじさんの豆腐の方がずっと美味しかった。

夕焼けとともにやってくる、おじさんの姿がいまだに目に浮かぶ。
おじさんが来る時間はもう、遊びも終了の時間だった。

今朝、味噌汁飲んで豆腐食べたら「やっぱりまずい」と思った。
あの頃の食事は、もしかすると物があふれている今の時代より贅沢だったのかもしれない。
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引っ越してきました

2012年01月09日 | ご挨拶
昨日から、前ブログからの移行とそして修正をしているのだが、なかなか終わらず結構苦戦。
読み返してみて放置年数の長さを感じる。
だって、書き始めた頃小学生だった息子が、もう高校生だ。

いろんな事があった日々で、仕事で苦しみ、その後生活を立て直すのに必死だった何年間だった。

それに読み返してみて、最後のほくろクラブの21話はいまだに涙が出てとまらない。
これは当時も泣きながら書いたものだ。
自分で書いた物なのに昨日も読んでいて涙、肉じゃが作りながら涙、味噌汁作りながら涙・・・だった。

全部を読み返し、自分自身でストーリーをもう一度把握して出来れば今年中(笑)に完成できればと思っている。

フィクションで書いているとはいえ、息子の話を元に作っているので3分の1ほど本当だ。
息子は友達が多かったので、この中に出てくる子は2~3人ほど合体している場合もある。
ただ、最初のモデルになった子が、中学生の時に不登校になったり、その後の「ほくろクラブ」が結構暗い話だったりして、一旦とまってしまう。
私がリストラにあい仕事を辞めた事でまた書き始めるが、最後の21話があまりにもリアルすぎて、またもやストップしてしまう。
心が折れていたので、今よりもっと泣きやすかった。
この仕事をやめた翌年の1年は私自身も葛藤の1年だった。
デザイン学校を出てから長く離れていた絵を描き始めたが、弱っているのと本当に何年ぶりかなので思うようにかけず。
思い切って何もかも辞めて「静養」を決めようと思った。
幸いな事に会社がきってくれたので、リーマンショックで夫の給料が激減すると言うダブルパンチをくらったが、雇用保険はすぐ出たし職安にいき面接受けるがだめで、時期が時期だったため、その面接を受けた実績で雇用保険の期間も延びる。
長年会社で働いてきた「垢」を取るためには1年間以上の歳月が必要で、心の疲れを取るために家事以外何もしない歳月が流れる。
この職安に行き、職を探し面接を受けに行くのだけで、落ち込み絵もかけない状態だった。
何回か会社を訴える事も頭をよぎった。
実際に一人の人は職安で、懇々と前会社の対応の悪さを訴えたそうだ。
しかし、残っている仲間も実は去っていったものと同等に悲惨な状態らしく、そんな気力もなかった。
そして、雇用保険が切れたときに、やっぱり専業主婦になってみようと思った。
長年の夢だった昼ドラを見ることにした。
昼ドラなんて、子供の頃おばあちゃんと見ていたきりなので、新鮮だったよ。
何故ゆえにこんな展開になるのかって。
ずっとこういったの見てみたかったんだよね。
夜だってドラマを見るのさえ、困難だったから。
料理して、掃除して、洗濯して、昼ドラを見る日々。
洗濯物を干すとお日様がキラキラしていて、それだけで生きていてうれしいと涙が出る時もあった。
こうして段々元気になって行った。
元気になってくると壊滅状態だった家を修正することも必要だった。
引越ししてからもう13年ほどたっていたが、1ヶ月ほどしてすぐに働きだしたため、手付かずの荷物が押入れに存在する。
13年手付かずだったと言う事は不用品だと思い処分。
引越しの荷物だけではない。
辞める2年前、ほくろクラブでは表彰状と主人公が言っているが、会社の中のシステムを変えるために、結構残業して提案して頑張って報奨金をもらった。
これが、より一層の苦しみのひとつの始まりだった。
毎日、決められた事務仕事を淡々としていけば、最後はそこまで苦しまなかったかもしれない。
ほめられたし、お金をもらったし、仕事の効率は見違えるようによくなったけど、睨まれた。
効率の悪いまま、ダラダラと仕事をしていれば、あんな事にはならなかった。
「出る杭は打たれるのよ」これは当時の私の上司の言葉だ。
会社の人たちが何故あなたが切られるのと最後に言ってくれたけど、理由はわかっている。
今は本当によく切ってくれたと思う。
だって限界だったから。
毎日、息子のためにご飯だけは作ってはいたが、仕事と人間関係で疲れて家の中も散乱して手がつけられない状態になっていた。
平日はなんとか仕事には行くけど、土日になると起き上がれないようになってくる。
本当にとんでもない状態。
そんな家の中の事はもちろん、野放しになっていた夫の行動も修正する必要があった。
正直に言うと息子は私の苦労を見ているので、自分で言うのも変だがそれなりにいい子に育ったとは思う。
問題は夫だったので、ここからまず修正だった。
会社の経理より(経理課だった)家の経理だった。
専業主婦でいるためには、家の経理をちゃんと見直しそれこそ仕分けしないと駄目だった。

リストラで収入は減ったが、久しぶりこのブログを読んだ時、あーもうこの時点から辞めたかったのだと、会社から切られてかえってよかったと心から思う。
実はその辺の事を詳しく書いているブログが別にあるのだが、これは会社に勤めている頃からのもので長年の私の心の葛藤がありすぎて、昨年閉鎖した。
(ただ、ブログとして残っている)

今でも、息子の懇談に行ったあとに見上げた空を思い出し涙する。
「うるさく言ってもいいよ」と言ってくれた息子の顔も思い出す。
話は小学生だが、実際には中2だった。
だめだー、またこれ書いたら涙がでちゃう。

ただ、自分自身で雑記も含めて読んで結構面白かった。
特にショート・ショートなんか、なかなか(笑)

で、復活。

挨拶のところにも書いているが、もうひとつのブログ
きっき堂
の更新が平日限定だ。
このブログは絵が中心で、土日は家族がいるため思うようにかけないのでこのようなかたちにした。
最初のころこそ、あー休みだ、休みだと思っていたが、文字を並べるという事も大好きなので、長い休みが続く時など段々ストレスがたまってきた。
向こうで土日も更新しようかと考えたが、子供さんなどが読んでくださっているようなのであんまりダラダラ書くのもどうかと迷っていた。
なのでこのブログは、土日か祝日限定。
それも多分どこか1日ぐらいになるし、出かけることもあるだろうから1ヶ月に1回って時もあると思う。

gooブログは更新をしておけば、広告が入らないようなので、小説をかけなくても雑記・エッセイもどきをこうやって定期的に掲載をしていけば大丈夫だろう。
毎月500円出せば、ずっと広告が消せて、データーもエクスポートできるようなので考えてもいいがとりあえず、今までのは前ブログのビックローブで出したので次に書くときに考えようと思う。
そうそう、何故更新がとまっていたのか。
もうひとつ理由がある。
ビックローブが私にとって非常に書きにくかった、読みにくかったと言うこともある。
サイドバーが広くて、文字の部分が狭くて読みにくい。
ページごとにデザインを設定できるのはかえって邪魔だった。
そのページに飛びデザインが変わるのも読みにくかった。
同じデザインのはずなのに見る位置も変わる。
唯一、私にとっての利点は、インポート・エクスポートの機能が無料でついていること。
gooはその点、読みやすい。
アメーバのほうは、自分の絵をヘッダにもってきているが、多分字だけになるので、規制のデザインを使ったが、どれも読みやすいデザインで◎

ほくろクラブが完成したら、挿絵も考えてみようかと思っている。
その前に、今のところやることが多く、これは何年計画になるかわからない。
まず先に絵を再開していて、実は昨年「買ってもらう」・・・という嬉しい出来事があった。
最初から挿絵も自分で描きたいなぁと思っていた。
でも、ブログにアップするにはそれだけの機材がいり、今スキャナーとソフトがあるのでやっと出来るかもしれない。
このブログはじめたのって「2006年」
6年ごしで実現するかも。
あははは・・・気長に頑張ろう。

とりあえず昨日から、リンク切れのところなどを修正しているのだけど、まだ終わってない。
読み返していると誤字や2重になっている言葉などが目立つ。
読んでチェックして徐々になおそうと思っている。

・・・ちょっとずつでございます。
それも土日限定だからいつになる事やら。

こちらもよろしく!「きっき堂」
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