認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

発病の引き金となる[単調な生活]の開始とその「キッカケ」(A-80)

2013-03-21 | アルツハイマー型認知症発病のメカニズム

第一の人生を自分なりに頑張って生きてきて、「第二の人生」に入っていきます。現在その第二の人生を送っているということは、年齢は60歳を超える「高齢者」である場合がほとんどでしょう。ということは、この「ブログ」を続けて読んでくださっている方ならお気づきのように、「アルツハイマー型認知症」を発病する「第一の要件」は、皆さん既に充足されていることになる訳です。従って、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか否かは、 (生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない)と言うあのナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続)という発病の「第二の要件」を充足することになるか否かだということになりますね。今日の「テーマ」は、そのナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まることになる「キッカケ」についての話です。

「趣味や遊びや人付き合いや運動」を自分なりに楽しむ生活を送っていて、それなりに「生き甲斐」や「目標」があり、時には「喜び」が得られる「生活」を送っている。そうした生活の下では、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の機能は加齢とともに衰えていくとは言え、「正常な老化のカーブ」を描いていくので、「異常なレベル」に衰えてくることはないのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることから始まるものなので(最初の段階が、「軽度認知症」の段階)、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、衰えていきつつあるとは言え、「正常な老化のカーブ」を描いていっている限りは、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対にないのです

前回のブログで、左脳偏重(仕事中心)の生き方(価値観)は、「アルツハイマー型認知症」の発病との関係で言うと、(リスクが高い)という話をしました。もう少し正確に言うと、私達が「二段階方式」の活用により集積してきた脳の使い方という視点からの生活習慣(「生活歴」)のデータから明らかになったこと、それは、左脳偏重(仕事中心)の生き方(価値観)は、「発病のリスク要因ではあるが、直接の原因ではない」ということなのです。前回のブログを読んで不安に思われた方がおられるとしたら、その点については、誤解しないでいただきたいのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の直接の原因である「第二の要因」とは、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないというナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続なのです。そして、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、その「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生という問題があるのです。それが、今日のテーマである「キッカケ」の話なのです。

(一方で)、「左脳偏重」(或いは、「仕事中心」)の生き方(価値観)を第二の人生に入っても変えることができない人達は「アルツハイマー型認知症」を発病する(リスクが高い)のは事実なのですが、(他方で)、生き方に対する考え方(価値観)に特別の問題がない人でも、「キッカケ」に遭遇することによって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことが「アルツハイマー型認知症」の発病との関連でとても重要なことなのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる分岐点は、「キッカケ」に遭遇するかどうか、(そして)、遭遇した「キッカケ」に負けて心が折れてしまうことになるかどうかなのです

 

○ 「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

ここで、もう一度、脳の構造についての私の説明を思い出していただきたいのです。それは、「前頭葉」の基礎的且つ中核をなす機能であるあの「三本柱」の機能、すなわち、「意欲、注意集中力及び注意分配力」の機能に内在する「加齢による老化のカーブ」のことなのです。これは、本来的に内在している性質なので、(脳の使い方としての生活習慣の差異に起因するカーブの緩やかさの相違はあるにしても)、誰でも年を取るにつれて、(正常な機能範囲を保ちつつも)機能のレベルが次第に衰えていくのです。参考のために、そのグラフを下図に示しておきます。

(意欲、注意集中力、注意分配力の正常老化のカーブ)

 脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」には人間だけに特有の様々な高度な機能が詰まっているのです。自分が置かれている「状況」を判断したり、その状況の下で何をするのか(やろうとする「テーマ」)を思いついたり、テーマの内容をどのような手立てのもとに実行するかその「計画」を立てたり、やり方の「工夫」をしたり、実行する上での障害となることや状況の変化についての洞察や推理をしたり、関連する内容を修正したり、状況の変化に対応する機転を利かせたり、感情の高ぶりを抑制したり、最終的な判断や意思決定をしたりしているのです。

 それら各種の高度な働きを担当している「前頭葉」の機能、中でも、それら各種の高度で複雑な「認知機能」を正常に発揮する上でとりわけ重要な「認知度」及び「発揮度」を左右している「前頭葉の三本柱の機能」、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きには、上記「意欲、注意集中力と注意分配力 」のグラフにみられるように、正常な機能範囲を保ちつつも「加齢と共に、緩やかなカーブを描いて、老化し衰えていく」という、重要な性質があるということを、ここで思い起こしていただきたいのです(「正常老化の性質」)

 

その「三本柱」の機能の働き具合(或いは、衰え方)は、誰にも共通した性質であって、18歳から20歳代の半ばまでが「ピーク」で、20歳代の半ばを過ぎる頃から100歳に向かって、緩やかではあるけれど、一直線に衰えていくものなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる60歳代後半にもなると、「前頭葉」の働き具合は、ピーク時の頃に比べて、「働き」が半分以下に衰えてきているのです。

70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、前頭葉の働きがさらに衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」の状態になっていくのです(この性質こそが、「アルツハイマー型認知症」を発病する「実質的な第一の要件」ということなのです)。

 

ここから本題に戻ることにしましょう。私達が「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするとき、(私の場合の例で言えば)ハワイ島の「コナ・コーヒー」を沸かして飲もうとか、韓国の「古代史」の本を読んでみようとか、海洋公園のところの早咲きの桜の花の「写真」を撮りに行ってみようとか、国立公園の中にある海辺の散策路に「散歩」に出かけてみようとか、定置網で今朝獲れの新鮮な魚を使った「手料理」を作ってみようとか、色々な「テーマ」を思いつけるのも、(或いは)そうした「テーマ」を誰(どのお友達)と一緒に楽しもうかとか、どんな服装やいでたちにしようかとか、どんなお化粧にしようかとか、どんなテーブルセッティングにしようとか、飲み物はどのお酒にしようとか、更には(思いつく「テーマ」を仲の良い友達と一緒に楽しむひと時を過ごすために)、あれこれ考えて工夫やシミュレーションをするとき、先ずは、「意欲」が必要になるのです。意識的な行為や思考の世界が動き出すためには、一定の機能レベル以上の「意欲」が働くことが不可欠なのです。加えて、もてなしの中身をあれこれ考え付いたり工夫したりするには一定の機能レベル以上の「注意の集中力」と「注意の分配力」が働くことが必要になるのです。

専門家の誰もがこれまで問題としてこなかった、(或いは、気づいていなかった)ことなのですが、意識的に何かの「テーマ」を実行するには、前頭葉の三本柱の機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が一定のレベル以上で働くことが不可欠になるのです。この三本柱の機能が使われる機会が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される下で、廃用性の機能低下を加速度的に進行させていくその先に、「アルツハイマー型認知症の発病」が待っているということなのです。

 

上述した例に見られるように、私達が、日常生活を送るうえで、「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするときは、この「三本柱」の機能が十分に働いているかどうか(一定レベル以上の機能レベルであるかどうか)によって、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が変わってしまうのです(これが、前回のブログで説明した、「二重構造の仕組み」の問題です)。言い換えると、考える工程の質および実行内容の程度及び態様が変わってしまうのです。

その構造的な帰結として、「正常老化の性質」を持つこの「前頭葉」の三本柱の機能が「加齢」とともに衰えていくにつれ、いろいろな場面でいろいろな「テーマ」を処理する際に、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が必要且つ十分なレベルのものでなくなるために、何の「テーマ」をどのように実行するのかについての、計画内容も実行の仕方の工夫も、シミュレーションの程度も態様も、だんだん尻すぼみのものになっていくことになるのです。

このことは、「高齢者」と呼ばれる年齢にある人なら誰にでも例外なく起きてきていることなのです。私達は、集積された多数の脳機能データによる裏付けを持っているのですが、2年前、5年前、10年前の頃の自分の姿を思い出して、現在の状態と比較してみれば、皆さんも十分に納得がいくことと思います。

 

そうした「前頭葉」の三本柱の機能が「正常な機能範囲」を保ちつつも「加齢」とともに徐々に低下していく中で、ある日「キッカケ」となる「生活状況の変化」や「生活上の出来事」遭遇することになるのです。「キッカケ」に遭遇したことにより、その生活状況の変化(或いは、生活上の出来事)に負けてしまい、心が折れて、立ち上がる意欲が出てこなくて、新たな「テーマ」を見つけることができない人が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

生活状況の大きな変化(或いは、生活上の大きな出来事)に負けてしまった人は、何かの「テーマ」を考えついたり実行したりしようとする「意欲」を衰えさせてしまうことになるのです。生活状況の大きな変化」「生活上の大きな出来事」遭遇したことで、心が折れてしまい、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」を掻き立てたり、「注意を集中」したり、或いは、「注意を分配」したりする機会が得られることになる「テーマ」が日常生活面から次第に消えて無くなっていく生活を送るようになるのです。言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送るようになってしまうのです。

 そうした生活状況が徐々に進行していく(「継続」されていく)中で、「前頭葉」の「三本柱」の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能)が次第に「正常老化」のカーブを離れていき、「加速度的な老化のカーブ」をたどるようになっていき、終いには、異常なレベルに衰えていくことになるのです。そのナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、必ず「キッカケ」となる「生活状況の変化」(或いは、「生活上の出来事」)の発生があるということを強調しておきたいのです。

 

○ ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」

「加齢による脳の老化」という「アルツハイマー型認知症」発病の(第一の要件)の充足は、第二の人生を送っているお年寄り全員に共通のもの。ところが、「第一の要件」を充足しただけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という(第二の要件)の充足がないと、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。

(コーヒー・ブレイク)この「第二の要件」の充足は、「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄り全員に必ず確認されるものなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病させている犯人は、一部の学者が主張しているような、「アセチルコリン」でも「アミロイドベータ」でも「タウタンパク」でも「脳の委縮」でもないというのが、脳の機能データの分析に基づく私たちの結論なのです。主張の根拠として要求される原因と結果との間の「因果関係」の立証がなされていないそれらの「仮説」を信じるのか、脳機能のデータに裏付けられた私たちの主張のどちらを選択するのか、それは、あなたの「前頭葉」が決めることになりますね。

 

ところで、私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、発病の開始の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います。 「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです。

 趣味や遊びや人付き合いや運動も自分なりに楽しみつつ日々を過ごしていく中で、それなりに「目標」がある生活を送っていて、「生き甲斐や喜び」が得られる日が時々はあり、脳は「正常な老化」のカーブを描きながら、ボケとは無縁の毎日が静かに過ぎて行く。そんな「第二の人生」を過ごしているお年寄りが、脳の老化を速める原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に、遭遇することになるのです(分かり易い事例を挙げれば、「東日本大震災」のような大災害に遭遇することは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」になる可能性が極めて高いということなのです)。

 

但し、或る「生活状況の変化」の発生(或いは、「生活上の出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」になる訳ではないことに注意が必要です。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況」(或は、「生活上の出来事」)の発生に対する「本人の受け止め方」が極めて重要となるからです。

後に例示して説明するように、或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したときその発生に対処する自分自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるからです。

(ここで再度、コーヒー・ブレイク) これといった生き甲斐や目標となるテーマもなく、趣味や遊びや人付き合いを楽しむ一時もなく、運動もしない毎日。こんなナイナイ尽くしの「単調な毎日」を過ごしていると、意欲、注意の集中力と注意の分配力の「三本柱」の出番が極端に減少してしまうために、「高齢者」の場合は、「前頭葉」の加速度的な機能低下(不十分にしか使われないことによる「廃用性」の機能低下)を起こすことになってしまうのです。そうしたナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていくその先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです(その最初の段階が、私たちの区分でいう、「軽度認知症の段階」なのです)。(ここを「クリック」してください)。

とはいえ、東日本大震災を被災された「高齢者」の置かれている現状からすれば、生き甲斐や喜びが得られる「テーマ」、「前頭葉」の三本柱の出番が得られるような趣味や遊びや人付き合いの「テーマ」を見つけること自体が、極めて困難だと思うのです。むしろ、日々の生活手段となる目標さえ見つけ出せないという状況でしょう。

 そこで、被災地の「高齢者」の方達は、とりあえず「1日5000歩」の速足での散歩をして欲しいのです。歩く速さは、「会話が楽しめるが、軽く息がはずむ程度の速さ」です。安全な場所を選んで、歩きやすいところで、仮設住宅で知り合ったお友達を誘って、一緒に、「おしゃべりを楽しみ」ながら、歩いて欲しいのです。

 速足で歩くことは、「意欲」と「注意の集中力」という前頭葉の機能を高めるのにとても効果があるのです。仲間とのおしゃべりも楽しみながら歩くと、「注意の分配力」も働きます。もちろん、天気が良くなかったり、足腰に痛みがあるなど身体の調子が良くないときは、無理をしてはいけません。そんなときは、仮設住宅で、仲間とおしゃべりでも楽しみながら休んでいてください。

 一週間、二週間、一ヶ月、半年と、歩く日が続く中で、自分でもはっきりと意欲がわいてきたなと実感することが出来るようになるはずです。

 意欲が出てくるようになったら、脳の司令塔の「前頭葉」の働きが良くなってきた証拠ですから、そこで、周りの人たちにも相談しながらじっくりこれからの対処策や目標あるいは生き甲斐について、考えてみて頂きたいのです。

                                                                                                                                                                                            

(ここで、本論に戻って説明を続けます)その意味で、「本人の受け止め方」という側面が極めて重要な要素となるのです。つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものなのだということに注意して頂きたいのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。

言い換えると、「本人の受け止め方次第」で「キッカケ」となるかどうかが決まってしまうということなのです。分かり安い例を挙げて説明すると、「かわいがっていた飼い猫が死んだ」からと言って、全てのお年寄りが、何事にも「意欲」をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくという訳ではないということなのです。「キッカケ」となる「生活状況の変化」の発生(或いは、生活上の出来事)の発生については、次回のブログ(4月1日)で、その類型化と具体例とを詳しく説明する予定です。

 注)本著作物(このブログA-80に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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