一億総活躍社会達成への具体策の 提 言
「アルツハイマー型認知症」発病の予防を目的とする特定市町村での地域予防活動の実証を基礎に全国の市町村における実施を将来的な課題とする実証研究の提言-
(有) エイジングライフ研究所
(B-63)とその 目 次
&6 「アルツハイマー型認知症」の段階的症状と各段階の期間
&7 「アルツハイマー型認知症」は早期の段階で見つければ治せる
&8「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する「生活習慣」
&6「アルツハイマー型認知症」の段階的症状と各段階の期間
○ 「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム
前回のブログの &5で詳細に説明したように、 60歳を超える年齢の「高齢者」(私たちが規定する発病の「第一の要件」)にとって、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り返され継続される、「生活習慣」の下では(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「脳の機能」(「前頭葉」を含む脳全体の機能)が、「第一の要件」と「第二の要件」が同時に充足され重なり合うことの相乗効果により、加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになるのです。その行き着く先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです(通常は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まってから早くて半年、遅くて1年程の期間の経過後に発症します)。
○「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウト・プットが症状
いろいろな種類が数ある認知症の中で、私たちのデータから推測すると、認知症全体の90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることに、直接に起因して発現する認知症の症状、私たちが回復の可能性という視点から三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の「段階的な症状」が発現してくるのが特徴なのです(内在する「正常老化」の性質に、廃用性の機能低下が加わることで、脳全体の機能の低下が加速される)。「アルツハイマー型認知症」の症状とその進行とは、発病の最初の段階であり、私たちの区分と呼称で言う「軽度認知症」(小ボケ)に始まり、次いで、「中等度認知症」(中ボケ)の段階を経て、最後は末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階へと進むのです。
○「アルツハイマー型認知症」の症状は、「前頭葉」を含む脳全体の「機能低下の規則性」を反映
(1)私達が集積してきた「脳機能データ」の解析によると、「アルツハイマー型認知症」の場合には、廃用性の機能低下により脳の機能が衰えていく時、その「衰え方」に以下の特徴が確認されるのです。
ⅰ)「前頭葉」が廃用性の加速度的な機能低下を起こしてきて異常なレベルに衰えていく結果、「社会生活」に支障を起こす原因となる症状が最初に出てくる(軽度認知症「小ボケ」:この段階では、左脳と右脳と運動の脳の機能は、未だ正常なレベルのままなのです);
ⅱ)ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続を条件として、「前頭葉」が廃用性の加速度的な機能低下を継続する中で、次の段階からは、同時に「左脳」と「右脳」が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてきて、更に異常なレベルに衰えていく結果、「家庭生活」に支障を起こす原因となる症状が出てくる(中等度認知症「中ボケ」);
ⅲ)ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続を条件として、「前頭葉」並びに左脳、右脳及び運動の脳が廃用性の加速度的で異常な機能低下を同時並行して更に進行させていく結果、「セルフ・ケア」にも支障を起こす重度の症状が出てくる(重度認知症「大ボケ」)。
注)ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続に終止符を打って、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる「生活習慣」の構築とその実践(「脳のリハビリ」の実践)により、正常な機能レベルに回復させることが出来るのは中ボケまでの段階であり、「大ボケ」の段階にまで脳の機能が衰えてくると、回復させることはもはや困難となるのです。認知症の専門家達が、{「アルツハイマー型認知症」は、治らないタイプの認知症である}と主張しているのですが、それは誤りであり、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているせいに過ぎないのです。
ⅳ)「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが、小ボケ、中ボケ、更には、大ボケの段階へと衰えていくとき、MMSで測定される「下位項目」には衰えていく順番に「規則性」が認められるのです(「下位項目」が出来なくなっていく順番の「規則性」とそのパターンについては、14689例の精緻な脳機能データの解析により確認されているものです)。
ⅴ)「二段階方式」テストにより得られる上記「4つの特徴」を客観的な指標として活用することにより、「アルツハイマー型認知症」の判定(診断)に際しては、他の種類の認知症との鑑別並びに認知症と紛らわしい病気との鑑別が精緻で容易なものになるのです。
(2)米国精神医学会の診断規定「DSM-4」の規定の「第二の要件」の問題点(誤り)
ⅰ)「DSM-4」の「第二の要件」は、失語、失認、失行又は実行機能の障害(「前頭葉」機能の障害のこと)のいずれかの症状の確認を要求しています。ところが、「アルツハイマー型認知症」の症状としてのこれら全ての症状は、私たちが意識的に何かを実行しようとする際に起きてくる症状のことなのです。
ⅱ)私達の意識的な世界は、「前頭葉」が左脳、右脳及び運動の脳と協働し、且つ、それらを支配し、コントロールしつつ、自分が置かれている状況の理解と判断に基づく「テーマ」の発想、「テーマ」の実行内容の企画及び計画、実行の手順の組み立て、計画した内容の実行結果のシミュレーションに基づいた実行内容及び態様の選択に基づく実行が行われているのです。器質的な機能障害が起きてきているわけでもないのに(脳が壊れてもいないのに)、意識的に何かを実行すること自体に支障が起きてくるのが「アルツハイマー型認知症」なのです。学者や研究者達は、自分が置かれている状況の理解と判断に基づく「テーマ」の発想、「テーマ」の実行内容の企画及び計画、実行の手順の組み立て、計画した内容の実行結果のシミュレーションに基づいた実行内容及び態様の選択に基づく実行を行うには、「前頭葉」の三本柱の機能、中でも、注意の分配力の機能が働くことが不可欠となること並びに「DSM-4」が第二要件に規定する失語や失認や失行の症状が確認される人達の「前頭葉」は殆ど機能していないこと、就中、「注意の分配力」の機能が殆ど機能していないことを知るべきなのです。意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、推論、想像、問題の発見と理解、状況の判断、興味、関心、発想、連想、企画、計画、創意、工夫、予見、予測、シミュレーション、区別、比較、切り替え、執着、評価、修正、具象化、抽象化、整理、段取り、組み立て、機転、抑制、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な「個別の認知機能」(猶、「学習」機能は、大脳辺縁系の機能であって、「前頭葉」の機能ではないことに留意する)を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とが共に、「三本柱」の機能の発揮レベルと「リンク」している)。この意識的な世界を構築する上で不可欠の機能要素である「前頭葉」の個別の認知機能を語るには、私たちが自我を完成させていく上で獲得した自分独自の「評価の物差しの機能」(自分独自の物の見方、感じ方及び考え方としての物差しのことを言うものとする)と自己体験と伝聞の集積体としての「記憶の倉庫の機能」の働きを忘れてはならないのです。プールの脇に在って、無数の花を咲かせているブーゲンビリアの巨木、露天風呂の脇の花壇に在って、しとしと降り続く梅雨の長雨に濡れて、濃い紫色の花を風に揺らせているグラジオラスの花、薄紅色の可憐な花を咲かせている百合の花の存在、形、色、或いは、それらが醸し出している風情、それらを私たちが意識的に認知し、認識し、観察し、感受し、感動する上で、「前頭葉」の「個別の認知機能」、「前頭葉」の「三本柱の機能」、「評価の物差しの機能」及び「記憶の倉庫の機能」が協働することによって初めてそうした世界が開けること及び私たち個々の、且つ、独自の意識的な世界が構築され発現してくるものであること、更には、個別の認知機能の認知度及び発揮度を左右しているものが、私たちが「前頭葉」の「三本柱の機能」と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能であること、そうした意識的な世界での「前頭葉」を含む脳全体としての認知構造、働き具合及び衰えるメカニズム等に気づくことが、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカ二ズム、又は、症状の発現のメカニズム、或いは、症状の重症化のメカニズムを解明する上で必要不可欠の「テーマ」となるのです。それ等とアミロイド・ベータの蓄積とかタウ蛋白の蓄積とかは、まったくの無関係なのだということに早く気づいて欲しいと願うのです。このブログの最後で提案してある、「交流の駅」の活動に継続的に参加している「高齢者」の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについて、その経時変化を3年間でも追跡してみれば、容易に判明することなのです。
私たちの意識的な世界、私たちが意識的に何等かの「テーマ」を実行しようとする世界では、「左脳」(言葉、計算、論理や場合分けなどのデジタルな情報を処理する為に機能特化している)、「右脳」(色、形、空間の認知や感情の処理などのアナログな情報を処理する為に機能特化している)及び「運動の脳」(身体を動かすために機能特化している)と言う「三頭立ての馬車」の御者の役割を「前頭葉」が担っているという脳の機能構造の理解を受け入れてください。
ⅲ)その為、「前頭葉」の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてきて、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階〔私たちが定義する「軽度認知症」(小ボケ)の段階〕では、手足である左脳も、右脳も、運動の脳も、その全てが未だ正常な機能レベルに在るのに対して、司令塔の役割を担う「前頭葉」の働き具合だけが異常な機能レベルに在って、且つその結果として、「前頭葉」の機能障害の症状だけが発現してくるのです。「アルツハイマー型認知症」の末期の段階〔私たちが定義する「重度認知症」(大ボケ)の段階〕の症状が確認されるようになると、それら全ての症状は、異常なレベルに衰えてきていて、殆ど機能することができなくなっている「前頭葉」の働きを中核とした脳全体の働き具合(廃用性の加速度的で異常な機能低下により、「前頭葉」だけでなく、左脳も右脳も運動の脳も その全ての機能が異常なレベルに低下してきている)を直接に反映したものとなってしまうのです。「アルツハイマー型認知症」の所謂末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の更に後半になって初めてその発現がみられる失語や失認や失行などの症状は、「脳のリハビリ」により正常な機能レベルに回復させること(治すこと)がもはや困難な機能レベル、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウト・プットとしての症状なのです。回復させることが困難になるこの段階で見つけていることこそが、医療現場の重大な誤りだと指摘しておきたいのです。
ⅳ)「意識的な世界」における全てのアウト・プットは、「前頭葉」が脳全体の司令塔としての役割を担う機能構造の下で、且つ「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル(各々について、正常な機能レベルから異常な機能レベルを含む)の総合的な機能状態を必ず反映した症状、私たちが三段階に区分する様々な症状として、発現してくるのです(「DSM-4」が規定する「第二の要件」は、失語や失認や失行の症状と実行機能の障害を同列に扱い、並列で規定していることからも、この「重要な視点を欠いている」と言わざるを得ないのです)。
「アルツハイマー型認知症」の症状であり、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現している人達(換算後のMMSの得点が14点以下0点までの人達)の内で、その後半の脳機能レベルの人達、換算後の「MMSの得点が一桁」になっていて発現してくる「失語の症状」が確認される人達では、「前頭葉」が殆ど機能していない状態にあって、且つ、左脳もわずかにしか働かなくなっているのです。それよりも更に脳の機能が衰えてきている段階で発現してくる「失認の症状」や、その段階よりも更に脳の機能が衰えてきている段階で発現してくる「失行の症状」は、右脳も、運動の脳も、ほんの僅かにしか機能し得なくなっているのです。これらの症状が発現するその基本には、「前頭葉」を含む脳全体の機能を異常なレベルにまで衰えさせた、廃用性の加速度的で異常な機能低下が原因(基礎に在る)なのだと私たちの「脳機能データ」が教えているのです。
ⅴ)「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、その発病の原因はと言うと、廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した、「前頭葉」を含む脳全体としての脳の機能レベルであり、その機能レベルのアウトプットとしての段階的な症状が発現してきているだけなのです。その意味で、「アルツハイマー型認知症」の特徴は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密に対応する形で認知症の症状が発現してくるのが特徴となるのです。とはいえ、その本質が、器質的な変化が原因ではなくて、廃用性の機能低下が原因であるために、「小ボケ」の段階であれば、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)により容易に正常なレベルに回復させることが出来る(治すことが出来る)のであり、「中ボケ」の段階で見つければ、脳のリハビリにより正常なレベルに回復させることが未だ可能なのです(この場合も、小ボケのレベルを経由したうえで、正常なレベルに回復してくるのです)。
しかし乍ら、「大ボケ」の段階で見つけたのでは(「前頭葉」を含む脳全体の機能が、大ボケの段階にまで衰えてきていたのでは)、治すことは出来ないのです(中ボケの段階に回復させることさえも出来なくなるのです)。注)小ボケ、中ボケ、大ボケの各段階ごとの前頭葉を含む脳の機能レベルの定義については、Gooブログ(kinukototadao と入力して 検索)のA-16、A-18、A-20)を参照してください。アミロイドベータの沈着による老人斑とか、タウ蛋白の蓄積による神経原線維変化とか、或いは脳の萎縮とか言った「器質的」な変化が「アルツハイマー型認知症」発病の原因ではないのです。
「DSM4」が第一の要件に規定する「記憶障害」の症状は、小ボケの段階では全く確認されないし、中ボケの段階になっても最後の段階、大ボケの直前にならないと発現してこないことに注目すべきなのです。アミロイド・ベータもタウ・タンパクも、脳内での情報の伝達に不可欠の重要な役割を担うたんぱく質なのです。アミロイド・ベータやタウ・タンパクの沈着や蓄積が神経細胞を侵し、それが原因で情報の連絡の不具合が起きてきて、「記憶障害」の症状を発現させているというストーリーは、誤解に基づく空想、「妄想」に過ぎないのです。研究者は、情報伝達に不可欠であるそれらのたんぱく質が、脳内に残留する結果として、神経細胞を侵すことになるその仕組みを調べるべきなのではないでしょうか。必要なのに使われなくなることによって(ナイナイ尽くしの「単調な生活」習慣が原因で)、神経細胞を侵すほど大量に残留することになると私たちは考えるのですが、いかがでしょう。
ⅵ)症状の確認に際して、左脳、右脳、運動の脳と並列に「前頭葉」を扱う内容の規定となっている「第二の要件」は、上述の説明から容易に分かる通り、規定内容(条件)に重大な誤りがあるのです。
私たちは、「失語や失認や失行」の症状も、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する生活習慣により、「前頭葉」の機能だけでなくて、左脳、右脳及び運動の脳までもが「廃用性の加速度的で異常な」機能低下を進行させたことが直接の原因で発現してくる症状だと考えているのです。
「大ボケ」の段階(MMSの得点が、14点以下0点まで)にまで、脳全体の機能が低下してくると、「脳のリハビリ」によって回復させることが困難になってしまうのです(直前の「中ボケ」の段階に回復させることさえ困難になってしまうのです)。
「DSM-4」が第二の要件として確認している失語や失認や失行の症状が発現している人達は、MMSの得点が更に低くなってきて、「一ケタの得点」にしかならない人達なのだということに注目していただきたいのです。
○ 失語、失認、又は失行の症状の発現と脳の機能レベルとの関係
末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現している人達の脳の機能レベルは、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」が殆ど機能していない状態にあって、且つ、言葉や計算や論理や場合分けといった機能をつかさどる役割の左脳も僅かにしか働かなくなっていて(「DSM-4」の規定する第二の要件からすれば、「失語の症状」が確認されているはず)、或いは、更に機能が衰えてきている段階では、アナログな情報の処理を行う役割を担う右脳も僅かにしか機能しなくなっていて(「DSM-4」の規定する第二の要件からすれば、「失認の症状」が確認されているはず)、それよりも更に機能が衰えてきている段階では、運動の脳も僅かにしか機能しなくなっているのです(「DSM-4」の規定する第二の要件からすれば、「失行の症状」が確認されているはず)。
「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくる失語、失認又は失行の症状は、「前頭葉」の機能が正常なレベルにあって起きてくる「通常の失語や失認や失行の症状」とは、発現のメカニズム自体が根本的に異なるのです。
「アルツハイマー型認知症」の症状としての失語、失認、又は失行の症状は、「前頭葉」の機能レベル自体が症状発現の直接の原因なのであり、その基礎の上に立って働く構造となっている左脳、右脳、又は運動の脳のそれぞれの機能レベルをも間接的に反映したアウトプットであるという理解が不可欠だと指摘しておきたいのです。
小ボケに始まり、中ボケの段階を経て、大ボケの症状が発現してくるようになるまでに廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行してきて、更にその上に、失語や失認や失行等の症状が確認されるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてくると(言い換えると、大ボケの症状が発現してきて更に失語や失認や失行の症状が発現してくるまでに「脳全体の機能が低下した状態」が何年間か継続していると)、「廃用性の機能変化に加えて、器質的な変化が重複する形で起きてくる」のではないか、と考えるのです。つまり、失語や失認や失行の症状は、本来的には「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたことを直接の原因として、発現した症状だと考えているのです。
「DSM-4」が第二の要件に規定する「失語」や「失認」や「失行」の症状がみられるのは、換算後のMMSの得点が一桁になってからのことなのです。失行の症状が出てくるのは、失語や失認に遅れるのです。
失行のパターンが、「観念失行」であれ、「着衣失行」であれ、「構成失行」であれ、「前頭葉」の機能が殆ど働かなくなっていて、左脳や右脳の機能までもが僅かにしか働かなくなっていて、そうした脳全体の機能レベルを基礎として、意識的に何かのテーマをどの程度実行できるのか/出来ないのかが問われることになる訳なのです。
末期の段階である大ボケの段階の更に後半になって発現してくる症状である、ズボンを頭から被ったりするのは、ズボンのはき方を忘れたからでも、体が動かないからでもなくて、ズボンをはくこと自体の意味が理解できなくなっているからなのです。自分が置かれている状況を判断したり、実行すべき「テーマ」の意味や目的を理解する上で不可欠の「前頭葉」の機能がほとんど働かなくなってきていることが原因なのです。
行為の意味も理解できない、形も不十分にしか認知できなくなっている脳の機能レベルでは(司令塔の「前頭葉」の機能を含む脳全体の機能レベルに鑑みて)、何かの「テーマ」に沿った体の動きを実行しようにも、「期待されるレベルのことは、実行できなくなっている」ということに過ぎないのです(肝心の「御者」が眠り込んでいる)。
意識的に何かの目的で身体を動かす際には、「前頭葉」が左脳、右脳及び運動の脳と協働し、且つそれらを支配しコントロールしながら、身体を動かそうとするテーマ、目的、意味を理解した上で、実行の手順を組み立て、目的となる身体の動かし方をシミュレーションし、最終的な決断を行ってから、指示を出しているのです。従って、司令塔の「前頭葉」の働き具合や左脳と右脳と運動の脳の機能レベルと言う視点で考えると、MMSの得点が6~8点のレベルでは、然も御者が眠り込んでいては、器質的な原因ではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能的な原因から、合目的的な動作が出来なくなっていると考えるべきなのです。
「アルツハイマー型認知症」を発病して何年もが経過し、大ボケの段階にまで脳の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきて、さらに大ボケの期間が何年間も続いた人達の死後の脳を解剖したとき観測される様々な器質的変化(老人斑の沈着、神経原繊維変化、脳の萎縮等)は、廃用性の機能低下が進行していき末期の段階の後半にまで進んで行く過程で、使われる機会が減り酵素により分解される量が減ったアミロイド・べータやタウ・タンパクが大量に蓄積した結果としての残留物であり、この段階になって初めて器質的な変化が発生したのではないかと考えるのです(廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した認知症の症状の発症原因ではなくて、末期の段階にまで症状が進行し、且つその状態が何年間も継続した末で発現してきた状態、言い換えると、発病の結果としての「副産物」だと考えるのです)。
○「アルツハイマー型認知症」の症状の進行とその期間
60歳を超える年齢の「高齢者」(私たちが規定する「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」)が、「第二の人生」を生きていく日々の生活の中で「前頭葉」の出番が極端に少ない単調な生活習慣、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される(私たちが規定する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」)ことにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことに厳密、且つ直接的にリンクして(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに直接的に呼応する形で)、「アルツハイマー型認知症」の症状が段階的に進んでいくこととなるので、「小ボケ」の期間が3年、「中ボケ」の期間が2年あって、その後は何らかの他の病気(老衰を含む)が原因で死を迎えることになるまで「大ボケ」の期間が続くことになるのです。
「アルツハイマー型認知症」を発病していても、そのことが直接の原因で死亡することはなく、身体がもつ限り、言い換えると「何らかの他の病気(老衰を含む)が原因となって死を迎えることになる」その時まで、大ボケの枠の中で、更なる症状の重症化が進行していくことになるのです。「大ボケ」の段階にまで症状が進行してしまうと(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが、そこまで低下してしまうと)症状の更なる進行を止めることさえも/ましてや、回復させることもできなくなるので、「介護の費用」が増大していくだけということになってしまうのです。そのため、「老/老介護」や「認/認介護」や「介護離職」と言った社会問題が顕在化して来ることになるのです。認知症のお年寄りの世話をするための公的費用(診察、投薬及び介護の費用)が年間で15兆円を超える規模になってきて、我が国の政治家も官僚も、蛇口を開きっ放しにした状態で放置して居て、桶から水があふれそうになり慌てているだけ(発病の予防にも、早期診断による回復にも目を向けないで居て、「介護保険」の財政的な破たんが現実化する状態に大騒ぎしているだけ)なのです。皆さんの問題意識は、どうなのですか。
○ アルツハイマー型認知症と「アルツハイマー病」との相違点
第二の人生を送っているお年寄り達の間での発症、老年発症を特徴とする(極めて僅かな例外事例を除いて、60歳以降の年齢の「高齢者」だけが発病の対象となる)廃用型の「アルツハイマー型認知症」の場合は、若年発症を特徴とする(30歳代から50歳代までの年齢の人だけが発病の対象となる)遺伝子異常型の「アルツハイマー病」の場合とは、発病のメカニズムも、発病後の症状の進行具合も、治療の可能性の有無という点についても、さらには発病を予防する方法の有無という点についても、根本的に異なるものと言うべきものなのです(「アルツハイマー型認知症」と「アルツハイマー病」との「呼称の統合」は、大間違いなのです)。
&7 アルツハイマー型認知症は、早期の段階で見つければ治せる
○ボケの治療は脳のリハビリ(「小ボケ」の場合)
「アルツハイマー型認知症」も一般の病気と同じこと、早期発見、早期治療が肝心なのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下が本質であるので、早く見つける程、回復する可能性が高いのです。私たちは、回復の可能性と言う視点から、「アルツハイマー型認知症」の症状について、以下の三段階に症状を区分しているのです。
「軽度認知症」(小ボケ)で見つければ、簡単に治せます(回復容易)。
「中等度認知症」(中ボケ)で見つければ、手間はかかり大変だけど、家族の協力があれば何とか治せます(回復は、未だ可能)。
「重度認知症」(大ボケ)で見つけていたのでは、見つけても手遅れ、治らないのです(回復は、困難)。
世間では、「アルツハイマー型認知症」の末期段階の大ボケの症状を物指しとして見つけようとするので、せっかく見つけても治らないのです(「3つの段階」に分けられることにも、気づいていない)。
「アルツハイマー型認知症」を治す(「前頭葉」を含む脳全体の働き具合を正常な機能レベルに引き戻す)には、脳の使い方としての日々の「生活習慣」を「前頭葉」の出番が多い生活に変えて、「前頭葉」の働きを活発にしてやることが必要不可欠となるのです。
脳を使うというと、簡単な足し算や引き算の計算に励むとか、平仮名で書かれたおとぎ話を音読するとか、左脳に注目するのが世間のやり方なのですが、「前頭葉」の働きを活発にするのに最も効果的な方法は、「右脳」をしっかり使う生活、言い換えると、趣味や遊びや人づきあいをしっかり楽しむ生活を送ることなのです。
趣味や遊びや人づきあいを楽しむことで、自分なりに目標や喜びや生き甲斐があって、意欲が湧いてくるような毎日を過ごすのです。趣味や遊びや人づきあいを自分なりに楽しみ、その発想や企画や計画、実施方法や態様のシミュレーション、或いは、実行の過程や結果について、喜びや生き甲斐を覚えると言った生き方、右脳中心のテーマや生活の工夫と実行が、「前頭葉」の出番を増やし、働きを活性化させ、或いは「前頭葉」の元気を取り戻せるのです。やるのが楽しくて、時間があっという間に経って、またやりたくなるような趣味や遊びや人づきあいを自分なりに楽しむ生活とその仕方を工夫するのが大切なのです。
小ボケの症状が出てきているということは、「脳と言う側面」からいうと、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の働き具合が、既に正常なレベルにはなくて、異常域に入ってきているということなのです。自分で「テーマ」を見つけることが出来ないし、肝心の意欲も湧いてこなくなっているのです。周りが助けて、本人なりに毎日を楽しめる「生活習慣」を組み立て手挙げることが必要なのです。本人が辿ってきた過去の「生活習慣」に遡って、どんなことに熱中していたのか、どんなことなら意欲を持って取り組めていたのかを家族や周りの人達が調べてあげることも必要なのです。
○ 趣味も遊びも人づきあいも苦手と言う人には、運動の脳からの刺激が意外と効果的なのです(ここを「クリック」してください)。この場合、一日一時間の「速足での散歩」が目標となります(5000歩が目安)。
&8「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する「生活習慣」
○ 発病を予防するための「五箇条」
一、熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ
二、気心が知れた関係の友達と交わる機会をできるだけ多く持つ
三、自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける
四、精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす
五、散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ
○ 「アルツハイマー型認知症」とは無縁で、自分らしくいきいきと生きる為に不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「指針」
「左脳」中心、「仕事偏重」だった第一の人生とは生き方を変えて、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが「必要不可欠の条件」となるのです。
「左脳」を中心に据えて、「周りの人達に負けまいと頑張って生きてきた」第一の人生での「生き方」に大きく舵を切って、「右脳」を中心に据えて、「他人は他人として気にせず、自分なりの生活の楽しみ方」を追求すること、「自分の置かれた状況を肯定して、自分なりに人生を楽しむ生き方」が、第二の人生では要求されるのです。「この生き方」こそ、「アルツハイマー型認知症」を予防する唯一無二の、「特効薬」なのです。「キッカケ」となる状況が起きたときに、特にこの考え方、生き方が、立ち上がる「意欲」を喪失させない上で、必要となるのです。
「意欲」が自然と湧いて来るような自分なりのテーマ、「注意を集中」したり「注意を分配」したりする(複数の異なったテーマを同時並行して実行する「前頭葉」の機能 )ことができるだけ多い「テーマ」に取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣化」するよう努力する生き方が必要不可欠となるのです。
○ 「超高齢化社会」の目標は、身体だけでなくて、脳も持たせること
「アルツハイマー型認知症」は、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」が廃用性の加速度的で異常な機能低下により、衰えてくることが発病の最初の段階なのです(「小ボケ」)。逆に言えば、「前頭葉」が正常に働いている(正常な機能レベルにある)限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです(14689例の脳機能データがそのことを示している)。その「前頭葉」が生き生きと働いている状態を保つには、人生を自分なりに楽しむ「生活習慣」(食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣)を組み立て、「前頭葉」の出番が多い生活を日々心がけることが不可欠となるのです。
趣味や遊びや人づきあいといった「右脳」重視の生活が、「前頭葉」の働きを活性化させ、或いは「前頭葉」の元気を取り戻させるのに最も効果的なのです。
○「地域予防活動」を小地域単位で展開する為の活動拠点となる「交流の駅」の建設と運営
真の意味での「一億総活躍社会」と言うのは、その対象となる一億の人達の「前頭葉」を含む脳全体の働き具合が正常な機能レベルに在ることが大前提となるのです。世界でも稀な程のこの超高齢化社会に在って、本当の意味での、或いは、健全な意味での「一億総活躍社会」とは、「身体だけでなくて、肝心の脳が健全な状態、正常な機能レベルに保たれている社会」であることが、本人の精神的な意味からも、家族関係の健全性の意味からも、更には、国家の健全な財政と言う視点からも不可欠の条件となることを、私たち自身が、我が国の社会全体が理解すべきなのです。家の外に出て行って、他人と交わり、共通のテーマをそれなりのレベルで実行できるには、「前頭葉」が正常な機能レベルに在ることが大前提となるからです。私たちの意識的な世界を支配しコントロールしていて、左脳、右脳及び運動の脳と言う三頭立ての馬車の御者である「前頭葉」と言う脳機能が、正常な機能レベルで働くことが出来なくなった時、意識的に何かの「テーマ」を実行しようにも、家の外に出て行って、お友達と「趣味」や「遊び」を楽しもうにも、様々な程度態様の支障が出てきて、自分の脳の力では対応しきれない状態に陥ってしまうのです。その「前頭葉」が使われることが極端に少ない、出番が極端に少ない「生活習慣」の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が起きてきて、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の働き具合が異常なレベルに衰えてきた時、実は、「アルツハイマー型認知症」が既に始まっている(「小ボケ」の段階に入っている)からなのです。
「一億総活躍社会」の提言の内容を見ていて感じるのは、「絵に描いた餅」ばかりということなのです。「介護施設で働く従業員の給料を少しばかり上げたり、人数をある程度増やす」などと言うのは、発想自体が貧困に過ぎるのです。この先も認知症を発病するお年寄りが増え続けることが発想の前提になっているからです。「根本的な解決策」となるのは、認知症全体の90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期発見による回復と言う「テーマ」を国策化することなのです。今日は、その展開策としての一つの例として、以下に具体的に提案しておきましょう。
間伐材を活用して、老若男女が交流する場として、トイレ、水道、台所、土間の空間及び休憩室を備えた、平屋建ての「交流施設」を「高齢者」が自宅から徒歩で通うことが出来る小さな地域単位ごとに一つ建設するのです。建屋の周りには、花壇も設置して、活動に参加するお年寄りが四季の花々を植えて、管理することにするのです。建設場所は、小学校の跡地を含め、国や市町村が保有する遊休の土地を活用するのです。
建設と運営のための費用は、介護保険の一部から拠出するのです。交流が活発化することで、「高齢者」の「アルツハイマー型認知症」の発病が予防され及び発病の時期が先延ばしされることにより、余るほどの「おつりが出てくる」ことになるのです。
「交流の駅」は、ともすれば家に籠りがちな「高齢者」が外に出て行って、他人と交わる場、「前頭葉」を含む脳全体脳を活性化させる重要な場となるのです。人と交わって、とりとめのない話題について談笑し、時には花壇の世話をするだけでも、「前頭葉」の出番が有るので、脳活性化の効果は大きいのです。
出来るだけ全ての階層の老若男女が交流することを目的としつつ、実態としては、「第二の人生」を生きている「高齢者」が交流の中心となる場とするのです。「交流の駅」の運営は、カクシャクな高齢者が自主的に運営すれば、その企画や計画の場を持つこと自体が、その人達自身の脳の活性化ともなるのです。
日常的な交流の場としつつ、一方では、地域の人的な交流の活性化を目的とした春夏秋冬の季節ごとに一つの行事を高齢者が中心となって企画し、実行するする場ともするのです。お茶を飲んで、日常の些事について談笑するだけでも、脳は活性化するものなのですから。
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脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)