成人するまでが20年、成人してから「第一の人生」が終わるまでが約40年
定年退職してからお迎えが来るまでの「第二の人生」が20~30年!!
これが世界でも稀な「超高齢化社会」を実現した我が国日本における 私たちの一般的な一生の工程表なのです。その第二の人生を謳歌することもなく、早々と「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が数多くいるのです。
様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めている認知症であり、皆さんが普段よく目にしている認知症であり、「高齢化率」が30%~40%を超えると言った市町村では、毎朝、毎晩のように、家を出たまま行き先が分からなくなったお年寄り(いわゆる、徘徊老人)を探す役場のスピーカーが近隣に呼びかけているのが常態化しているのです。発病の年代別比率はと言うと、60歳代のお年寄りの12%、70歳代のお年寄りの30%、80歳代のお年寄りの50%、90歳代のお年寄りの75%、加齢の極まりである100歳代では97%にもなるのです(但し、この数値は、厚労省が発表している末期の段階の「大ボケ」の段階のお年寄りだけの数値ではなくて、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の全ての段階のお年寄り達の人数の総計であることに注意してください)。このように、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、「超高齢化社会」だけに特有の現象、超高齢化社会特有の「落とし子」と言えるものなのです。ところがその肝心の「アルツハイマー型認知症」については、認知症の専門家と称する研究者も学者も医師も、誰もが皆無知なのです。中に一体何が隠されているのか、或いは何が有るのかも知らなくて、外側から(外観から)、あれこれと類推して、推測や憶測に基づいただけの内容を、如何にも意味ありげに、権威だけを振りかざして、『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、症状を治す方法が分からないし、発病自体を予防する方法もわからないタイプの認知症である』としつつも、その一方では、主張している内容と発病との間の「因果関係」の立証と言う最も重要であるはずのテーマはどこかに置き忘れていて、声高に、様々な「仮説」を主張しているだけなのです。今日は、その化けの皮を一つ一つ、剥がしてみようと思い立ったのです。これは、単なる批判なのではなくて、極めて重要な問題提起なのです。私達には発信力もないし、権威も無いのですが、『主張している内容や根拠は、私たちこそが正しいし、実績もある』のです。
(プロローグ)様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めていて、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)から、『発病の原因が分からないし、症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防する方法が見つからない』とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の発病者数が、最近の報道記事によると、世界全体では5000万人近くに上っており、米国では1000万人を超えていて、我が国だけでも600万人近くいるということなのです。
この数字を目にされた皆さんは全員がその数の多さに驚かれると思うのですが、そんなことで腰を抜かさないでいただきたいのです。実はこの数は、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状が発症しているお年寄り達の推定値に基づく数なのです。「アルツハイマー型認知症」には、「脳のリハビリ」と言う方法により治せるかどうかと言う区分で言うと、治すことが比較的容易な段階である「小ボケ」(軽度認知症)、治すことが未だ可能な段階である「中ボケ」(中等度認知症)及び治すことが最早困難となる段階である「大ボケ」(重度認知症)と言う「三つの段階」があるのですが、世界中の認知症の専門家と言われる人達(学者、研究者、医師)がそのことに気が付いていない(見落としている)だけなのです。「アルツハイマー型認知症」の専門家とは名ばかりで、生きた人間ではなくてマウスのおしりを追い掛け回していたり、外観からの症状、重度の「記憶障害」に起因したものらしき症状(或いは最近では、Mild Cognitive Impairment「MCI」とか言う概念を持ち出して、軽度の「記憶障害」に起因したらしき症状)ばかりを見つけては、分かってもいないのに肩書に任せてまとめただけのものを発表していたりするのです。ついでのことに言及するのですが、この「MCI」という概念と言うか基準は、「加齢」に起因して発現してくる症状、言い換えると「脳の老化現象」との区分けさえ十分に出来ていないような代物に過ぎないのです。私たちが発病の「第一の要件」として定義しているように、「加齢」という要素は「アルツハイマー型認知症」発病の重要な要素の一つではあるのですが、『年を取れば誰もが「アルツハイマー型認知症」を発病する訳のものではない』ことは、実態面からも世の中の常識という面からも極めて明白な事実なのです。私たちが発病の「第二の要件」として定義している要素、『ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続』に起因した「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能低下という、脳の使い方としての「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という要件と第一の要件との同時存在(二つの要件を同時に充足すること)が発病には不可欠の要件となるのですから。ところが、「MCI」の基準(規定)には、加齢以外の要素としての発病の要件を規定した客観的な要件/条件が記述されてはいないのです。何処の誰がこのような規定(基準)を言い出したのかは知らないのですが、極めて粗雑な規定内容であるとしか言いようがないのです(腹が立ち、苛立ちを覚えるのですが、この程度にしておきます!)。
ところで本題に戻るとして。驚かないでください!生きた人間の意識的な世界に着目して、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能レベルとその機能レベルに厳密にリンクした症状並びに症状が発現してくる源である過去数年間の「生活歴」(脳の使い方としての「生活習慣」)と言う視点から、私たちが独自に開発した神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して14689例にも及ぶ精緻な「脳機能データ」を集積し、解析し、理論化し、体系化した私たちの推計では、「脳のリハビリ」により、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常なレベルに回復させることが出来る(認知症の症状を治すことが出来る)という意味で言う所の、言い換えると、本当の意味での「早期の段階」である「小ボケ」及び「中ボケ」の数を併せると、その数は、「脳のリハビリ」により最早治すことが期待できない、言い換えると、末期の段階である「大ボケ」の数の2倍にもなるのです。専門家と称してはいても、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと言う「視点」も無ければ、それを精緻なレベルで判定し、鑑別する「手技」を持っていない為に、「小ボケ」の段階に特有な症状及び「中ボケ」の段階に特有な症状が「アルツハイマー型認知症」の症状であることを知らないで(気づかないで、見落としていて)、それぞれを「不活発病」と名付けて満足していたり、「老化現象」と間違え/勘違いしているのです。「脳のリハビリ」により回復させることが可能な「アルツハイマー型認知症」の本当の意味での早期の段階であることに気づかないで居て、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続された儘で放置されていると、「小ボケ」は「中ボケ」に、「中ボケ」は「大ボケ」へと症状が進んで行ってしまうのです。「大ボケ」は、「脳のリハビリ」による回復はもはや困難な段階であり、日常生活面での「介護」が不可欠となるのです。その意味で、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りは、「要介護の予備軍」でもあるのです。発病自体を予防することもなく並びに小ボケ及び中ボケの段階で見つければ治せるのに、放置された儘で居るが為に、600万人近くの大ボケの段階の日常生活面での「介護」が不可欠の状態に在る「お年寄り達」が我が国には居るということなのです。
ところで、「アルツハイマー型認知症」については、米国精神医学会が策定した「DSM-4」の規定が世界で最も権威が有る(実は、権威が有るだけで、内容的には間違い)とされていて、我が国だけでなく世界中の認知症の専門家達はその規定の内容を基にして、発病の原因(機序)を考え、或いは、発病の有無を考え、症状の程度を考え、治療や予防薬の開発の方法を考えようとしているのです。この規定の内容が正しいものなのであれば、それらは正しい対応と言えるのですが、実は、この規定こそが“諸悪の根源”なのです。この規定の第一の要件も第二の要件も共に重大な内容の誤りを規定したものだからなのです。第二の要件は、「アルツハイマー型認知症」の発病者であるとの診断を行うに際しては、失語、失認又は失行(規定上は、「又は、実行機能の障害」とある)の内のいずれかの症状が確認されることを要求しているのです。失語、失認、失行の症状は、実は、「末期の段階」であり、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の中でも更に後半にならないと発現が確認できない症状(30点が満点であり、14点以下になると「大ボケ」の段階と判定されるMMSEの得点が、一桁にならないと発現が確認されない症状)、言い換えると、極めて重度の症状なのです。上述した「アルツハイマー型認知症」の発病者数とは、そうした段階の症状(極めて重度の症状)が確認される人達だけのことを指しているのです。認知症の専門家達とはいっても、「DSM-4」の規定に金縛りにあっていて、その規定の内容を微塵も疑ってはみない人達なのです。この重大な誤りを内包する規定内容の信望者達なのです。
私たちは、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴である、『脳が壊れてもいない』のに、言い換えると、『何等の「器質的な病変」が存在してもいない』のに及び『「記憶障害」に起因している訳でもない』のに、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に様々な程度及び態様での支障が出てきて、自分が置かれている状況の理解と判断、実行内容の計画、実行手順の組み立て、実行結果のシミュレーションとシミュレーションに基づく必要適切な修正、最終的な実行内容及び方法の選択、実行の決定と決断、或いは、手足となって協働する脳の各部(左脳、右脳及び運動の脳)に対する実行の指令等の実行機能の発揮(Executive function)に関わる「前頭葉」を含む脳全体としての認知機能の発揮度に重大な支障が伴うこと(認知症の症状が発現してくること)に着目してきたのです。こうした視点と研究態度は、世界広しと雖も、私達がOnly oneなのです。
認知症の専門家達とは言っても、我が国を代表する研究機関である理化学研究所、我が国を代表する大学である東京大学や京都大学に所属する研究者や学者達とは言っても、皆さん、マウス(アミロイドベータを注入した「アルツハイマー・マウス」を含む)が餌を探して檻の中を歩き回る行動に関わるマウスの行動の記憶とか、その障害となる物質とかを日夜研究していて、そのデータに基づく推論(憶測)に基づいた「仮説」を組み立て、発病との間の因果関係が未だに実証されてもいないその仮説、推測、推論、或いは憶測に基づいた主張を発信し続けている程度でしかないのです。但し、我が国での権威が極めて高い組織に属する人達でもあるので、その発信力が私たちの組織のそれとは比較にならない程だということなのです。内容的にはそれらを圧倒しているのですが、発信力では、私たちは、負けているのです。内容さえ正しければ良いということにならないところが、こうした医学の世界、病気の解明と言う世界でも存在していることに驚くのです。因果関係を無視したそれらの主張が、世間では、権威を持って罷り通っているのです。それが、現実の社会なのだとは言え。
逆に言うと、それだけの権威が有り、発信力がある訳なのだから、その社会的な責任についてもっと自覚を持っていただきたいのです。何時まで、誤りだらけの情報を発信し続けるのかと言いたいのです。そこで、今日のこのブログでは、権威がある、社会的な発信力が有るとされる人達、「アルツハイマー型認知症」研究の最高権威の人達の主張が、どれだけの根拠も無く声高に主張されただけの空想物語に過ぎないものであるかを、逐一検証して、彼等だけでなくて皆さんに対しても、「問題提起」したいと考えるのです。権威とは名ばかりで、内容のレベルはと言えば、根拠のない推論、空想、憶測の吹き溜まりに過ぎない、その代表格、それが世界的な規模で、且つ、天文学的な規模の人数での発病が危惧されている『アルツハイマー型認知症』の発病原因の究明及び未来永劫達成されることは有り得ない治療薬/予防薬の開発並びに「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階の症状(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の症状)ではなくて、CTやMRIやSPECTや果てはPET迄持ち出して極めて高額の診察費を稼ぎ出していながら、末期の段階であり回復させることが困難な「大ボケ」の段階の「前半の段階の症状」を見つけることを「早期診断」と称しているのが、医学界の現状であり/製薬業界の現状であり/医療現場の実態なのです。
&1「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は、高齢者だけなのです
(1) 働き盛りの若い年齢で「アルツハイマー型認知症」を発病する?
昨年の年末の特番を含め過去数年間にNHKが何度も特番を組んで高視聴率を上げてきたテーマである『働き盛りの若い年齢の人達の間で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が増えてきている』との主張/報道内容が誤りであることの検証です。
(2) 検証
テレビの画面に登場してきたその人達の発言の内容、発言の論理、発言の仕方や態度、表情の変化や感情の発露等には、実は、際立った特徴があります。私たち人間だけに備わっている機能であり、「前頭葉」の機能の内でも最も高度な機能である「注意の分配力の機能」が正常な機能レベルで、且つ高度に発揮されていると言う特徴なのです。言い換えると、『「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ外観面からだけの評価であるとはいえ、重度の「記憶障害」の症状が確認されるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてきている人達のそれとは、次元が異なる』と言える程の大きな相違があるからなのです。
突然取り挙げられた何等かの「テーマ」に対して、僅かな時間の内に、極めて理路整然と自分が語る内容を構成することが出来るのです。例えば、周りの人達からの支援が欲しいことは何かとか、逆に支援を望まない事とは何かなどのテーマに対して、『自分が日々どのような日常の生活状況に置かれているか、どのようなテーマや状況に対してどのような支援や支援の在り方を期待するか、どのような分野、或いは内容の対応を期待しないのか』等について、テレビを見ているお年寄り達が驚く程の内容を、自分なりの語り口で、時には感情を発露させて涙しながら、的確に、且つ簡潔に説明することが出来るのです。このことを脳の機能面から説明すると、左脳、右脳及び運動の脳と言う三頭立ての馬車の「御者」、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私達の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能の働き具合が、正常な機能レベルに在ることの証拠に他ならないのです。廃用症候群に属する「生活習慣病」を本態とする「アルツハイマー型認知症」の場合には、「前頭葉」の機能が最初に異常な機能レベルに衰えて行くのです。その中でも、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の中で最も高度な機能である注意の分配力の機能から衰えて行くことが特徴なのです。その上、世界的に最も権威が有るとされていて、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)が判定や診断の際に必ず依拠することになっている判定/診断基準であり、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定の「第二の要件」が、失語、失認又は失行の症状の確認を要求しているので、テレビに登場してきた人達(テレビに登場してきた『全員が、「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断されている』との紹介が、為されています)は、「重度の記憶障害」の症状が確認されていて、加えて、失語か、失認か、或いは失行の症状が確認されている人達と言うことになる訳なのです。「アルツハイマー型認知症」を発病した人達で、重度の記憶障害の症状が確認されていて、なおかつ、失語か、失認か、失行の症状が確認される人達と言うことになれば、私たちが独自に開発した極めて精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の判定基準で言うと、「前頭葉」の機能レベルが異常な機能レベルに在って(言い換えると、「かなひろいテスト」が不合格であるだけでなくて、「注意の分配力」の機能が殆ど機能しないレベルにまで衰えてきている)、且つ左脳、右脳、又は運動の脳の機能も極めて異常な機能レベルに衰えてきている(30点が満点であり、換算値が14点以下になると末期の段階である「大ボケ」の段階と判定されるMMSEの得点が一桁にしかならないレベル)人達と言うことになるのです。
「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたことにより、上述した機能レベルに在る人達、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ末期の段階である「大ボケ」の段階にある人達が、テレビに登場してきて、突然提起されたテーマに対して、上掲のような対応が出来るということは絶対に起こり得ない、有り得ない事なのです。肝心の「前頭葉」の機能、就中、「注意の分配力」の機能が殆ど機能し得ないレベルに在るからなのです(その人達に、「かなひろいテスト」を実施すればすぐにそのことが分かるのです)。そこに登場してきて、「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断されていた人達は、実は誤診されていた人達、全く別の病気である「側頭葉性健忘症」(新しく経験した出来事の記憶が全くできないという症状を呈するのが特徴)を発症している人達だったということなのです。
外観上から捉えられる両者の共通点は、極めて重度の「記憶障害」の症状(アルツハイマー型認知症の場合は、外観的な「記憶障害」らしき症状)を呈することなのです。実は、この「記憶障害」と言う点についても、専門家と言われる人達が無知であり、誤解しているのです。「アルツハイマー型認知症」の症状が発現する要因として「記憶障害」と言う要素が必要不可欠とするのが上掲した『DSM-4』の第一の要件なのですが、この要件自体が重大な誤りなのです(後述する、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の典型的な症状の類型を「前頭葉」の機能レベルとリンクさせて判定し、鑑別してみれば、容易に分かることなのです)。「DSM-4」の規定の策定者達自身が、『「前頭葉の機能障害」に起因した』と規定すべきものを『「記憶障害」に起因した』ものと誤解して規定しているのです。「アルツハイマー型認知症」の様々な症状には、外観的に単純にとらえてしまうと「記憶障害」に起因したらしき症状がたくさんあるのですが、その内容を脳の機能と言う側面から厳密に判定し精緻に鑑別してみると、「前頭葉」の機能障害に起因した症状が中核をなしていることが分かるのです(発病の最初の段階である「小ボケ」の段階から「中ボケ」の段階を経て、末期の段階である「大ボケ」の段階へと症状が進行していく過程での「前頭葉」の機能レベルの変化を厳密に判定してみれば、「小ボケ「の段階で既に異常な機能レベルに在る「前頭葉」の機能が加速度的に衰えて行き、末期の段階である「大ボケ」の段階になると、「前頭葉」の「個別認知機能」の機能の発揮度及び認知度を左右し/下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能、就中、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能が殆ど働かないまでに機能低下してきていることが分かるのです)。
他方で、「側頭葉性健忘症」の患者の場合には、重度の記憶障害の症状(脳の変性に起因したものであり、新しく経験した出来事の記憶が全く入って行かないという特徴を有する症状)を呈するものの、『肝心の「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る』ことが特徴なのです。自分が置かれている状況を的確に理解し、判断することが出来、与えられたテーマ(質問)に対する適切かつ的確な回答を、論理的に組み立て、自分なりの表現で、言葉や態度や感情の発露で、的確に表現できる為には、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度及び認知度を左右し/下支えしている機能である「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が、正常な機能レベルに在って機能していることが不可欠の条件となるのです。
注1)「正常老化の性質」の存在と発病の対象となる年齢とは
廃用症候群に属する「生活習慣病」(但し、脳の使い方としての「生活習慣」に起因する病気であることに留意する)である「アルツハイマー型認知症」の発病の要件は、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」であることが発病の「第一の要件」であり、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が、発病の「第二の要件」であり、「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることによる「相乗効果」により、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなり、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているということなのです。私たち人間の「前頭葉」の機能には、「生活習慣」の如何にかかわらず、正常な機能レベルを保ちつつも、「加齢」と共に機能が緩やかに衰えて行くという性質、私たちが「正常老化の性質」と呼称する性質が生まれつき内在されているので、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者は、加齢と共に機能が緩やかに衰えて行くという「正常老化のカーブ」(65歳くらいになると、最盛期である20歳代前半の頃に比べて、機能レベルが半分くらいにまで衰えてきている)と言う問題の存在と加齢にともなうその機能レベルと言う条件から、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」に限られることになるのです(50歳代での発病は、皆無と言えるほど極めて稀な事なのです)。他方で、「側頭葉性健忘症」の発病者の年齢は逆に、30歳代から50歳代までと言う若い年齢が発病の対象となるのが基本なのです(但し、60歳代を超えて以降も、それ以前の若い年代に比べて僅かな割合とはなるものの、発病者は依然として出現してくるのが特徴です)。
注2) 専門医と言うのは「肩書」だけなのですか?
上掲したような誤診をしている医師は、「アルツハイマー型認知症」についても「側頭葉性健忘症」についても無知なのです。閣僚に任命する人達に対する事前の身上検査でもないのですが、テレビで放映することの社会的な影響の大きさに鑑み、番組を担当しているディレクターは、採用する医師の専門分野だけでなくて、その人の真の実力の程についても、事前のチェックをしておいていただきたいのです。
&2「アルツハイマー型認知症」の発病者(「大ボケ」の段階の人)に羞恥心及び自尊心は語れないのです
(1) アルツハイマー型認知症を発病しても羞恥心も自尊心もある?
「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクして様々な程度及び態様での症状、私たちの区分で言う三段階の症状が発現してくるものなのです。その症状は、記憶障害に起因して発現してくるものではなくて(「DSM-4」の規定が「第一の要件」に掲げているものなのですが、これは、未だに因果関係が立証されてもいない単なる「仮説」)、私たちが発病の「第二の要件」として規定する要因、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して発現してくるものなのです。その中核を形成しているものが、「前頭葉」の廃用性の機能低下と言う要因なのです。私たち人間だけに特有な脳機能であり、マウスは愚かチンパンジーやゴリラにさえも備わってはいない脳機能である「前頭葉」には、「評価の物差し」(自分なりの捉え方、観方、感じ方、考え方の基盤となる脳機能を言います。これを別の言葉で言い換えると、「自我:das Ich」。)と言う機能が備わっていて、知覚表象、記憶表象及び想像表象の全てに関わる機能であり、事象及び現象に関わる自分独自の表象並びにそれらを基とした自分独自の表出の源となる機能であって、自分なりの(自分独自の「評価基準」に基づいて)状況の理解と判断、実行すべきテーマの発想或いは何をどのようにすべきなのかを、選択し、決定しているのです。羞恥心や自尊心は、自我を構成している基礎としての機能、評価の物差しの機能発揮による結果として生じてくるものなのです。従って、「評価の物差し」が働いている根底にある「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル、就中、「前頭葉」の三本柱の中核の機能である「注意の分配力」の機能の機能レベルと厳密にリンクして発揮される、言い換えると生じてくる感情なのです。その意味では、『日常の様々な生活状況の場面でのその人らしさが失われていくのが特徴』である「小ボケ」の段階で、既にその発揮のレベルは異常なレベルに在って揺らいでいるのであり、誤りだらけの規定である「DSM-4」の規定を疑うこともなく闇雲に信望している認知症の専門家達が「アルツハイマー型認知症」の発病と認めるレベルである失語や失認や失行の症状が確認されないまでも、医師が「アルツハイマー型認知症」の発病と診断するレベルの人達、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の症状が確認されるお年寄りの場合は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル、就中、「注意の分配力」の機能の機能レベルに照らしてみれば、羞恥心とか自尊心とかは、もはや無縁のものと言うしかないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病者である場合、羞恥心や自尊心が機能しているのは、認知症の専門家達からは見落とされている「小ボケ」及び「中ボケ」の段階(但し、「中ボケ」の場合は、その前半のレベルまでの人達)のお年寄りまでなのです。これは、認知症とは全く別の病気である「側頭葉性健忘症」を発病しているにも拘わらず、「アルツハイマー型認知症」(或いは、「アルツハイマー病」)と誤診されている人達との混同が起きている結果としての社会現象なのです。
(2) 検証1(すべては、「誤診」に端を発しただけのものなのです)
もっとも有名な事例と言うか、この誤った社会現象、言い換えると、誤診に基づいた社会現象を世界中に巻き散らかしてきた人なのですが、オーストラリア人の有名なクリスティーンブライデンさんの例があります。彼女は元が政府高官というプロフェッショナルな女性でしたが46歳の若さで「アルツハイマー病」と誤診されただけのことなのです。そもそも、若年発症を特徴とし、生まれつき特定の遺伝子に異常が確認される人だけしか発病することが無い極めてまれなケースである「アルツハイマー病」と老年発症を特徴とし、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に基づく廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因して発病する極ありふれたタイプの「アルツハイマー型認知症」とは、発病のメカニズムも、症状の進行のスピードも、発病する対象年齢も、症状を治すことが出来る/発病を予防することが出来る可能性の面からしても、両者は全く異なるものなのです。
ところが、そのことについても無知な権威だけの医師が、「アルツハイマー病」と誤診しただけのものなのです(正しい診断が行われていたならば、彼女は、「側頭葉性健忘症」と診断されたはずなのです)。更には、「側頭葉性健忘症」と「アルツハイマー型認知症」との区別を知らないだけでなくて、「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とを混同して居ることにも気づかない、無知でいる医療現場の「誤った診断」が世界中でまかり通ってきているという実情、加えて、彼女の言動や行動や態度や表情のすばらしさが誤解を更に大きく増幅させてしまったということなのです。「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とが同じタイプの認知症として誤解されているが為に、更には「側頭葉性健忘症」を「アルツハイマー病」(又は、「アルツハイマー型認知症」)であると誤診しているがが為に、「アルツハイマー病」(又は、「アルツハイマー型認知症」)患者の羞恥心とか自尊心とか言うテーマが、現状のように、大きくクローズアップされてきてしまったのです。その後「私は誰になっていくの―アルツハイマー病者から見た世界」を上梓し、この本が『「アルツハイマー型認知症」(「アルツハイマー病」とは本質的に全くの別物であることに注意)を発病している人達の言葉を聞こう、羞恥心や自尊心と言う問題に関心を深めて対応に気を付けよう』という「誤診」に端を発した、誤った社界的な/世界的な流れと活動とを生み出すことになって行ってしまったのです。
彼女は、世界中で、「アルツハイマー病」(「アルツハイマー型認知症」)の発病者からの発言ということで感動的な講演をし続けてきました。ごく最近の様子ははっきりしませんが、発病後も20年間近く上述の「社会活動」を続けたのです。「アルツハイマー型認知症」の発病により、言い換えると、「DSM-4」が規定する「第二の要件」の症状が確認されている人達、「前頭葉」の機能自体が異常な機能レベルに衰えてきていて、就中、「注意の分配力」の機能が異常なレベルに衰えてきて殆ど機能しえないレベルに脳全体の機能レベルがある人達の発言、態度、言動、或いは行動としては、全くのこと有り得ない事なのだということになる訳なのですが(もちろんのこと、生まれつき特定の遺伝子に異常が存在する人だけを対象として発病する「アルツハイマー病」の場合には、「前頭葉」を含む脳全体の機能、言い換えると、認知機能が極めて急速に衰えて行き、数年のうちに寝たきりになるはずのものなので、発病後もずっと「前頭葉」が、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルを維持していて、上述の書籍を著作したり、或いは、講演活動を世界中で行うことが出来た彼女は、「アルツハイマー病」を発症していた訳でもないのです)、肝心の医学会自体がそのことにさえ気づいていないという状況なのです。私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して集積した、14689例にも上る「アルツハイマー型認知症」の症状の類型の中から、典型的な症状として取り上げている症状を以下に列記しておきますので、参考にしてよく考えてみてください。
(3) 検証2
一口に「アルツハイマー型認知症」の発病者とはいっても、極めて症状の幅が広く、一律に論じること自体がナンセンス(無知と誤解に基づいた発言が専門家とされる人達に多すぎるのが現状なのです)と言うしかないのです。分かり易くするために、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル並びに「脳のリハビリ」による回復の可能性の有無とその程度とにより私たちが三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の症状の各段階に特有な類型(8種類づつ)を以下に示します。
ⅰ)「軽度認知症」(小ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目
□ 発想が乏しくなって、画一的な行動が目立つようになる
□ 何事にも億劫で面倒がり、やろうとする意欲が見られない
□ 一日や一週間の計画が立てられず、なにも思いつかない様子
□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない
□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけが目立つ
□ 目の光がどんよりとしていて、普段の顔つきが無表情となる
□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く
□ 自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする
ⅱ)「中等度認知症」(中ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目
□ 簡単な計算さえもしなくなり、お札ばかりで買い物をするので、やたらと小銭がたまる
□ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、簡単な庭仕事さえもきちんとできない)
□ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない
□ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る)。
□ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたまま
□ 料理の味付けが変になる(塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)
□ 行き慣れている所に行くのに、スムーズに行けない(行き先の違う乗り物に乗ったり、行き道を間違えたりする)
□ 季節が分からなくなる(夏にセーターなど、季節違いの服を平気で着る)
ⅲ)「重度認知症」(大ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目
□ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている
□ 風呂に入るのを嫌がり、怖がるようになる
□ 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする
□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする
□ 自宅に居ても落ちつかず、外に出て行きたがる
□ 大小便を失敗しても、後の処置や始末ができない
□ 今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ
□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする
「アルツハイマー病」、「アルツハイマー型認知症」及び「側頭葉性健忘症」についての医療現場での診断について、或いは、それらの病気についての発病のメカニズムや症状の内容についての理解についての医学界(医師の理解)のレベルはと言うと、この程度のものに過ぎないのです。この程度の診断が未だに医療現場では罷り通っているのです。不可侵の権威に対する無抵抗の信頼の恐ろしいところなのです。医療現場に携わる医師は、その社会的使命を自覚すべきなのです。
&3「アルツハイマー型認知症」と発病の予防及び症状回復の可能性の有無
(1) 「アルツハイマー型認知症」は、治すことも予防することも出来ない?
「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについては、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、脳の萎縮説等様々な説が提唱されてきてはいるのですが、そのいずれもが「仮説」(主張の内容と発病との間の肝心の因果関係を立証できないでいる)に過ぎないのです。Aなのかもしれないという学者もいれば(学派もあれば)、B なのかもしれないという学者もいれば(学派もあれば)、C なのかもしれないという学者もいる(学派もある)と言う状態なのです。この20年間の間に、丁度あの澱みに浮かぶ泡沫のように、出て来てはいつの間にか消えていくのです。長らくの間通説の地位にあったあのアミロイドベータ説も、アミロイドベータ説の主張に立脚した治療薬の開発に挑戦した、欧米や我が国の全ての大手製薬メーカーがことごとく治験の段階で失敗を認め、開発をあきらめたと言う状況に在るがために、これまでは少数説の地位にしかなかったタウ蛋白説にその地位がとってかわられようとさえしているのです。
(2) 検証
「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病」(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)に過ぎないのです。廃用症候群に属する生活習慣病を本態とするものであるが故に、それらの機能には『より高度で複雑な機能から先に、且つより早い段階で、廃用性の機能低下が進行していく』という客観的な基準としての規則性が確認されるのです。「前頭葉」、「左脳」、「右脳」、「運動の脳」という順番での加速度的で異常な機能低下の進行が開始され、加えて、MMSEで判定される左脳と右脳の機能の衰え方についても、「MMSE下位項目の項目困難度」という極めて重要で有益な指標が確認されるのです。私たちが問題提起し、鑑別に活用しているこの指標は、「アルツハイマー型認知症」と他の認知症との鑑別並びに認知症と紛らわしい病気との鑑別を行う上で、極めて有意で、有益で、有効で、重要な指標となっているのです。この「指標」が存在する事実からも、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現並びに症状の重症化の進行の直接の原因とアミロイドベータの蓄積とかタウ蛋白の蓄積とか脳の萎縮の進行とかは無関係の関係にあることが分かるのです。『言ってしまえば、それらは、原因ではなくて結果に過ぎない』ということなのです(アミロイドベータの蓄積やタウ蛋白の蓄積や脳の萎縮が原因で、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるのではなくて、私たちが主張している発病の第一の要件と発病の第二の要件とが同時に充足される状況下で、「アルツハイマー型認知症」を発病した「お年寄り」が、脳は持たないのに身体が持つがために、末期の段階である大ボケの段階にまで症状が進行していき、その上に猶数年間も生きた(「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能低下が進行していった)結果として、「老人斑」とか、「神経原線維変化」とか、或いは、「脳の顕著な萎縮」とかが発現し、進行してきただけのものに過ぎないと考えるのです。「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で見つけて、「脳のリハビリ」を実践すれば、「アルツハイマー型認知症」としての症状が改善され、或いは治せる訳なのですから。
私たちは、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状について、「脳のリハビリ」(「前頭葉」が活性化する脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及び日々の実践)により正常な機能レベルに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを回復させることが出来る(「アルツハイマー型認知症」の症状を治すことが出来る)可能性の有無及び程度から、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に症状を区分しているのです。
「小ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことが容易
「中ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことが未だ可能
「大ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことは最早困難
アミロイドベータ説(やタウ蛋白仮説)が言うように、『アミロイドベータの蓄積により生じた老人斑(タウタンパクの蓄積により生じた神経原線維変化)の持つ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の大量の細胞死を惹き起こし、そのことに起因して「記憶障害」が惹起される結果として「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくる』ものだとしたら、上述のような本当の意味での「早期の段階」と私たちが区分し位置付ける「小ボケ」及び「中ボケ」の段階であれば、『「脳のリハビリ」により治すことが出来る』と言う極めて多数例に上る実証例の存在をどのように説明できるというのでしょうか。
アミロイドベータの蓄積により(タウ蛋白の蓄積により)形成された老人斑により(神経原線維変化により)細胞死を惹き起こされた神経細胞が、「脳のリハビリ」により生き返ってくることになるという重大な矛盾を惹き起こしてしまうことになるのです。言い換えると,『私たちの区分で言う「中ボケ」の段階の症状が発現してくるまでに、異常な機能レベルにまで機能が低下してきていた「前頭葉」を含む脳全体の機能が、「脳のリハビリ」により、正常な機能レベルにまで機能が回復してくる』と言うことになるのです。「脳のリハビリ」による回復と言う極めて多数の症例の存在という事実により、アミロイドベータ仮説は(タウタンパ仮説は)完全に破綻しているのです。更には、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防については、北海道から九州に至る広域の452の市町村で、住民参加型の「地域予防活動」として顕著な成果を挙げてきた実績が私たちには有るのです。
&4「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は、未来永劫不可能な事
(1) 「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は可能?
テレビや新聞報道により、『「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は可能』との報道が流されるたびに、出来るだけ早期に、国策として我が国の全国の市町村の津々浦々にまで浸透していくまでに実施すべきものである「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復と発病の予防を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の制度化の時期が遠のいていくことになってしまうのです。
病気自体の負担の重大さ(本人の人生、介護が不可欠となるまでに症状が進行した親を抱える家族の精神的、肉体的及び経済的な負担並びに診察、投薬及び介護に関わる天文学的規模となってしまっている介護関連費用の税金による負担の重大さ)及び発病者数自体がこれまた天文学的な人数と言う実態に鑑み、『発病の原因が分からないし、症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防する方法が分からない』としつつも、様々な「仮説」を打ち立てていくばかりで何等の貢献をしていない学者達や「脳のリハビリ」による回復の可能性が全くなくなってしまっている末期の段階の更に後半にならないと発現が確認できない極めて重度の症状である失語や失認や失行の症状を判定基準にして「アルツハイマー型認知症」の発病と診断している上に、極めて高額な診察費がかかるCTやMRIやPET迄も総動員しながら、「脳のリハビリ」による回復が期待できる本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)を見落としていて、売上高を稼ぐことだけに邁進している医療現場並びに『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態が廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」である』ことに気づかないで居て、『「器質的な病変」が発病を惹き起こす原因だとか、「記憶障害」に起因して症状が発現してくるとかの重大な誤解』に基づいた前提を維持したままで居るアミロイドベータ説とかタウ蛋白説とかの因果関係の立証が未だに為されない「仮説」を相も変わらず信じた儘で居て、それらの「仮説」に立脚した前提条件の下での「治療薬」や「予防薬」を目指した薬の開発に奔走する製薬業界、そうした製薬業界が発する「株価操作」とも疑われかねないような開発の可能性の高さに関わる紛らわしい発言や言及を受けて、業界が発信するがままの『「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は近いと』言う見出しによる報道等、様々な分野での不条理な行動や言動が、最近特に目立つのです。
(2) 検証
このブログで何度も指摘してきているように、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症を発病するメカニズムそれは、「廃用性の機能低下」と言う要素に起因して発症するということなのです。「アルツハイマー型認知症」は器質的な病変が発病の原因でもなければ、様々な程度及び態様での発現が見られる認知症の症状は、「記憶障害」に起因した物でもないのです。それだからこそ、アミロイドベータ説やタウ蛋白説の主張内容に立脚した下での治療薬/予防薬の開発が悉く失敗してきているのです。それらの仮説が立脚している『器質的な病変が原因である』とか、『「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくるものだ』とする大前提自体が根拠のない「仮説」の類に過ぎない代物だからなのです。
「アルツハイマー型認知症」の発病の第一の要件は、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」であり、発病の第二の要件は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続することなのです。『第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていく、その先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化が待っている』ということなのです。様々な種類が数有る認知症の内の大多数、90%以上の割合を占めていて、皆さんが普段見かける認知症である「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないものなのです。
それであるからこそ、脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及び実践により、発病自体を予防することが出来るし、本当の意味での早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが出来るのです。発病及び重症化のメカニズムからして、どのような方法によるものであろうとも、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することが出来たり、或いは、症状の進行を抑制/防止することが出来たり、更には、症状を治すことが出来る薬(治療薬/予防薬)が開発されることは、未来永劫有り得ない事だと断言することが出来るのです。その根拠が、私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して、集積し、解析し、理論的な体系化を成し遂げた基礎である14689例にも上る「脳機能データ」であり、北海道から九州までの広域に亘る452の市町村で展開し、実践してきた住民参加型の「地域予防活動」の顕著な成果の積み重ねと言う実績の存在なのです。それらの全てが、世界中に比類のないものなのです。私たちが集積した「脳機能データ」は、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の総体としての機能の機能レベルとそれに厳密にリンクした症状(脳全体の機能レベルの反映としての症状)のデータなのです。その上、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下に呼応したものとして、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に区分しているだけでなくて、それぞれの段階の中もさらに細分化されていて、全体が切れ目なく繋がってもいるのです。
&5「アルツハイマー型認知症」は、廃用性の「生活習慣病」に過ぎないのです
(1) 『アミロイドベータを早期に脳内から解消させる方法(EX.ワクチン療法等)により、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することが出来る』?
(2) 検証
これこそが最も最近唱えられるようになった「仮説」であり(主張の内容と発病との間の因果関係が立証されていない「仮説」なのです)、その拠点となっているのが米国ハーバード大学であり、我が国では東京大学なのです。相も変わらず、アミロイドベータ説に立脚したものなのですが、その発想自体が極め付きと言ってもいい位の重大な誤りであり、単なる思い付き、発想の転換に過ぎないのです。科学的及び医学的な根拠があるものではないのです。従来のアミロイドベータ説の考え方では、『脳内で造られている(何等かの有用で有益な機能を脳内で発揮する為に脳内で造られているはずのものである)アミロイド・ベータというタンパク質が何等かの機序により脳内に蓄積してきて、その蓄積の程度が大量になってくると「老人斑」が生成されることとなり、その「老人斑」の持つ毒性が脳内での様々な情報を伝達する役割を担っている「神経細胞」の大量の細胞死を惹き起こすこととなる結果、「記憶障害」がらみの支障を惹起させる為に、「記憶障害」に起因したものとしての「認知症の症状」が発現してくることになる、言い換えるとそれが、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであるという「仮説」が依然として維持されているのです。
欧米更には我が国の製薬会社により従来挑戦されてきた開発行為の試みその意味は、『認知症の症状の発現が確認された後の時期を対象としての「アルツハイマー型認知症」の治療薬としての様々な薬の開発であり、それら全ての開発PRJが失敗に終わってしまった』ものに過ぎず、『失敗の原因は、アミロイドベータ説に立脚していたが為なのではなくて、投薬の対象時期が遅すぎた点にある』とするだけの考えと言うか、発想の転換なのです。従って、新たに唱えられている「仮説」の新機軸とするところは、発病する前の段階、言い換えると認知機能が未だ正常な段階(時期)を対象として、出来るだけ早い段階でアミロイドベータを脳内から除去する(或いは、ワクチン療法により脳内で解消させてしまう)ことが「アルツハイマー型認知症」の発病の予防方法となるとするものなのです。『予防薬開発に成功するその日は近い』とする報道は、『重大な誤りの内容を単に受け売りで報道しているだけのもの』としか言いようがないのです。この新しい考え方は、SF小説まがいの「空想物語」でしか有り得ない事なのです。「アルツハイマー型認知症」の本態が廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものも無いナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して発病するだけのもの、脳の使い方としての「生活習慣」に起因して発病し、重症化が進行していくだけの病気)であることに気づかないで居て、憶測に基づいて、想像力を逞しくして発想した程度のものに過ぎないことに早く気づいて欲しいのです。
この新しい考えもまた、『アミロイドベータの蓄積が、「アルツハイマー型認知症」を発現させている直接の真犯人だ』との大前提に立っている訳なのです。実は、アミロイドベータの蓄積が発病の原因なのではなくて(アミロイドベータの蓄積と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には肝心の因果関係自体が存在していなくて)、『「アルツハイマー型認知症」の発病の結果として(発病し、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現してきて、更には、失語や失認や失行の症状が確認されるようになるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により殆どの機能が失われていくまで放置されてきた言い換えると、何年間もの間、症状が更に重症化していく儘に放置されたその結果として)、アミロイドベータが蓄積してきたに過ぎない』、私たちの言葉で言い換えると、『発病の原因ではなくて、発病の結果に過ぎないものを、「順序を誤解している」だけのもの』なのです。この程度と言うか、このとんでもない発想、奇想天外な発想を何をもって新機軸と言うのでしょうか。
こんなとんでもない馬鹿げた空想、夢物語が、世界的にも権威あるとされている機関により提起され、そのことが意味があるかのように大々的に報道されることにより、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び発病自体の予防を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」が、我が国の全国の市町村の小さな地域単位で密に展開されるという画期的な施策が国策として実施される日が、またしても遠のいていくことになってしまうのです。
(エピローグ)『和を以て貴しとなす』。古代大和朝廷の時代から我が国の、言い換えると、我が日本民族の基本理念として連綿と受け継がれてきたこの価値観が、日本の社会を、能力主義の導入をかたくなに拒む『肩書社会』を作り上げてきたのです。発病者数の規模やコストの巨額さゆえに、更にはこの先もそれらが増大し続けていくものと予測されているがゆえに、今や、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、超高齢化社会を健全な形で維持していく上で我が国が抱える、我が日本民族の前に立ちはだかる最も危険なモンスター、病気と言えるでしょう。それなのに、我が国の最も権威が有るとされる組織の主張の内容とその程度ときたら、上述したようなレベルに過ぎないのです。そうした権威が、この「アルツハイマー型認知症」の真実の実態を暗闇の中に閉じ込めてしまっているのです。『「廃用症候群」に属する単なる「生活習慣病」であるにすぎない「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」が活性化する「生活習慣の構築」により発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが出来る』のです。
その権威に属する人達はと言えば、『「アルツハイマー型認知症」は、原因不明で治せないとか予防することが出来ないとか言っている』一方で、『治療薬とか予防薬とかの「薬の開発」が可能であるかのような世迷い事を世間に垂れ流し続けている』のです。あ~!何たる、不条理!!
注)本著作物「Bー89」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
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脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)