何であれ 定めのままに 生きること
手術の前の まな板の鯉 By kinukototadao
前立腺の核出手術を受ける前日の4月13日に、大室山のふもとにある『さくらの里』に行って、下手をするとこの世の見納めになるかもしれないと思い、 桜を心行くまで楽しんでから、熱海にある病院へ車で行き、入院しました。まずは、『さくらの里』の桜を楽しんでください。
(プロローグ)
昨年の3月8日の帯状疱疹の発症に端を発して、その後は、後遺症としての激烈な痛みを伴う神経痛が続き、年の瀬も押し迫った12月23日には尿閉を起こして、年が明けた1月23日には、HbA1cの値が15.2で血糖値が594の糖尿病を発病ということで急遽入院を強いられ、4月の14日には6倍にも肥大した前立腺の核出手術という、僅か1年の間に、一生分を全て体験したような1年だったのですけど、幸いなことには、HoLEPという技法による前立腺の核出手術は大成功で、且つ手術後の経過も極めて順調に推移しており、身体の状態も気分も良く、膿も毒も全てを吐き出し尽くしたかのような感じがしていて、全てが極めて良好な状態に在ることを報告しておきたいと思います。1年間もの間、捕らわれの身となって苦しまされてきた帯状疱疹とその後遺症である筋肉痛(神経痛?)からも解放されて、激烈極まりない苦痛をもたらしてくれた尿閉には昨年末におさらばしていて、6倍にも肥大していた前立腺は今回の核出手術により跡形もなく闇の中に葬り去られ、年初にはHbAicの値が15.2で血糖値が594を示していた糖尿病は、担当の医師が目を丸くして私の主張に只耳を傾けるしかなかったほどの急激で劇的な回復を見せていて、富戸漁協が経営するレストラン“波止場”で 黒潮定食(刺身と鰺のフライ)を食べても血糖値が110にしかならないという状況に在るのです。膿も毒も全てが消えうせた状態に在るのです。このように、私自身の脳と身体を取り巻く環境と状況とが様変わりした今こそ、まっしぐらに、「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)を活性化させる新たな「生活習慣」の構築とその実践というテーマに向かって、全力で立ち向かわねばと、私の「前頭葉」が私の耳元で囁きかけてくるのです。
身体には人一倍自信があった私は、何年間も先まで人生設計をして、その上で一年ごとの、或いは毎四半期月ごとの具体化されたテーマを追求する生き方をしてきたのですけど、この1年間に発生した、未曽有の出来事というか体験により、余り先まで計画するやり方は止めにして、2~3年先までくらいを考えて生きることにしようと私の「前頭葉」に言い聞かせているところなのです。それくらいの単位を目途にして、私の「前頭葉」が出来るだけ活性化するような生き方を追求しようと考えているところなのです。「快気祝い」を兼ねたその手始めの行事として、伊豆高原で年に1回だけ5月中一杯開催される「アートフェスティバル」の諸行事が終わり、6月に入ったら早々に、エクシブの軽井沢を拠点にして、4泊5日の旅程で草津温泉と四万温泉とを楽しんできたいと考えているのです。
この場合、以前とは大きくやり方を変えようと考えていることがあります。以前は、外国であれ、国内であれ、色々な所に数多くいくことに価値を見出していたようなところがあったのですけど、これからは幾先の数は減らして、一か所を深くじっくり味わうやり方に変えようと考えているのです。今年中には古希を迎える年齢の私に、残された時間はそれほど多くは無いので、ゆっくりと時間が流れてくれるやり方にするつもりなのです。幸いなことに、外国にまで出かけて行かなくても、我が国日本には素敵な地方や地域がたくさんあるので、国内志向で目一杯楽しもうと考えているところなのです。
折も折、川奈ゴルフ場の桜を見に行った際に知り合った方から教えられた、米桜が群生している西伊豆の仁科峠に行ってきたのです。残念ながら曇天だったせいで、写真から感じられる桜の開花状況が今一なのですが、雰囲気なりとも感じ取っていただきたいのです。普通の大きさの桜ではなくて、その全てが、米粒のように小さい“米桜”なのです。糖尿病の闘病生活が始まって甘いものとは無縁の生活を送ってきている私にとって、仁科峠に在る牧場で、久しぶりに食べたクリームぜんざいの味は格別でした。
& 私達が主張する「アルツハイマー型認知症」の本質
アルツハイマー病、脳血管性認知症、二次性認知症、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症など、一口に認知症と言っても様々な種類があるのです。そのうちの一つが「アルツハイマー型認知症」という訳なのですけど、実は、認知症全体の90%以上を占めていながら、世界中の認知症の専門家達の間で、『発病の原因が分からないし、治すことが出来ないし、発病を予防することも出来ないタイプの認知症である』とされているのです。その為、診断に際しても、発病の原因と症状の特徴とが明確なタイプの認知症から順に除外していき、最後まで残ったもののうち、重度の「記憶障害」の症状を呈する場合に、「アルツハイマー型認知症」なのではなかろうかという程度の判断と鑑別で、「アルツハイマー型認知症」の診断がなされているのが医療現場での実態ということなのです。そして、「アルツハイマー型認知症」を発病して、末期の段階であり私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半の段階にまで症状が進行した「お年寄り」の死後の脳の「解剖所見」に共通に確認されるところの器質的な病変としての「老人斑」(アミロイドベータ説の根拠)、「神経原線維変化」(タウ蛋白説の根拠)及び「脳の顕著な萎縮」(脳の萎縮説の根拠)という特徴を捉えて、それぞれの主張の根拠としながら、「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が立証されないままでの「仮説」にすぎないそれら学説の主張の根拠としているが為に、CTやMRIの機器により、脳の形(脳の萎縮の有無とその程度)を確認するのが通常の診察時の診断方法となっているのです。
世界中の認知症の専門家達から『発病の原因が不明』とされている「アルツハイマー型認知症」の発病の原因、発病と症状重症化のメカニズムの理解について、私達が何故に、「前頭葉」と言う脳機能のことを持ち出すのか、皆さんは不思議に思っているのでしょう。それは、『「アルツハイマー型認知症」の様々な症状は、「記憶の障害」に起因して発現して来る』とする、『DSM-4』の考えが誤りであることを世の中に、世界中の認知症の専門家とされる人達に気づいてもらいたいからなのです。様々な程度及び態様により発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶の障害」に起因して発現してくるのではなくて、「前頭葉」の機能障害に起因して発現してくるものなのです。然も、老人斑とか、神経原線維変化とか、脳の顕著な萎縮とかの器質的な病変ではなくて、機能の低下、就中、脳の使い方という視点で言うところのナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続に起因した「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下が原因で発現してくるもの、それが「アルツハイマー型認知症」の症状なのです。その「アルツハイマー型認知症」は、私たちが意識的に何かの「テーマ」を思いつき実行しようとする際に、脳が壊れてもいないのに、言い換えると器質的な病変が原因でもなく(認知症を発病させている原因となる器質的な病変が見当たらないのに)、「社会生活面」や「家庭生活面」や「セルフケア面」で、様々な支障が生じてくる元となる認知症の段階的な症状(回復の可能性の有無とその程度から三段階に区分される症状)が発現してくるものなのです。それ故に、私たちは、意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能、三頭立ての馬車の御者の働き具合とそれに厳密にリンクした症状のことを深く研究し、実証してきているのです。
その肝心の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについては、認知症の専門家とか専門の研究機関とか言いながら、「前頭葉」の機能レベルを精緻なレベルで判定できる「二段階方式」のような優れた「手技」を持たないので、回復させることが可能な本当の意味での早期の段階である「軽度認知症」(小ボケ)や「中等度認知症」(中ボケ)の段階が見過ごされたままで居て、回復させることが困難となる末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階になって初めて「アルツハイマー型認知症」であるとする粗雑な診断が横行していて、それでいて、物の役には立たないのに保険点数ばかりが高くて高額な売上高を稼ぐだけの用具に過ぎないCTやらMRIやらSPECTやら、果てはPETまでもが総動員されて診察に用いられていて、脳の後半領域の判定テストである長谷川式やMMSEを使用してお茶を濁しているのが医療現場での診察の実態という訳なのです。逆に言えば、私たちが主張しているような発病の原因に気づいていないこと及び症状の特徴についてもよく知らないこと並びに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについて精緻なレベルで判定する「手技」を持っていないことから、かなり曖昧でアヤフヤな診断を平気で行っているというのが実態なのです。
世界中の認知症の専門家とされる人達は全て、「アルツハイマー型認知症」が器質的な病変により発病するとの重大な誤解をしているが為に、発病の原因としては、アミロイドベータの蓄積による「老人斑」に着目したアミロイドベータ説、タウ蛋白の蓄積による「神経原線維変化」に着目したタウ蛋白説、脳の顕著な萎縮に着目した脳の萎縮説等が主張されているのです。発病の原因とされているものと発病との間の因果関係の立証が未だに為されない儘に「仮説」の域を出られないそれらの主張に対して私たちは、私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの判定及び脳全体の機能レベルに厳密にリンクした認知症の症状の判定と分類並びに「アルツハイマー型認知症」を発病させ症状を重症化させる直接の原因としての廃用性の加速度的で異常な機能低下に関わる「生活習慣」としての「生活歴の聞き取り」(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに注意する)を行った14689例にも上る「脳機能データ」の解析並びに北海道から九州に至る広範囲で、且つ440を超える規模にもなる市町村での住民参加型の「地域予防活動」の実践指導の成果により、私たちの主張の内容が正しいことを実証してきてもいるのです。そのことに基づいて私たちが主張する「アルツハイマー型認知症」の本質というのは、『廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」である』ということなのです。言い換えると、『器質的な病変が原因ではなくて、使われる機会が極端に少ないことに起因して発病する病気、即ち、廃用性の機能低下が原因で発病する病気に過ぎない』ということなのです。
& 「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状
「アルツハイマー型認知症」の症状について、治すことは出来ないというのが世界中の認知症の専門家とされる人達(医師や研究者や学者)の共通した見解なのです。皆さんもそうした権威ある人達の言うことをそのまま鵜吞みにして信じていることと思うのです。「アルツハイマー型認知症」の末期の段階の症状、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の症状についてはその通りなのですが、その前の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の症状)の症状について言うと、答えはNO なのです。本当の意味での早期の段階(私たちが事更にこの表現を使う意味はというと、医療の現場では、大ボケの段階の早い段階の症状を捉えて早期の段階という表現を使うからなのです)である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階であれば、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善と実践)によって「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常な機能レベルに回復させることが可能、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の症状を治すことが可能だからなのです。米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の規定を鵜吞みにして、失語や失行や失認の症状が確認されて初めて「アルツハイマー型認知症」と診断しているがために、言い換えると、見つける段階が遅すぎるが故に治すことが出来ないだけのことなのです。治すことが可能な軽い段階、本当の意味での「早期の段階」を見逃していることに気づいていないだけのことなのです。
ところで、高齢化率が30%を超えるような高い率の町や村、高齢化率はそれ程高くなくてもお年寄りが大勢住んでいる地域では、ボケたお年寄りの姿をよく見かけるようになります。皆さんの周りにもボケたお年寄り(「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄り)がいるでしょう。「あの人、とうとうボケたんですって!」、あなたの周りで、ボケたお年寄りのことを口にするとき、どんなお年よりを「ボケた」と言っていますか?
○ 服を自分で着られなくなり、ズボンを頭から被る;とか
○ 自分の家が分からなくて、徘徊して迷子になる;とか
○ 同居している家族の顔も分からない;とか
○ トイレの縁を便で汚しても、その後始末が出来ない;とか
○ 失禁した服を平気でそのまま着ている;とか。
こんな症状が見られるようになると自信をもって「その人はボケている」と思ったり、言ったりしているのではないでしょうか。
正確に言うと、これ等の症状は、『ボケ、「アルツハイマー型認知症」の症状であって、且つその末期の段階になって初めて発現が確認される症状』なのです。こうした症状が出てくるもっと前の「軽い段階」があるのを、世間では見逃しているだけなのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の症状の発現は、「脳血管性認知症」の症状の発現の仕方とは真逆なのです。何年もかかって、症状が徐々に緩やかに進行していくのが特徴なのです。それは、脳の使い方としての日々の「生活習慣」に起因した「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下が原因で発病し、症状が進行していくものだからなのです。症状の進行が何年もかかって緩やかにしか進行していかないからと言って、発病の原因も症状重症化の原因も、両者共に、アミロイドベータの蓄積ともタウ蛋白の蓄積とも無関係の関係にあるのです。専門家達が重大な誤解、重大な過ちを侵しているだけなのです。「前頭葉」と言う脳機能を持たないマウスの行動ではなくて、「前頭葉」と言う脳機能を持つ人間、生きた人間の、日々の「生活習慣」に起因した「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下という視点を持たない限り、いつまで研究を続けようとも、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因の解明も症状重症化の原因の解明も、発病自体を予防する方法の解明も、症状を治す方法の解明も、どれ一つとして達成することは有り得ない事なのです。事のついでに指摘しておくと、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムからして、その直接の原因が脳の使い方としての日々の「生活習慣」に起因していることからして、発病を予防したり、或いは症状の進行を抑制したり、更には、症状を治したりする効能を有する薬は、未来永劫開発することは不可能な事なのです。脳血管性認知症とは異なり、日々の「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下が原因で発病する「アルツハイマー型認知症」の場合には、昨日まで正常で、趣味や遊びや人付き合いを楽しんでいたお年寄りが、一夜明けたら、自分の家が分からなかったり、家族の顔が分からなくなったりは、しないのです(「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。
ボケが専門の精神科医はボケ(このブログでは、「アルツハイマー型認知症」のことを言います)を見つけるのに、「脳の働き具合」を調べないで、症状だけで(然も、「記憶障害」の症状を核とした症状だけで)、その上、「末期の段階の症状」からボケを見つけようとするのです。思考の類であれ、行為の類であれ、或いは、行動であれ、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが意識的に何かを行おうとする場合に、脳が壊れてもいないのに(「器質的な病変」が何処にも見当たらないのに)、様々な程度及び態様での認知症の症状が出てくる病気のことを言うのです。私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」という脳機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、異常な機能レベルにまで衰えてきた時から、「アルツハイマー型認知症」としての認知症の症状が発現してくるのです(」ボケの段階)。したがって、器質的な病変ばかりを探し求めていたのでは、或いは、失語や失認や失行と言った末期の段階でも更に後半にならないと発現が確認されることが無い症状ばかりを追い掛け回していたのでは、又は「前頭葉」と言う脳機能が備わってもいない「マウス」(アミロイドベータを注入したアルツハイマー・マウスを含む)の行動を追い掛け回していたのでは、何時まで経っても「アルツハイマー型認知症」を発病させている真の犯人にはたどり着けないというのが私たちの問題提起であり、専門家達に対する警告でもあるのです。「脳の働き具合」、「前頭葉」を含む脳全体の働き具合を調べないで、「記憶障害」の症状の有無とその程度ばかりに焦点を当てていて、且つ末期の段階の「症状」だけからボケを見つけようとしていたのでは、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階が見落とされてしまうだけでなく、『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、原因も分からないし、治らない」』ことにされてしまうのです。
& 「小ボケ」の段階の脳の機能レベルとその特徴
認知症の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)は、左脳と右脳と運動の脳は正常レベルなのですが、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えてきているのです。 そのため、「前頭葉」の機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、意識の構成要素に対する「認知度」を左右している「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が、的確且つ十分には働かなくなっているのです。その結果、行為の目的であるテーマ自体とテーマの中身を構築している構成要素に対する認知機能が正常なレベルで働らかないのです。更には、認知している各構成要素の内容について、「記銘」、「保持」及び「想起」の機能の発揮も不十分なものとなるのです。簡単に言うと、日常の「社会生活面」で発生してくる種々のテーマを実行するのに必要となるレベルでの認知機能が十分には機能発揮出来ないのです。こうした条件下で行われるため、状況の判断、実行テーマの計画と内容の工夫、機転や見通し及び決断等が的確にできなくなるのです。 こうした事態は、「空気ポンプ」に例をとって説明すれば、空気をチューブに送る役割のゴム管部分に支障があるからではなくて(情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死による「記憶障害」が原因なのではなくて)、そもそもチューブに空気を送り込む働きをするポンプの部分の機能がちゃんと働いていないせいなのです(私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能がちゃんと働いていないせいなのです)。
& 「中ボケ」の段階の脳の機能レベルとその特徴
「中等度認知症」は、脳の司令塔である「前頭葉」の働きが「軽度認知症」のときより更に異常なレベルに加速度的に衰えてきている上に、「軽度認知症」のときは未だ正常だった「左脳」と「右脳」と「運動の脳」の働き具合も異常なレベルに衰えてきていて、脳全体の働き具合が異常なレベルになっています。「中等度認知症」(中ボケ)の脳の働き具合は、4~6歳児のレベルと考えて下さい。
意識の認知度及び覚醒度を左右する意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が「軽度認知症」のレベルよりも更に不十分にしか働かなくなります。その結果、認知それ自体とその記銘、保持及び想起の機能の発揮が更に不十分なものとなります。左脳がらみの論理的思考や計算や場合分けの作業、或いは言葉に対する理解や判断力、更には右脳がらみの色や形や時間や空間などに対する認知能力にも支障が出てきています。状況の判断、物ごとの理解や見通し等の判断が「幼稚園児」の程度となる結果、「家庭生活面」でのトラブルが起きてくるようになります。「家庭生活面」で支障が出てくるとは言え、食事、大小便、入浴など身の回りのこと(セルフケア)は自分で一応できるので、家族に迷惑をかけることはあまりないのです。
「中ボケ」になると、食器の片付けや、洗濯物の取り込み、庭の草むしりといった、家庭内の簡単な用事程度のこともちゃんとできなくなります。「4~6歳の幼児」がやる程度にしかできないのです。せっかく洗ってくれたお茶碗はもう一度洗いなおさないといけないし、庭の草取りをしてもらうと花の苗まで抜いてしまいます。この程度にまで脳の機能が衰えてきていても、「重度の記憶障害」の症状が出てきていないと、家族が病院に連れて行っても、「アルツハイマー型認知症」とは診断されないのです。 「中ボケ」のイメージは、家庭内の簡単な用事程度のこともちゃんとできないのに、口だけは一人前、「言い訳の上手い幼稚園児」が特徴です。
「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきているとはいえ、「小ボケ」には、自覚があります。「意欲もわかないし、根気が続かないし、てきぱき出来ないし、発想も湧かないし、物事に感動することもないし・・・」と感じていて、「以前の自分と比較して、自分のどこかがおかしい」という自覚を明確に持っていて、自分の状態に「不安」を感じているのです。ところが「中ボケ」の段階になると、そうした自覚を持つこと自体が出来なくなります。自分の状態に対する自覚がないので、不安も全く感じていないのです。逆に、家族が「こんなところが、おかしいと」指摘しても、「そんなことはない。私は、ボケてなんかいない」と言い張り、自分のおかしな行動についての、一端の言い訳(ヘリクツの類)ばかりを並べ立てるのが特徴です。
& 「大ボケ」の段階の脳の機能レベルとその特徴
中等度認知症(中ボケ)の段階になっても、何もしないでただ手をこまねいている結果、相変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活」が続けられていると、脳全体の廃用性の機能低下が更に加速度的に進んでいき、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に進んで行きます。「アルツハイマー型認知症」の末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)は、「前頭葉」を含む脳全体の働きが「中等度認知症」の段階よりも更に異常なレベルに衰えてきています。左脳、右脳及び運動の脳の働きも、幼稚なレベルの機能が僅かに残っている程度である上、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が殆ど機能しなくなっています。その為、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が殆ど働いていない状態にあるのです。「重度認知症」(大ボケ)の脳の働き具合は、3歳児以下のレベルと考えて下さい。脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」が殆ど寝たきりの状態になっている為、これまでの人生で何度となく体験して身体に浸み込んでいるような「言葉」や「テーマ」或いは「状況」に対しては或る程度の対応ができるのですが、折々に直面する新しい状況や身体に浸みこむ程の経験がないテーマに対しては、理解することも対応することもできないのです。脳の司令塔の「前頭葉」は、殆ど働かなくなっている上に、左脳や右脳や運動の脳も極めて不十分にしか働かない「大ボケ」は、自分の身の回りのことをする「セルフ・ケア面」にも支障が出てきます。食事をしたり、服を着たり脱いだり、お風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった、身の回りのことも自分でできなくなり、日常生活面で全面的な「介助」が必要になります。
注1)アミロイドベータの蓄積により形成される老人斑の持つ毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより「記憶障害」の症状が発現し、進行してくることにより「アルツハイマー型認知症」を発症すると主張するアミロイドベータ説という「仮説」も、タウ蛋白の蓄積により形成される神経原線維変化が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより「記憶障害」の症状が発現し、進行してくることにより「アルツハイマー型認知症」を発症すると主張するタウ蛋白説という「仮説」も、両者共に基本的なところで重大な誤りを犯している、重大な誤解をしているのです。何故なら、私たちが「二段階方式」の手技を活用して、60歳を超える年齢で、且つ「第二の人生」を送っている「お年寄り」という、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能とその機能レベルに厳密にリンクして発現してくる症状等に関わる14689例にも上る「脳機能データ」、極めて精緻なレベルで実施し、集積した、神経心理機能テストとその結果の判定及び鑑別の作業と集積した「脳機能データ」の解析の結果、「アルツハイマー型認知症」の症状は、60歳を超える年齢で、且つ「第二の人生」を送っている「お年寄り」が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送っていて、そうした単調な生活習慣が継続される状況下で、『「前頭葉」を含む脳全体の機能について、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、認知症の症状が発現し、症状の重症化が進行していくものである』ことを突き止めたからなのです。神経細胞の細胞死の進行による「記憶障害」の症状の発現とその進行が発病の原因なのではなくて(発病及び症状進行の根幹に在るのではなくて)、使われる機会が極端に少ない「生活習慣」の継続に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が原因で、且つ「前頭葉」の機能障害の症状の進行が主たる原因で(発病及び症状進行の根幹に在る)発病し及び症状の重症化が進行していくものなのです(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルにより「三段階」に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状の類型については、ここを「クリック」してください)。
注2)従来学説の主流とされてきたアミロイドベータ説の仮説に則ったアルツハイマー型認知症の治療薬の開発が、海外の大規模な製薬会社でことごとく失敗に終わり、加えて、国内の製薬会社も相次いで失敗に終わる最近の創薬開発状況の中で、従来は少数説に過ぎなかったタウ蛋白説(これまた仮説)が、我が国では、注目されてきているのです。今日の新聞記事によると、産学連携による、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因についてタウ蛋白説が主張する考えに基づいた「アルツハイマー型認知症」の創薬開発の記事が取り上げられているのです。こうした記事が大新聞に取り上げられると、読者はいかにもその考えに立脚した創薬の開発が有力であるかの印象を持つことになると思うのですが、結論から言うと、その開発は必ず失敗に終わるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム自体が、タウ蛋白説の言うような原因で発病するものではないからなのです。『タウ蛋白の蓄積により形成される神経原線維変化が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより「記憶障害」の症状が発現し、進行してくることにより「アルツハイマー型認知症」を発症する』とする「タウ蛋白仮説」自体が誤りだからなのです。
注)本著作物「Bー81」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
エイジングライフ研究所のHP(左の部分を「クリック」してください)
脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)
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