20年前(1995年)から私たちは、「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」というテーマに取り組んできました。「前頭葉」を含む脳の機能レベルを私たちが開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを中核的な手技として活用し、市町村の保健師さんが活動の中核となって地域のボランティア組織を取り込み協働しつつ展開する地域予防活動を通じて、私たちは膨大な脳機能データを集積し、解析してきました{「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含む脳の機能レベルに対応する脳機能のアウトプットとしての正常な範囲から異常な範囲にわたる段階的な症状の特徴とその発現の原因との因果関係etc.}。
今日は、それらの脳機能データの解析を基礎として私たちが獲得した知見(「前頭葉」を含む脳の機能とそのレベルの変化、その変化に対応する症状の段階的な変化及び発病原因に関わる因果関係に関する知見)を基礎として、私たちなりに考える「意識」のメカニズムについての私見をまとめてみました。これまで世界中の研究者たちの誰一人として解明することができていない所謂「意識」について、その構造の解明の一助になればと、意識についての枠組みの構想に私たちもチャレンジしてみることにしたのです。
これはなに 夢か現か 幻か
夢の話は 支離で滅裂 (10)By kinukototadao
○ 夢の中での出来事
行ってみればわかるのだけど、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」に車で行くには、しかも大型のランクルで行くには、相当高い運転技術だけでなくて、若さも要求されるのです。山際に沿って狭く曲がりくねった道を車との離合を恐れながら喘ぐように登って行くのは、本当心身ともに疲れる上に、恐怖心さえも覚えるのです。この2~3年で、なんだか急に運転が下手になってきたみたいというか、左端の空間認知能力が衰えてきたみたいなのです。ハンドルが右側にあるので、座席から遠い左側の空間認知能力が、衰えてきているのが分かるのです。車の左端と道端の樹木や塀などとの距離感がきちんと取れなくなってきているのです。「前頭葉」の3本柱の機能である意欲、注意の集中力と注意の分配力の機能が加齢とともに衰えてきていることの証拠なのです。
翌朝午前5時過ぎの出来事だったのです。その山道を運転してやっとのこと目的地にたどり着いたのだけど、そこからもう一つ大仕事が残っていたのです。皆さんを門の前で下してから駐車場に駐車しに行こうとしたのです。法学部出のTadから、道際に止めておけばいいと声がかかったのだけど、私は遵法精神がきちんとあるので、駐車場に車を止めに行こうとしたのです。そこへの道が特別狭いのです。その上というか、30度以上も傾斜した急な坂を下りて行って、坂道から右に直角に曲げて駐車場に入るようになっているのです。坂道の勾配が急で、スピードが出てしまい、恐怖心を覚えて思わずブレーキを踏んだのです。正確にいうと、ブレーキを踏もうとしたのです。ところがいくら踏もうとしても、肝心のペダルがどこなのか分からないのです。必死でブレーキペダルを足で探すのに見つからない、ブレーキのペダルの上に私の足が乗らないのです。「あ~!!」とかなんとか、大きな叫び声で目が覚めたのです。夢うつつに私の脳が追っていたのは、こんな風なシーンだったのです。
○ 意識的な行為の世界と個別機能によるその認知度及び機能の発揮度
意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、批判、想像、理解、了解、興味、関心、発想、連想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、具象化、抽象化、シミュレー・ション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。
「前頭葉」を中核の機能として、有機的な連携のもとに左脳や右脳や運動の脳も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(実行すべきテーマをいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容を組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮し、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な内容を決定し、実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮も必要になるのです。上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係(私たちのネーミング)が存在しているのです。
○ 注意の分配機能の衰えが示す日常生活での諸現象
私たち伊豆高原で第二の人生を送っている仲間内で「女子会」と称する脳の活性化を目的とする非定期的なダべリングの会を持っているのです。女子会なので男性は参加できないのが原則(本音は、男性が入ると話が難しい話ばかりになって楽しくないので、男性諸氏を外すために女子会と名付けているのです)。その女子会の集まりがメンバーの一人である芳子さんの家で開かれていたので、たまたま今開催されている「伊豆高原アートフェスティバル」の1つの会場を見てきた帰りに、NickさんとTadも連れて立ち寄ったのです。ところが案に相違して、話がとても盛り上がったのです。NickさんとTadが女子会の話の内容に興味津々で、時々質問することが的外れなことが多かったせいもあってか、いつもとは違う盛り上がり方というか、盛り上がり過ぎな程だったのです。
そんな時、芳子さんが私たちにおいしいコーヒーを入れてくれることになって、立ち上がったのはいいけど、コーヒーカップを揃え乍ら脇から話に割り込みして、しゃべっている内に肝心のコーヒーを私たちに入れてくれることを忘れて、カップを手にしたまま話に夢中になってしまったのです。私たちはコーヒーを入れていただく側なので、お湯が沸騰しているなどと注意することもできなくて、当の本人が気付くまでただ待つしかなかったのです。結果的には、随分と待たされることになったのです。私たちくらいの年齢になるとこうしたことは日常茶飯事になってしまうのです。「前頭葉」の三本柱の機能の一角を占めている「注意の分配機能」が、加齢によって衰えてきたことがその原因なのです。いくつかのテーマを同時に並行して実行するときに、この「注意の分配」機能がちゃんと働いていないと、こうしたことが起きてくるのです。そう、脳の「老化現象」による症状なのです。
○ 3本柱の機能に内在する「正常老化の性質」
嗚呼、齢を重ねることのなんと哀しいことかな!私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「前頭葉の三本柱」とも言うべき、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、加齢とともにその働きが衰えていくという「正常老化の性質」(私たちのネーミングです)が内在されているのです。私たちが世の中の専門家たちに先駆けて発見したそのカーブの存在は、私たちが「二段階方式」に基づく「かなひろいテスト」と「MMS」テスト及び生活歴の聞き取りの実施により集積した年齢別の脳機能レベルの推移を示す膨大な量の脳機能データにより証明されているのです(20歳代の内に早くも緩やかではあるものの下向きのカーブとなり、60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代になると急速に下降するカーブを描いていくようになるのです)。
脳の司令塔は「前頭葉」であり、その「前頭葉」の三本柱の機能に加齢と共に働きが衰えていくという性質、「正常老化の性質」が内在していることが、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の視点となるのです。それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかに衰えて行くという性質があるということなのです。
この「前頭葉」の正常老化曲線のカーブの傾きの度合いは、60歳を過ぎた高齢者と言われる年齢になると、脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになります。脳の後半領域の働きであり、「前頭葉」と協働して意識的な世界でのテーマを実行するための下部機構として機能している左脳、右脳及び運動の脳とのやり取りの中で処理される情報の質と量次第で、「前頭葉」の老化の曲線は、「緩やかに低下するカーブ」(正常な老化)を描き、或いは、「加速度的に低下するカーブ」(異常な老化)を描くことになるのです。
(ここで、コーヒー・ブレイク)実態面に目を向けた時、「アルツハイマー型認知症」を発病するその対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限られていて、然も、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になるほど発症率が高くなっていく原因は、この「正常老化のカーブ」の存在にあるのです。「働き盛りの50歳代で、アルツハイマー型認知症を発症する人たちが増えてきている」などとマスコミが取り上げ騒ぐことがあるのですが、「アルツハイマー型認知症」を50歳代という若い年齢で発症するケースは皆無とは言わないまでも極めて稀なことなのです。「アルツハイマー型認知症で」はなくて、側頭葉性健忘症とか緩徐進行性失語とか緩徐進行性失行などの認知症と紛らわしい病気であることを知らない(見抜く為の手技を持たない)医師達が誤診している結果に過ぎないのです。「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とは全く別物である(発病のメカニズムも発病後の症状の進行速度も治療による回復の可能性の有無も全く異なるのです)ことを含めて、マスコミも早くこのことに気付いてほしいと願うのです。
○ 「アルツハイマー型認知症」発病の2つの要件
生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている日々(これも私たちのネーミングです)、三頭建ての馬車の御者の役割を担う「前頭葉」と三頭の馬である「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」との間で量も少なく質も劣る情報しかやり取りされない「生活習慣」が継続されていて、時間は余るほど有るのにすることが無い毎日を送っているお年寄りは、「前頭葉」の老化曲線が加速度的に低下していく曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。
本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして(ここを「クリック」してください)、「右脳」も「運動の脳」も「左脳」をも使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していると(私たちが定義する発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が(「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されるその「相乗効果」により)廃用性の機能低下を起こしてきて、老化を加速させていき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。
○ 「アルツハイマー型認知症」の発病の予防策
高齢になったお年寄りが、足腰の重い痛みの継続や転んで複雑骨折して何週間か寝込んだままで居たりするなど、何かをキッカケにして歩行する機会が極端に少なくなると、膝の筋肉が廃用性の機能低下を起こして来て歩けなくなります。「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムは、高齢者の膝の筋肉が廃用性の加速度的な機能低下を起こしていくのと似たようなメカニズムではないかと考えるのです。その意味で、廃用症候群に属する「生活習慣病」がその本質と考えられる「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、脳をしっかりと使う自分なりの「生活習慣」の構築と維持が不可欠だと言うことなのです。
「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、日常生活のいろいろな場面で、「前頭葉」を含む脳全体を「しっかりと使ってやる」ことが必要不可欠の条件となるのです。脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」には、そもそも、「加齢」とともに働きが衰えていくという性質が内在しているからです。「アルツハイマー型認知症」を発病しない(発病を予防する)為には、老化のカーブ(上述した「正常老化」のカーブ)を支えていくこと(下支えする「生活習慣」を構築し、維持すること)が不可欠の条件となるのです。自分なりの「目標」がある生活、その「目標」を達成することで「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、その過程での「意欲」や「注意の集中力」や「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の出番を多くすることになり、「脳を活性化」させ、廃用性の異常な老化を防止することになるのです。
そうした「前頭葉」の三本柱の出番が多い「生活習慣」の下では、発想、創意、企画、構成、計画、工夫、観察、分析、理解、把握、考察、洞察、推理、予見、シミュレーション、組み換え、修正、変更、整理、機転、興味、創造、感動、評価、判断、抑制及び決断等の「前頭葉」の高度な諸機能が、それなりに働く機会が与えられることで、緩やかに衰えては行きつつも「年齢相応」の自分なりの「正常な機能のレベル」を維持することが出来ることになるのです。
「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、廃用性の異常な機能低下に起因した「前頭葉」を含む脳全体の働き具合の衰えの直接のアウトプットに過ぎないのです。世の中の専門家達から原因が分からないと言われている「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳の機能が、廃用性の機能低下により(使われる機会が極端に少ないために、機能が衰えてくることにより)、加速度的に異常なレベルに衰えてくることが直接の原因で発病し、認知症の症状が発現してくるだけなのです。従って、「前頭葉」の出番が多い「生活習慣」を維持することにより「前頭葉」の機能が正常なレベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することはないのです。「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点から見た日々の生活習慣に起因する病気、「廃用症候群に属する生活習慣病である」というのが膨大な量の「脳機能データ」の解析と市町村での「地域予防活動」実践の成果を基礎とする私たちの主張(見解)なのです。
○ 再度、脳活性化小旅行
「アルツハイマー型認知症」は、脳血管性認知症とは異なり、脳が壊れてもいないのに認知症の症状が発現してくるのです。認知症の専門家たちが騒ぎ出すのは末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入ってからの症状が発現してきてからなのですが、発症の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階でさえ、日常的な生活のレベルで意識的に何かをしようとしても(例えば、夕食のための食材を人数分買ってくる程度のこと)、きちんとできなくなるのです。口はそれなりに達者な口をきいてはいても、参加した人たちが口をそろえて褒めたり驚いたりするようなプラニングは愚か、小旅行のプラニングをすること自体が全くのこと無理なのです。
前回のこのブログ〈No-109〉でその概要を明らかにしてあるように、先月は二度にわたる「脳活性化旅行」を楽しんだのです。振り返ってみれば、年相応ではなくてやや強行軍であったとはいえ、今思い出してもとても楽しく思い出に残る小旅行だったのです。その最初の旅(4月21日~23日)にかけてご一緒していただいた旅仲間のうちの一組のご夫婦、Nickさんご夫婦と、今週の日と月、一泊二日で熱海泊を楽しんできたのです。Nickさんと夫のTadがともに古希を迎えたそのお祝い旅行なのです。お泊りは、新築されて間もないできたての東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山です(ここを「クリック」してください)。日程を組み立てたのは、言うまでもなく私です。前回の小旅行のプラニングが皆さんから大好評だったので(いつも辛口のTadにまで褒められたのです)、私の「前頭葉」が張り切ってフル回転してくれたのです。 日曜日のお昼をとプランに入れたのは、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」です(ここを「クリック」してください)。
○ 「アルツハイマー型認知症」の小ボケの症状と脳の機能との関係
「アルツハイマー型認知症」としての「認知症の症状」が現れてくる最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階で認められるそれらの症状は、「DSM-4」が言うようなレベルの「重度の記憶障害」の症状とは全く関係が無いのです。「意欲や注意の集中力や注意の分配力」など、「前頭葉」の機能の根幹(基礎)をなしていて、「前頭葉」の各種の高度な個別機能の「認知度」及び「発揮度」を左右している「三本柱の機能」が異常なレベルに衰えていることの直接の反映が、認知症の症状として現れてくるだけなのです。つまり、「小ボケ」の段階では、「三本柱」の機能障害を反映した症状が「認知症の症状」として現れてくるのです。勿論この段階では、「DSM-4」で第二の要件として規定されている「失語や失行や失認」などの重い症状は、そのカケラさえも認められないのです。
「アルツハイマー型認知症」の初期(最初)の段階であり、私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳と右脳と運動の脳は未だ正常なレベルにあるのですが、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えてきているのです。そのため、「前頭葉」の機能のうち最も重要な「三本柱」の機能である「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」が的確に発揮されなくなります。この「三本柱」の機能の衰え具合の相乗効果としての働き具合いが、様々な情報や思考の処理に関わる個別認知機能の「認知度」及び「発揮度」を左右しているのです。その結果、「小ボケ」の段階では、この「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきていることの機能障害を反映した症状が「小ボケの症状」として特徴的に現れてくるということなのです。
「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えたその反映が、状況の判断や、発想や企画や計画や洞察やシミュレーションや機転や感動や決定や抑制といった「前頭葉」の様々な個別機能の「認知度」及び「発揮度」に直接影響してくるために、対象となる情報や思考の認知及び関連する様々な情報の記憶(記銘やその保持や想起)並びに処理の面でも、機能の発揮が不的確で不十分なものとなるのです。そのため、的確な状況の判断、発想、計画、創意、工夫、機転といった機能、状況により必要となる感情の抑制、或いは的確な見通しや意思決定などが要求される、「社会生活」の面で、程度や態様を含む種々の支障が出てくるようになります。「社会生活」面での種々のトラブルが生じてくるようになるのです。勿論、この段階では、「家庭生活」の面にも「セルフケア」の面にも何の支障も起きてはきません。それぞれの段階で必要とされる「前頭葉を含む脳の機能レベル」が全く異なる次元にあるからです。
○「前頭葉」が把握し、監視し、処理する対象となる「テーマ」
私たちは、道を究めた武道家でも宗教家でも修験者でもない平凡な人間なので、何か一点に意識を集中するということはとても難しいのです。むしろ、2つや3つ、複数のテーマが同時に並行して意識に上っている状態で、様々なテーマを遂行しているのが普通なのです。朝ご飯の支度をしながら洗濯機を回して衣服を選択しつつ、お部屋の掃除も同時進行でこなすのです。玄関のほうでピンポ~ンとチャイムが鳴れば、何か荷物が届いたのかと,慌てることもなく認め印を手に持って玄関に走ってもいけるのです。そしてちゃんと台所に戻って煮物が焦げ付くこともなく、いい塩梅に煮立っているのを確認することができるのです。私たち、女子会でのおしゃべりを楽しんだり、脳活旅行に励んだりしていて外見の割には「前頭葉」が若いので、これくらいのことって簡単にできるのです。たまには、おしゃべりに夢中になってコーヒーを入れるのを忘れることはあるのだけど。
複数のテーマを同時に並行して把握し、監視し、処理し、状況の変化に応じてメインテーマの対象を別のものに変更することもできるのです。どうしてこんなことができるのでしょう。芳子さんが飼っている猫も、賢いとされるNickさんの家の犬もできないのに。一体脳の中の誰がこんなに高度で複雑な役割を担っているのでしょうか。私達の脳の中に存在を未だ知られていない誰かが居るとでもいうのでしょうか。前述した芳子さんがコーヒーを入れてくれようとした場面でのメインテーマの失念、或いはこのブログに関心を持たれている年齢のあなたに日常茶飯事のように起きてきているはずの物忘れなど、そうした症状が脳の「老化現象」として私たちの年齢になると日常的に現われてくるようになることからして、「前頭葉」の三本柱の機能が脳の中の正体不明の誰かさんの働きと関わっていることは間違いないことだと私たちは考えるのです。
○ 意識と「前頭葉」の機能との関係
覚醒された状態の意識(以下、「意識状態」という)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」だと私たちは考えるのです。「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な能力それ自体が潜在的なレベルとしての意識状態を生み出す源だと考えているのです。更には、意識状態が覚醒されている状態(顕在的なレベルとしての状態意識)にもその覚醒の程度には種々な段階があるのであって、意識状態の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのも「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。そうした視点からいえば、世の中の研究者たちが問題にしている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(意識の有無)というのではなくて、「意識状態に有るか無いか」(意識状態の有無)という視点でとらえるべきではないかと考えるのです。「前頭葉」を中核とした脳の有機的な活動機構の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、心理学者や脳科学者たちが言う所謂「意識」の本質は、状態的な機能(「意識状態」を生み出す機能)であると私たちは考えるからです。
なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。この場合、意識状態が覚醒されているとは、自分がいまここに在るという最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。
○ 脳の中に居るもう一人の「あなた」
また、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定のテーマに対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなると考えられるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それが「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えているのです。鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が脳全体の中枢機能である「前頭葉」の中にあるのではないかと考えるのです。「前頭葉」の機能部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」だと私たちは考えるのです。
更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境を把握し、評価し及び個別のテーマごとにそれらを把握し、監視していて、自分がその時点でとるべき途、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。こうした視点を敷衍した時、様々な態様と程度とで発現してくる所謂「統合失調症」に挙げられる類の症状は全て、この「意識の座」の機能の機能不全が原因で生じてくるのではないかと私たちは考えているのです。
注)今回のテーマは、内容量が多いため、二回に分けて掲載します。意識に関する私たちの構想(見解)の主要な部分は、次回(Noー111)で述べる予定です。
注)本著作物(このブログB-10に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
エイジングライフ研究所のHP(を「クリック」してください)
脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません
http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a
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