意識とは 尋ねる先も 我が意識
何処に居るかを 我が脳に問う (11) By kinukototadao
○ 複数のテーマを同時に並行して処理できる人間の脳
昨日は一日中お庭の草取りで疲れ果てていたので、23時過ぎには床に就いたのです。でも熟睡できたせいか、目覚めたときは未だ5時半過ぎだったのです。もう一度眠ろうと思ってはみたのだけど、なんだか目が冴えてきてしまって、それで仕方なく今日の行事予定をあれこれ時系列で考えてみたのです。
銀行に行ってお金を下ろして、コンビニで自動車税を支払う。ついでに隣のクリエイトで歯間ブラシとトイレットペーパーとTadが気に入っている神戸屋のアンパンを買う。お昼に川添さんのお家にお呼ばれしているので、12時前には伺う。昼食とおしゃべりを楽しんだ後は、話ばかりでご紹介するのが遅れたままになっているJガーデンの石井さんのお家に、川添さんご夫婦を誘って、3時ごろまでには伺う。その後は、Nickさんご夫婦もお誘いして、Tadが挑戦するパスタ料理と白ワインの夕べを我が家で開く。あ、そうそう、Nickさんが大好きなアイスワインも冷やしておこう。あれこれ考えている内に、時計を見たら、6時前になっていたのです。
そこで、私の脳が素敵な発想をしてくれたのです。「そうだ、赤沢のTadの事務所に行って、朝風呂に入ってこよう!」。実は、私の家にも温泉があって、24時間何時でも入れるのです。ところが、私の家の温泉は、源泉が熱川にあって、そこから延々とパイプで運んでくるのです。そのせいだと思うのだけど、赤沢のマンションの自泉の温泉のほうが泉質がずっと良いように思えるのです。急いで服に着替えると、Tadが目を覚まさないようにそっと寝室を抜け出して、赤沢の事務所へと向かったのです。
6時を過ぎるともうすっかり周りは明るくなっていて、道中目に入ってくる木々の新緑がとても綺麗で、私の脳をいたく刺激してくれるのです。注意をわずかに分配して車を安全運転しながら、メインの注意は明日朝公開する予定の「意識」についての私見の第二弾(その2)の最終構成を頭の中で整理しつつ、更に脳の片隅では私の大好きなMariah CareyのBGMを楽しみながら、もう温泉に入っているかのようなルンルン気分で車を運転しているのです。そうした中で、もちろん、信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳は選択できているのです。
3つも4つも同時に並行して存在する異なった内容の「テーマ」を、この年になっても私の脳はちゃんと処理できているのです。然もそれ等のテーマの中でどれがメインのテーマであるかもちゃんと判断されていて、そのことが忘れられないでいるのです。それは、私の「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働き、中でも、「注意の分配力」の機能が緩やかなカーブを描きつつ衰えてきているとはいえ、未だ相当高いレベルで働いている証拠なのです。言い換えると、私の脳を活性化させる「生活習慣」がそれなりに実践出来ていることの証でもあるのです。
その注意の分配力を含む「前頭葉の三本柱」と私たちが名付けている機能は、国民全体での高齢化率が25%に達するところまで来てしまった超高齢化社会の我が国で年々増え続けていて、且つ認知症全体の90%以上を占めていながら専門家達から原因が分からないとされている「アルツハイマー型認知症」の発病原因を解明する上でも、更には本稿の主題である「意識」なるものの私たちなりの定義の構築にチャレンジする上でも、極めて重要で不可欠な機能であり、且つ脳の司令塔である「前頭葉」の一角を担う中枢機能でもあるのです。
〇 「意識」はどのようにして、どこで生まれて、何をしているのか
私たちはマウスを飼ってもいないし、f-MRIやらPETやらSPECTやらも持ち合わせていないので、私が「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能を様々なレベルで発揮して(意欲を高めたり落としてみたり、注意の集中力を高めたり落としてみたり、注意の分配力を高めたり落としてみたり等)、それら各々の機能を単独に及び又は協働させる形で様々なレベルで、且つ内容が異なるいくつかのテーマを発想し、テーマの枠組みとその内容を組み立て、シミュレーションしたうえで最終の内容を決定し、実行の指令を脳の各部に出す等してみたその日常体験に基づいた感覚、更には私たちが集積してきた「脳機能データ」との整合性をも図りながら、所謂「意識」という概念の問題点の指摘とその定義の構築として、私たちなりに到達した全く異なる視点からの考え方と概念を以下に述べてみたいと思うのです。
所謂「意識」(後に説明する、私たちが言う「意識状態」)は、個々に特化された専門機能を持ちモジュール化されたまとまりをもつ「ニューロン群」の活動が(言い換えると、多層で多重及び並立的で、且つ相互に有機的な機能関係としてシステム化された機能構造体としての脳の活動が)、或る「特定の脳機能部位」(後述する、私たちの言葉で言う「意識の座」、具体的には「前頭前野」のこと)の働きにより統合された結果として生み出されていると考えるのです。そして、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してくるその反射的な効果により、その「特定の脳機能部位」の活動による「意識状態」の覚醒度が次第に高まってくるにつれて、更に働きの対象範囲が拡大され/働きの質と程度が良くなってくると考えるのです。
「意識」の通常の覚醒レベルの下での働き具合で言えば、「前頭葉」に備わる発想、考察、計画、工夫、推理、洞察、機転等の種々の個別の認知機能(以下、「個別認知機能」という)を発揮する上で、その程度を左右する機能を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能(以下、「前頭葉」の三本柱の機能という)、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きをする「評価の物差し」の機能(ここを「クリック」してください)及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能(私たち独自の命名)並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構としての役割を担う「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能との相互に有機的な連携の下で、「意識の座」は、その統合機能の発揮により全体状況を把握し、コントロールしながら、他方で同時に目的となる個別「テーマ」毎にその実行を指示しているという多層で多重の機能構造からなっていると考えられるのです。猶、「意識」なるものについては、世界中の心理学者や脳科学者達の誰一人として未だにその正しい概念的な及び機能的な定義を構築することができていないのですが、私たちは「意識状態」という従来のそれとは全く異なる視点からの機能概念を問題提起し、且つ「意識」という言葉及び概念を「意識状態」という言葉及び概念に組み替えることをここで提案したいと考えるのです。
私たちが市町村における「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」の実践指導を通じて集積してきた極めて多数の「脳機能データ」の解析結果によると、「前頭葉」の各種個別認知機能の発揮度は「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度に直結していること及び所謂「意識」の覚醒度も、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に直結していること並びに「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度が三者が状態関数的な関係にあるかのような出力状態(状態量)を示すことなどを基礎として、従来型の概念による「意識」と言う瞬間的/刹那的に発生し消失する機能概念ではなくて、状態的な認知としての「意識状態」という視点及び概念を提案したいのです(以下、「意識」を私たちの概念と言葉である「意識状態」と言い換えます)。
この場合、「意欲」という脳の機能の発揮度が高くならないと(状態量が大きくないと)「注意の集中力」も「注意の分配力」の機能の発揮度も高くならないし(状態量が大きくならないし)、「注意の集中力」の機能の発揮度が高くなると「注意の分配力」の機能の発揮度は相呼応して小さくなるという相関関係にあることに注目していただきたいのです(状態的機能である両者の「状態量」の総和が一定の関係にある)。猶、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能のいずれも、状態量と質感とを具有する「状態的な機能」(私たちの命名)であると私たちは考えているのです。
○ 状態的な認知が本質である「意識状態」
そもそも意識的に何かの「テーマ」を実行するということは、その前提として、右に行くのか左に行くのか、進むのか進まないのかを「選択」することができる「脳機能が備わっている」ということでもあるのです。それは、すなわち本能で動くのではないということが重要なのです。人間だけが、他の動物とは異なった次元の脳機能(具体的には、「前頭葉」の機能)を持っているからなのです。
どこで(Where)、なにを(What)、いつまでに(When)、どんな理由で(Why)、どの程度(What extent)、どのようにして(How)実行するのか、或いはしないのか、そのことを(5W1Hのいづれをも)、本能ではなく自由意思に基づいて選択し、決定できるのです。人間だけが進化の過程でこのような脳の機能を獲得したからこそ、ここまで進んだ文明を築くことができたと言えるのです。そのもっとも重要な脳の機能要素が、本稿の「主題」となっていてる「意識状態」を生み出している「意識の座」なる人間だけに特有の機能だと考えるのです。
私たちは、脳機能の特性から考えて「意識状態」の本質は、世の中で言われているようなものではないと考えているのです。すなわち、瞬間的に、或いは刹那的に何かをするというのではなくて、或る特定の時間の経過という枠組みの中で、特定の「テーマ」を実行し、または実現していくのに不可欠の脳機能として私たち人間だけが獲得しえたのが、上述の意味での(5W1H)という要素の内容を組みたて、決定している「意識の座」と私たちが命名する脳機能だと考えているのです。世の中の心理学者や脳科学者達が提唱している従来型の所謂「意識」という瞬間的な刹那的な機能概念ではなくて、「意識状態」という状態的な認知概念がその本質的な概念であるべきだと私たちは考えるのです。
○ 私たちの定義による「意識状態」という概念及び「睡眠」が果たす役割
「意識状態」は、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の有機的な活動により生じてくる認知状態であって、人、時及び所の「見当識」を含む自分の置かれている状況、或いは状態を領識できている認知状態(覚醒されていて顕在化した「意識状態」)又は領識できていない認知状態(覚醒されていなくて潜在的な「意識状態」)の両者を指すと私たちは定義しています。私たち人間が「夢」を見るメカニズムはいまだに不明とされているのですが、実は、この後者の認知状態の中で私たちは「夢」を見ているのです。私たちが解き明かした「夢」を見るメカニズムについては、別途説明したいと思います。
人の生体には、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の活動により、「意識状態」を発生させる場所、「意識の座」(私たち独自の命名)ともいうべき機能部位があると私たちは考えるのです。「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位である「意識の座」の機能自体が「意識状態」を生じさせるメカニズムを具有していて、完全な「睡眠」状態である熟睡中はその効果により「意識の座」の活動が休止している状態にあると考えるのです。「意識状態」は覚醒されていないがまどろむような軽い睡眠状態下では、その「睡眠」効果により「意識の座」の活動が僅かに活性化しているために「意識状態」が潜在的な認知状態に抑制されていて、「睡眠」による抑制から徐々に開放されてくるのにつれて「意識状態」の覚醒の度合いが次第に高くなり顕在化してくると考えているのです。一方で「睡眠」を一定時間確保して覚醒時に高度に集中された状態で活動し続けている「意識の座」の活動を休ませることで「意識の座」の機能を回復させながら、他方で「睡眠」中もレム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを交互に繰り返すことにより天敵から身を守りその生存を確保するという二つの目的のために、進化の過程でこうしたメカニズム、所謂「サーカディアン・リズム」というメカニズムを獲得したのではないかと考えるのです。
「睡眠」の度合いが深いノンレム「睡眠」により活動を休止していた「意識の座」の機能がレム「睡眠」へと睡眠の度合いが徐々に緩やかになってくることにより、休止していた「意識の座」の活動が徐々に再開されることによって、当該機能部位の潜在的な「意識状態」が生じてくると考えるのです。そして、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを繰り返していた状態から解放され「睡眠」状態からはっきりと目覚めることにより、顕在的な「意識状態」に変化してくることとなり、同時に「意識状態」の覚醒度が高まってくると考えているのです。「サーカディアン・リズム」は、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」との繰り返しのリズムの中で、一方では天敵に備える万一の防御態勢を準備しておきながら他方では「意識の座」の休息を獲得するという、極めて優れたメカニズムだと思うのです。猶この場合、「意識状態」の覚醒の度合いは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の発揮度に下支えられている(左右されている)ことに留意しておく必要があります。すなわち、「意識状態」の覚醒度は、「前頭葉」の三本柱の機能の活性度の反射的な効果によると考えられるのです。
○ 「意識状態」には三種類の認知状態が存在する
「前頭葉」に備わる発想、考察、企画、計画、工夫、推理、洞察等の種々の「個別認知機能」を発揮する上で、その発揮の程度を左右する働きを有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能という「前頭葉」の三本柱の機能、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きを有する「評価の物差し」の機能及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構として働く「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能が相互に有機的な連携の下で活動を開始することにより、「意識の座」の統合機能に基づく活動により生じてくる顕在的な認知状態(以下、覚醒された「意識状態」という)が生じることになると私たちは考えているのです。従って、「意識状態」には覚醒されていない潜在的な認知状態と覚醒されている顕在的な認知状態という二種類の認知状態が存在すると考えるのです(猶その詳しい図式は、次回で説明する予定です)。
更には、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が発揮される度合いが高まるにつれて、「意識の座」を中核とする脳の機能が活性化されることとなり、同時に「意識状態の」覚醒度も高まることになるのです。従って、私たちが提起する「意識状態」には様々な段階が含まれていて、概括的な区分で言えば、ノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動自体が休止されている状態と(この状態では、「意識状態」は、休眠している)、「意識の座」の活動はあるがノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動が抑制されているために「意識状態」自体は未だ覚醒されたレベルではない認知状態(潜在的な認知状態としての「意識状態」にある状態)及び「睡眠」による抑制から解放されて「意識状態」が覚醒されたレベルでの顕在的な認知状態という三つの段階の認知状態が含まれることになると考えるのです。
○ 意識の有無ではなくて、「意識状態」の覚醒度という考え方が重要
上述した視点から言えば、世の中の研究者達が課題としている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(「意識」の有無)というのではなくて、「意識状態が顕在化しているか否か」(「意識状態」の覚醒の程度の問題)という視点でとらえるべきではないかと私たちは考えるのです。 三本柱の機能を含む「前頭葉」を中核とした脳の有機的な機構機能の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、世の中の心理学者や脳科学者達が言うところの「意識」とは、状態的な性質を特徴とする(「意識状態」)と考えるからです。
なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。すなわち、「意識状態が覚醒されている」と考える最低限度の条件とは、自分がいまここに在るという自覚と最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。
○「意識状態」の覚醒度合いの高まりを実感する場面
何か一つの「テーマ」に高度に集中出来ているとき、例えばバラの棘が左手の人差し指の腹の部分に刺さっていて、先端部をガスの炎で焼いた針を右手にもってその先を突き立てて四苦八苦しながら棘を取り出そうとして、右手の指先に全神経を集中させているようなとき私たちは、自分の「意識状態」が高度に覚醒されていることを実感します。更にこんな時、注意の集中力と「意識状態の覚醒度」とは直結していることも実感するのです。他方で、何か特定の物や対象に「意識状態」が向けられている訳でもなく、庭の方をただぼんやりと眺めているとき、「意識状態」の覚醒度が低く、注意の集中力も湧いてきていないことを感じるのです。ただこの場合にも、「意識状態」自体は有る(在る)ことを実感するのです。
○ 意識と「前頭葉」の機能との関係(前回のこのブログでの問題提起)
覚醒された状態の意識(以下、顕在化された「意識状態」という。心理学者や脳科学者達が言う所謂「意識」を私たちは、状態的な性質としての「意識状態」として、組み替えて言い換えていることに注意してください)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」の更に中枢機能部位である「前頭前野」だと私たちは考えているのです。機能関係の詳細を次回の(No-112)で説明するように、「前頭前野」を含む「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な活動それ自体が潜在的な認知状態としての「意識状態」を生み出していると考えるのです。
更には、「意識状態」が覚醒されている状態(顕在的化された「意識状態」)にも、前述したように、その覚醒の程度には様々な段階があるのであって、「意識状態」の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのが「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。何らかの刺激に対する知覚、或いは何らかの「テーマ」の発想により、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してきて、その反射的な効果として同時に「意識状態」の覚醒の度合い(「意識状態の覚醒度」)も連動して変化していくと考えるのです。
○ 私の中に居るもう一人の私(「意識の座」が担う統合及び管理機能)
「意識の座」は、「前頭葉」の三本柱の機能並びに「評価の物差し」及び「記憶の倉庫」の機能と協働して、自分が置かれている状況の評価に基づいて、主たる「テーマ」の発想、実行内容の組み立て、洞察や推理、ケース・シミュレーション等を経て実行の決定を行うとともに、左脳、右脳及び運動の脳に対して実行の指示を行い、同時に実行内容及び実行状況の把握及びその時系列管理を行うとともに並行して存在しては消える従たる複数のテーマの内容の把握及びその時系列管理を並行して処理する機能を担っていると考えるのです。
同時に並行して存在し、或いは消滅する個別テーマ毎の全体又は部分の状態、或いは優先順位を把握し、監視し及びコントロールするなど全体を統合する機能を担っているのが「意識の座」の機能、役割なのではないかと考えると私たちの日常体験との辻褄が合うのです。猶この場合、主たる優先「テーマ」には「意識状態」の覚醒の度合いが拡大され(注意の集中)又は従たる複数のテーマには「意識状態」の覚醒の度合いが拡散(注意の分配)されることになるのです。
自分が置かれている状況を判断する機能、状況判断に沿って行うべきテーマの枠組みを発想し、発想したテーマの実行内容を計画し、実行内容の実行の仕方(態様や程度)をケース・シミュレーションし、新たな発想や連想や関心や興味の変化などの状況の変化に伴いテーマの枠組みとなる内容を変更し、最終的な実行内容を決定し、実行の決断を下した後に、三頭の馬(左脳、右脳及び運動の脳)に実行の指令を出す御者の役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。
○ 全体状況の把握及び個別テーマの管理と統合機能
「意識の座」の機能には、自分が置かれている状況の判断に加えて、並立して進行する個別テーマごとの内容の把握及びその時系列管理並びに新たな発想が湧く、関心が変化する、或いは思い出すなどを契機として時々刻々変化する個別テーマの優先順位の変化の把握などの機能が有ると考えているのです。
私たちが考える「意識の座」の機能は、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能によって下支えられていて、三本柱の機能の内の注意の集中力又は注意の分配力のいずれかの機能の発揮度が高まるにつれて「意識の座」による活動のアウトプットとしての「意識状態」の覚醒度も高まると考えているのです。
水面に浮かぶ泡沫のように私たちの脳の中で、次々と現れては消えていき或いは時に復活してきながら、並列して、並行して存在し消えていく「個別のテーマ」の全体あるいはその一部を把握し、監視し、コントロールし及び統合しているのが「意識の座」であると考えると今日の私の行動との辻褄が合うのです。
○ 「意識の座」の存在場所
特定の「テーマ」毎に個別の「意識状態」が生じ、並列して存在する個別テーマ毎に状況が別々に進行していく中で、それらを時系列的に把握し及び監視し、時々の興味や関心や発想が生起する都度「評価の物差し」と「記憶の倉庫」とが連動する形で働く中で、最も優先される主要なテーマが何であるかを「意識の座」が判断し、最優先と判断されたテーマに対して「意識状態」の関心が注がれ、同時に意欲や注意の集中力或いは注意の分配力が「意識状態」に対して強く注がれることになり、「意識状態」の覚醒度が高まるのではないかと考えるのです。
私たちが集積してきた「脳機能データ」の解析を基礎とする視点からいえば、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定の「テーマ」に対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それこそが意識(私たちの概念で言う「意識状態」)を生み出す機能的な源であり、「前頭葉」の中枢機能部位である「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えるのです。私たちが問題提起する「意識の座」は、脳の機能面から見て「前頭前野」ではないかと考えているのです。
鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が「前頭葉」の更にその中の中枢部位として存在する「意識の座」なる部位ではないかと考えるのです。脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能を構成している部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」(「前頭前野」)だと私たちは考えているのです。
更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境並びにその変化を把握し、評価し及び個別のテーマ毎にそれらを把握し、監視していて、全体を統合し、並立する個別テーマの優先順位の判断を含む自分がその時点でとるべき途とその内容、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、決定し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」(すなわち、「前頭前野」)だと考えるのです。
注) 意識については、次回(その3)をもって完結できる予定です。
注)本著作物(このブログB-11に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
エイジングライフ研究所のHP(を「クリック」してください)
脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません
http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a
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