
前回、ソウルフーズとしてのJR姫路駅のえきそばについて記しました。
実は、えきそばの起源について、少しだけ引っかかっていることがあります。今から考えると、そばといいながら中華麺に和風だしというスタイルは、当時の播磨ではよくある組み合わせではなかったかという疑問です。
ひとつには、もともと播磨には材料としての蕎麦を栽培していたのかということ。蕎麦の栽培は土地のやせた、米作には向かない土地が適しています。米どころであった播州平野やその周辺に蕎麦を栽培していたのだろうか。
また、私は子ども時代を播州で過ごしましたが、年越しそばというと中華麺に和風だしでした。さらに、高校の食堂にはうどんもそばもメニューにありましたが、そばとは中華麺、だしはうどんと同じ和風だしでした。物流が発達した今だからこそ、どこのスーパーに行っても、うどんも蕎麦もありますが、えきそばが始まった戦後すぐに、蕎麦が姫路近辺で手に入ったとは考えにくい。一方、小麦粉なら揖保の糸がその存在を証明してくれます。
そんなことを考えているのですが、自分の体験以外は思いつきの域を出ません。どなたか、教えていただければ幸いです。
実は、えきそばの起源について、少しだけ引っかかっていることがあります。今から考えると、そばといいながら中華麺に和風だしというスタイルは、当時の播磨ではよくある組み合わせではなかったかという疑問です。
ひとつには、もともと播磨には材料としての蕎麦を栽培していたのかということ。蕎麦の栽培は土地のやせた、米作には向かない土地が適しています。米どころであった播州平野やその周辺に蕎麦を栽培していたのだろうか。
また、私は子ども時代を播州で過ごしましたが、年越しそばというと中華麺に和風だしでした。さらに、高校の食堂にはうどんもそばもメニューにありましたが、そばとは中華麺、だしはうどんと同じ和風だしでした。物流が発達した今だからこそ、どこのスーパーに行っても、うどんも蕎麦もありますが、えきそばが始まった戦後すぐに、蕎麦が姫路近辺で手に入ったとは考えにくい。一方、小麦粉なら揖保の糸がその存在を証明してくれます。
そんなことを考えているのですが、自分の体験以外は思いつきの域を出ません。どなたか、教えていただければ幸いです。
姫路は小さい頃、よく連れて行ってもらったのに。
お城がとても立派で、なぜか親父に連れられて競馬場にも。(今は無いですよね)
私は甘党でもあるので姫路というと御座候の今川焼が大好きでした。
今ではチェーンになってるので、会社帰りに船橋のデパートの地下でたまに買って帰ります。
私は競馬にはまったく縁がなく、横を通ることはあっても中には入ったことがありません、残念ながら。5月だったかな、競馬をやっていましたよ。だから今もあります。競馬をやっていないときは公園として中で遊べるのだと、友達が言ってました。
御座候も全国区ですよね。ゆえに、姫路が本拠地ということを知らない人が多いようです。子どものころ、駅の地下で焼いているのを見て、お土産として買うのが定番だったように思います。今は、甘いものが苦手になってしまって…。
なかなか機会はないでしょうが、西のほうへ来られたときは、ぜひえきそばをご賞味ください。