ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

うだつの脇町 コロナの夏の終わり淡路阿波(5)

2021-09-10 20:37:06 | PiTaPaより遠くへ

 脇町というところにうだつの上がる通りがあるというのは、このうだつの上がらない私にも知識はありました。善入寺島から本土に「上陸」した私たちは、吉野川の右岸、国道192号を上っていきました。上るといっても、どちらが上流かわからないくらいの傾斜です。この辺りでよく見かけるのはマルナカというスーパーマーケット。徳島県内で最右翼ではないかと思われます。でも調べてみたら県内でマルナカは26店舗、昨日寄ったキョーエイが30店舗だそうです(「全国スーパーマーケットマップ」)。わからんもんです。

 国道と別れ、斜張橋が美しい岩津橋を渡って吉野川の北側を走れば、ほどなく美馬市脇町。

 現地に行って勉強になりました。うだつの上がる町を知ってはいましたが、なぜほかの土地ではなく脇町にうだつの上がる建物がたくさんあるかということを、これまで考えてみたことがなかったのです。通りのすぐ脇の道の駅駐車場にクルマを停め、街並みまで歩く間に、昔ながらの船が(もちろん演出、装飾として)置かれていたのを見たとき、あぁ、自分はなぜここにうだつが…と考えてみなかったことに気づいたのです。うだつはもともと防火壁、のちに装飾性が高くなって、財力を知らしめる象徴になったそうです。うだつにも一丁前に屋根瓦がついています。うだつを上げるだけの財力がなぜここにあったか。これも徳島が(藍染の)藍の産地であることもまた以前から知識としてはありましたが、これが私の中で結びつなかったのです。脇町は藍の集散地であり、集められた藍はここから船で吉野川を下った。だからモノと金がここに集まってきたということですね。Wikipediaによれば、江戸時代から明治時代に脇町は徳島、鳴門につぐ県内3番目の都市になったということです。だからうだつ(卯建)が上がった。

 私のような者には、現地に行ってやっと知識がつくのでありました。オデオン座を見られなかったのが残念ですが、次の機会に回しましょう。

(つづく)

 


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