ぶろぐのおけいこ

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尾張大橋 ~「歌行燈」に引き寄せられて(1)

2022-06-12 19:02:22 | PiTaPaで歩く

 83歳の冒険家、堀江謙一さんがヨットで世界最高齢となる単独無寄港の太平洋横断に成功しゴールしたという日、そんなことをなーんにも知らない私は、比較するにもできないほどの小さな小さな小さな「冒険」をしていました。その「冒険」とは、徒歩で愛知県から三重県に入るということ。

 

 半年ほど前から、桑名に行ってみたいと思っていました。それならば桑名駅に降り立つのではなく、愛知県側から木曽三川を徒歩で越え、三重県入りするとかっこいいではないかと気づいたのです。近鉄名古屋線や東名阪自動車道に乗っていると、広い広い川を立て続けに三本渡る、あの川を自分の足で越えると想像するだけで、橋フェチの私は脳みそに花が咲く思いがします。行きたい行きたい越えたい渡りたい。しかし紫陽花が色づき始めた今、日によっては随分暑くなるかも知れないし、梅雨入りすれば傘を差さなければならないかもしれません。それでも行きたい行きたい越えたい渡りたい。

 近鉄名古屋線の桑名を通り過ごし、木曽三川を電車で渡り愛知県に入った弥富駅で下車。9時過ぎ。国道1号線を桑名方面に歩き始めました。いい天気です。気温は高くはないもののすでに日差しは強い。これから暑くなりそう。

 できるだけ日陰のある方を歩きたいと1号線の南東側(海側)の歩道を歩き始めました。おそらく初めて体験する、愛知県の国道1号線。栄えあるトップナンバーの割には、田舎の道路という印象です。片側1車線。恐れながら申し上げれば、昭和の頃からあまり景色が変わっていないように見えます。交通量は結構あって、そんなにスイスイとは流れていない。歩き始めてすぐにバス停を見つけました。路線バスがあるんだ。もしもの時にはバスに乗れば桑名辺りまで運んでもらえるだろう。ちょっと心強くなった気持ちで日差しの下を歩きます。

 1kmほど歩いたでしょうか。まずは尾張大橋の東詰。歩道からだと全体が見えないので、橋の袂を少し下流側に移動して全容を見る。いやいや、長い長い。西詰のほうは見えません。これを渡るんだ。ええ年をしてワクワクしてきます。歩道は車道の左右につくられていますが、下流側を歩きました。うっかり滑って事故にならないように、歩道には緑色の滑り止め加工がしてあります。1mそこそこの幅しかないように思われ、自転車同士のすれ違いはちょっと気を遣うくらいかなと思います。

 ちょうど向こうから中学生くらいの男子が自転車に乗ってやってきました。三重県からやってきたわけだな。と、私の10mほど手前で自転車は停まっている。どうしたんだろう?自転車に近づいた私は、「待っていたくれたの?」と尋ねました。彼はきっと返答に困ったのでしょう。ややあって「こんにちは」と小さな声で言い、走り去りました。私のように、国道1号線を歩いてみようとするような仲間は見つかりません。生活の必要からか、レジャーやスポーツかはともかく、自転車で行き来する人は、そこそこいます。広い歩道ではないので自転車が通ると、歩く人は隅に寄ってスペースを空けなければなりません。自転車のほうもわかっているようで、何十mも前にチンと鳴らして、通り過ぎるとき頭を下げていきます。こちらは、「はい、どーぞ」と声をかけます。気持ちのいいものです。

 尾張大橋は高齢です。昭和8(1933)年に供用が開始されているらしい。私の両親くらいの年齢になります。10歳や20歳とは思わないけれど卒寿が近いとは思えないくらい達者に見えます。偉いものです。伊勢湾台風どころか先の大戦にもめげずに架かっているわけですね。でもご高齢だと思って眺めてみると、トラスもリベットもなんとなく無骨です。近くから眺めると洗練されているとは言い難い。歩道も凸凹が感じられる気がします。長さが900m弱。歩道からは河口のほうに長島スパーランドのジェットコースターがうっすら見えます。橋の途中で県境。三重県に入ります。橋の上は日差しがアスファルトに反射する陸地?と違い、風が心地よい。

 尾張大橋を渡り切って西詰の交差点。長島に上陸です。子供のころからテレビCMで慣れ親しんだ長島温泉スパーランドの長島。地図では、木曽川と長良川に挟まれて確かに長い島に見える。

 その交差点の脇に「東海道」の石碑、ん?東海道は七里の渡しを使うのが正統派。脇往還の佐屋街道もあるけれど、それは東海道ではない。なぜ、ここに東海道の碑があるのでしょう。答はこういうことです。明治5(1872)年に新東海道のルートが設定されて、ほぼ今の尾張大橋の辺りを「ふたつやの渡し」が結んでいたそうです。今、私が弥冨から橋を渡ってきたルートを、橋ができるまでは渡し船が結んでいたということでしょう。

(つづく)

 


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