
三千院では少々、紅葉の盛りが過ぎていました。しょうざんでは、意外に早い日の入りで庭園にも入らずに終わりました。実は、まだまだ「しくじり」が続くのです。
千本北大路からバスに乗って、北大路駅に戻ります。地下鉄烏丸線に乗って烏丸御池から地下鉄東西線に乗ってみようと思います。京の町を南北に走る烏丸線は割と乗る機会があるのに、東西線とはあまり親しくしていません。記憶が正しければ、6年ほど前に蹴上(けあげ)まで1往復したのが最後のはずです。それに今は六地蔵まで開通しています。折角の魔法の切符です。紅葉は諦めて、普通の切符ではやらない乗り方をしてみよう。
東西線は開業時からホームにドアがつけられています。プラットホーム上がひとつのガラス箱のような様子です。列車が到着したときだけドアと連動してホームのドアが開く仕組み。安全といえば安全なのでしょうが、鉄道らしくないのです。車両の姿が見えない。ほかにもホームドアがついた路線は数多くあるでしょうが、何といってもこちらは地下鉄。ホームからでなければ、走る列車の姿を見ることはできません。たとえば、子供というのは概ね電車が好きなものですが、彼ら彼女らは、この東西線をどう絵にすればいいのでしょう。地下鉄に乗ってもホームの風景と暗闇が交互に続くだけで、なんとも退屈なものです。地下鉄とホームドアが電車の姿を隠しているのです。また、「乗り鉄」と呼ばれる鉄道ファンがいるそうですが、「乗り鉄」の人たちはどのようにして地下鉄に乗ることを楽しんでいるのでしょうか。そんなことを考えながら、ついうとうととしてしまい、気付いたら終点の六地蔵。
地上に出てみました。駅前に民家もあるなんとものどかな風景。見上げるとJR京都線。線路のすぐ脇には駅前マンション。きっとこれから開発されていくのでしょう。六地蔵駅は、地下鉄とJRとさらに、少し離れていますが京阪の宇治線にも六地蔵駅があって、要所となって行くのでしょう。つまり、まだまだこれからの駅前風景。それから、ここから見上げる太陽。15時20分ですが、まだまだ角度が高くて、1時間半ほど前に鷹峯に沈んだ太陽と同じものとは思えません。本当に不思議。
さて、今度は東西線を反対側の終点まで行ってみよう。また改札口を通ったのでした。石田だとか、小野とか、東野とか、人名のような駅を過ぎていくうちのまたうとうと。気づいたら太秦天神に到着。こちらの風景は六地蔵と大きく違います。京都の街中。立派なバスターミナルがあり、その向こうには京福電気鉄道嵐山本線、通称嵐電(らんでん)の天神川電停。嵐山、嵯峨野方面への接続駅ということですね。満員の嵐電が天神川に到着すると、そのうち何割かの客が下車して東西線に乗り換えているようです。
では、もう一度東西線に乗ります。やはり空いている。今日東西線に3度目の乗車ですが、すべて座っています。嵐山から帰ってきた夫婦の会話が聞こえています。それによれば、京の嵐山はウメチカ(大阪駅周辺の地下街)くらいに人が多かったそうです。嵐山へ行かなくてよかったとは思うものの、景色の見えない地下鉄を烏丸御池から始まって東西線全線を一往復。自分は何をやっているんだろう。
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