本気で言いたいことがある
さだまさし
新潮新書
いささか、冗長である。いきなり冗長とは著者にも失礼かと思うが、それが読み始めたときの正直な感想であり、その印象は最後までほとんど変わらなかった。
そうなる理由はわかる。ひとつには、おそらく講演やコンサートでの「しゃべり」の記録が基になっているからであろう。書き言葉と話し言葉は、凝縮性が違うのだ。書き言葉でしゃべってもらっても味はないし、反対に話し言葉で書かれたものは冗長である面は否定できないだろう。
ふたつめに、小説やエッセイの言葉、また歌の言葉が、雰囲気や気分といったものを伝えるものだとしたら、今回の「本気で言いたいことがある」は、雰囲気や気分では伝わらないものであるからだ。読み手に、正しく論理的に伝わらなければならない質のものである。もちろん、世の中には、講演録のほうが原稿用紙に書かれたものより、わかりやすく、伝わりやすいものも多くあることを、日頃から実感している。しかし、シェイプされた言葉の中に、ふくよかさを感じられる著者のエッセイや歌詞に慣れた(つもりの)身からすれば、おそらく今まで読んださだの文章の中で、いちばん冗長と感じられた一冊である。
「時に辛辣に、時にユーモアを交えつつ、しかしあくまで真摯に語り尽くした、日本と日本人への処方箋」と帯にある。筆者の言葉を引用すれば、「僕は日本が大好きで、こんなに素晴らしい国はないと思っているけれども、今の日本がどうかと聞かれると、残念ながら胸を張って素晴らしいと言える自信がない。どうしてこんなふうになっちゃったのかな、と思います。本書はそのことを考えるための本」だということになる。先に紹介した、『国家の品格』や『女性の品格』同様、日本人はいかに生くべきかという本である。
かなりひどい書き方をしたけれど、面白い本ではある。ただ、今まで読んできたさだのから期待するほどの膨らみが感じられなかったというだけのことである。第九章、想像力はどこへ行った?で、靖国参拝に触れ、第十章、徴兵を許すのは誰か?で、自衛隊海外派兵について考える。この辺りはスリリングである。
さだ!と聞いただけでアレルギーを起こす人にまで薦めないけれど、本屋で立ち読みでもしてみるかと思った方は、第九章、第十章、ページでいうと、169ページあたりからお試しなられることをお薦めする。
さだまさし
新潮新書
いささか、冗長である。いきなり冗長とは著者にも失礼かと思うが、それが読み始めたときの正直な感想であり、その印象は最後までほとんど変わらなかった。
そうなる理由はわかる。ひとつには、おそらく講演やコンサートでの「しゃべり」の記録が基になっているからであろう。書き言葉と話し言葉は、凝縮性が違うのだ。書き言葉でしゃべってもらっても味はないし、反対に話し言葉で書かれたものは冗長である面は否定できないだろう。
ふたつめに、小説やエッセイの言葉、また歌の言葉が、雰囲気や気分といったものを伝えるものだとしたら、今回の「本気で言いたいことがある」は、雰囲気や気分では伝わらないものであるからだ。読み手に、正しく論理的に伝わらなければならない質のものである。もちろん、世の中には、講演録のほうが原稿用紙に書かれたものより、わかりやすく、伝わりやすいものも多くあることを、日頃から実感している。しかし、シェイプされた言葉の中に、ふくよかさを感じられる著者のエッセイや歌詞に慣れた(つもりの)身からすれば、おそらく今まで読んださだの文章の中で、いちばん冗長と感じられた一冊である。
「時に辛辣に、時にユーモアを交えつつ、しかしあくまで真摯に語り尽くした、日本と日本人への処方箋」と帯にある。筆者の言葉を引用すれば、「僕は日本が大好きで、こんなに素晴らしい国はないと思っているけれども、今の日本がどうかと聞かれると、残念ながら胸を張って素晴らしいと言える自信がない。どうしてこんなふうになっちゃったのかな、と思います。本書はそのことを考えるための本」だということになる。先に紹介した、『国家の品格』や『女性の品格』同様、日本人はいかに生くべきかという本である。
かなりひどい書き方をしたけれど、面白い本ではある。ただ、今まで読んできたさだのから期待するほどの膨らみが感じられなかったというだけのことである。第九章、想像力はどこへ行った?で、靖国参拝に触れ、第十章、徴兵を許すのは誰か?で、自衛隊海外派兵について考える。この辺りはスリリングである。
さだ!と聞いただけでアレルギーを起こす人にまで薦めないけれど、本屋で立ち読みでもしてみるかと思った方は、第九章、第十章、ページでいうと、169ページあたりからお試しなられることをお薦めする。
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