「歌行燈」を出て三之丸公園に行く。桑名城は海沿いにあったんですね。桑名城の天守跡へ行ってみるべきなんでしょうが、日差しが強いこともありパスすることにしました。堤防まで出て、国道から眺めた河口堰を下流側から眺める。上流からだと堰が仕事をしているのが見えなかったのですが、下流から見ると、堰の向こうとこちらとで水面の高さに違いがあるのがわかります。
蟠龍櫓という建物に入れるようなので入ってみました。窓から見える、櫓の龍が河口堰の侵略者(宇宙船)を見張っているように見え、面白かった。
七里の渡し跡に行きましたが、跡らしきものは何も見えません。鳥居があるだけ。
船津屋さんの前を歩いてみます。今は「ザ フナツヤ」という屋号で結婚式場になっているのですが、昔は船津屋という料亭旅館だったようで、外見は今も料亭のような雰囲気です。ここが、小説「歌行燈」に登場する「湊屋」のモデルだという話です。その「ザ フナツヤ」の勝手口?から出てきた女性が、私のような怪しげな者に、「こんにちは」と挨拶してくださる。うれしいできごとでした。だって、どう見ても結婚式場に用事がありそうな風体ではないもの。
ザ フナツヤの塀には説明書きが書かれています。つまんで記すと次のようになるでしょうか。
・泉鏡花は高等小学校での講演のため、明治42(1909)年に桑名にやってきて、この船津屋に宿泊し、その時の印象で「歌行燈」を書いた。
・小説はその翌年一月号の「新小説」で発表された。
・劇作家・久保田万太郎は戯曲「歌行燈」執筆のために三ヶ月ほど船津屋に逗留した。
・久保田万太郎の句碑が置かれていて、その説明が書かれていること。
・その句は…、
かはをそに 火をぬすまれて あけやすき
・この句は万太郎が、船津屋主人の求めに応じて詠んだ。
・この句碑は杉本健吉がデザインした。
(説明書きの全文は次のブログに載せられてあります)
https://blog.goo.ne.jp/12240106/e/b494bcdfc8cc4c9f64992b569ebd352c
この船津屋は、江戸時代には大塚本陣があった場所だそうです。ついでに船津屋の右隣、今は営業されていないようですが、「山月」は、脇本陣駿河屋の跡地らしいです。お城にも近く、きっと桑名の一等地だったに違いありません。
小説では、恩地源三郎と辺見秀乃進が宿泊して、芸者お三重に出会うのが湊屋(船津屋)、ここから150mくらい離れた饂飩屋(志満や=歌行燈)で酒を飲んで、自分の過去を話すのが元能楽者の恩地喜多八となっています。
もう一度七里の渡し跡に戻り、堤防から「ザ フナツヤ」を眺めてみると、確かに近い。水辺のかわうそが悪さをしても不思議ではないと思いました。
(つづく)
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