エレベータが39階に停まって扉が開くと、室内に造られた池越しに見える景色は皇居と日本武道館。これが借景として水平面より下に見える。皇居も見下ろす天上界。これは、私のような一見には強烈なインパクトがあリます。
39階はフロント階。地上から客室へ、客室から地上へ行くには、必ず39階を経由することになります。チェックインを済ますと、36階にある客室までスタッフが案内してくれます。ホテルの説明をしたり、こちらのことを聞いたりしながら歩く。「これからどうないさますか」と聞くので、用事があって出かけると言ったら、ホテルのクルマが空いていたら、それで送るというのです。そんな豪勢な…。こちらは電車で2駅乗るつもりでいたのに。結局、1階に下りて尋ねてみたら、クルマは空いているといいます。窓の外に黒いアルファードが見えたので、なるほど、これで送ってくれるんだ、ありがたいなと思っていました。ところが、「どうぞ」とやってきたのはBMW740。こんな立派なクルマ、初めて乗せてもらいました。豪華なものです。
客室ではテレビを見る気にもならないので、窓から見える景色を飽きずに見ていました。
万葉集には、雄略天皇が天の香具山に登って「国見」をしたという歌(巻一 2)があります。国見とは、高い所に登って四方を眺め国の有様を観察すること。元来、五穀豊穣を予祝するための宗教的儀礼であったと、日本古典文学全集、『萬葉集(1) 』に書かれています。
為政者ではありませんが、私も今こうして「国見」をしています。36階って高い。この場所からは、真下を除けば地面はまず見えません。道路も鉄道も見えません。なんでだろうと考えてみたら、だいたい10階程度のビルの屋上が「地面」のように見え、その「地面」から20階、30階のビルが「起立」している。地上付近の道路も鉄道も「地面」に埋め込まれて、見えないのです。だから、ここからは「民の暮らし」は見えません。生活が見えない、まさに「天上界」なのです。現代の為政者たちは、この国に限らず為政者たちには民の暮らしは見えているのだろうか。
「たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる」高校の時習った『方丈記』を思い出しました。「宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根(の高さ)を競っている」(マナペディア)という意味ですが、高さを争う理由は、天上界に少しでも近づきたいという欲望なのかと感じます。
晩ごはんのあと、ホテルのバー(39階)で飲んで部屋に帰ろうとしたら、36階のボタンが押せない。何度押しても36のランプがつかないのです。おいおい、どうなっているんだと思っているうちに扉が閉じて、なぜか37階まで下りて扉が開き、ほかの客が乗ってくる。で、エレベータは38階に戻り、その客は降りていきます。そういえば、チェックインのときに、エレベータはルームキー(カード)をかざせと言われたことを思い出しました。セキュリティ上、ルームキーがなければ客室へのエレベータは動かせないのです。でも、他の乗客が動かしたエレベータには乗れてしまうということですね。うーっ。一見さん泣かせです。
翌朝、スパに入りました。昨日のスタッフの説明では、スパには部屋のバスローブで行ってよいということでした。バスローブで廊下を歩いたり、エレベータに乗ったりって妙な話だなと思っていたのですが、謎が解けました。客室階からスパへ直通するエレベータがあったのです。なるほど。早朝のスパはほとんど人がいません。39階の湯船に浸かって窓越しに地上界を眺める。客室から眺めるのと同じような景色がある。ん?ここには巷の温泉施設や大浴場のような目隠しがありません。天上界では人目を気にする必要はないのです。
天上界からの景色のあまりのインパクトに、スパの後、ロビーに写真を撮りに行きました。夏場ではありましたが、遠くにうっすらと富士山が見えました。
一旦部屋に戻って、散歩しようとエレベータでフロント階に上がろうとしたら、同じく地上に下りたい女性がそのエレベータに乗ってきました。その女性は39階で降りたらすぐに隣のエレベータに乗ろうとしました。フロント階に上がってまた戻っていくとは、部屋に忘れ物をしたんだねと思いながら、件の皇居を見下ろせる、天上界・地上界往復用のエレベータに乗って扉を閉めようとしたら、その女性がやってきました。つまり、こういうことです。この女性は地上に降りるために、間違えて客室用エレベータに乗ろうとした。1階のボタンがないので気づいたと言ってました。ほんに一見さん泣かせです。ホテル内だけで過ごすなら便利ですが、食事に行く、買い物に行くには不便だし、不慣れな人には、間違いが起こる。ここが俗世間から離れた天上界だと考えればそれも納得がいきます。
高いところ。宿泊料も高いと思いますが、地上から離れた、高いところに泊まったという話でした。
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