病室でひと月近くも住まいしていると、いろんなことが起こります。ボールペンのインク切れ。私がお世話になった病院ではPCが使用できないというきまりになっています。記録を取るには大学ノート(売店で売っている)とペンでメモを取るしかありません。入院してすぐにボールペンのインクがなくなったので替芯を交換しました。たまたま筆箱にスペアの替芯が残っていたのです。ところが入院後20日を過ぎたころ、その替芯もインク切れ。ほかにすることがないといっても、どれだけメモを書くのか自分で驚きました。
もうひとつはテレビカードのこと。患者がベッドでテレビを見るのにテレビカードが必要なシステムです。私は入院当初にテレビを見ずに退院まで過ごそうと決心をしたものですからテレビカードは買わないままでした。同室の患者の退院を何度も見送ってきましたが、そのうちの一人であるKさんが退院するとき、「まだなんぼか残っていると思うんや、よかったら」と使用途中のカードを私にくれました。退院時に未使用度数は清算できるので現金化もできるのにKさんは私にカードを置いていきました。私は使用することはないだろうと思いながらも有難く頂戴しました。
それから。入院したての頃4人部屋で私一人という日が何日かありました。斜向かいの患者と二人という日もありました。夜中に目が覚めると、隣のベッドから寝息というか軽い鼾が聞こえます。鼾については人のことは言えないのですが、不思議なのは隣に入院患者はいないはずなのです。もしかして、夜勤の看護師さんが休憩に使っているのかなとも考えました。仮眠にしても患者のベッドを使うのは変だとも思いました。でも、方向は確実に隣のベッドから。
トイレに立つ(といってもこちらは車椅子ですから立つのかどうか)時に恐る恐る横のベッドを覗く。誰もいません。ベッドは次の患者のために整頓されたまま。そんな不思議な夜が二晩か三晩ありました。やがて病室は3人に増え満員になり謎の鼾は聞こえなくなりました。
きっとこの謎はこういうことに違いありません。病室と廊下の間には扉がありますが、夜中も開け放したままです。コロナのせいでそうなったのか別の理由があるのかわかりませんが、個室は別にして通常は扉が開いたままです。病院の廊下は音がよく反射する。つまり隣の病室の、ある地点のベッドの音だけが廊下の壁に反射して私の耳までやってくるのではないか。昼間は話し声や足音も物音もあります。しかし深夜になればそれらの音はない。患者もどんどん入れ替わるものですから、たまたまいくつかの条件が重なって隣のベッド方向から鼾が聞こえてきたものと自分では納得しています。幽霊の正体見たり枯れ尾花。病棟の廊下の反射音が聞こえやすく作ってあるのは患者からスタッフへ、また患者から患者へ気配が伝わりやすくしてあるのではないでしょうか。
さて、私の退院の朝。もらったまま使用しなかったテレビカードを同じ病室のSさんに渡しました。彼は、「私テレビ見ないんですけど」と言います。「いいじゃないですか、またSさんが退院のとき、次のどなたかに渡してくださればいいのです」彼は納得したようで、受け取ってくれました。めでたく退院する人が次の人の退院を願ってカードを伝えていく。退院へのお守りのような、おまじないのようなものだと、Sさんは理解してくれたのでしょう。(この原稿の執筆時点で)今日はSさんの退院予定日です。
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